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島国日本と疫病

1・日本の戦国期において疫病の流行で多くの死者を出した年を教えてください。(出来れば原因が旱魃など天災に因るものか、戦乱に因るものかも分かると良いのですが) 2・鎖国以前の貿易による海外からの疫病の「持ち込まれ」は無かったのでしょうか? 3・疫病の発生で領主が取った対策は何かあったのでしょうか? よろしくお願いします。

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noname#49020
noname#49020
回答No.4

 戦国時代に疫病が大流行して多くの死者が出たという話は知りません。  コレラの話が出るのが1822年(文政5年)で、江戸時代も終わりの頃です。これも九州から東海道にかけて流行りましたが、箱根を越えて江戸に入ることはありませんでした。  ペストは明治に入ってからですね。  労咳と呼ばれていた結核は、古墳時代6~7世紀)にはすでにあったようです。  天然痘は遣唐使あたりが持ち込んだようです。  梅毒については皆さんのおっしゃる通りです(笑)。  これら伝染病の日本での始まりは以上の通りですが、梅毒以外はもう一つハッキリしません。もっと早くに日本に上陸していたかも知れませんが、そのような記録が残っていないわけです。  コレラなんかは患者の糞便や吐しゃ物によって伝染します。昭和期にコレラが流行した部落に行ったことがあります(収まった後です(笑))。人家が密集していて、全ての家が汲み取り式便所で、まだ井戸が使われていました。誰かがコレラ菌を持ち込むと、あっという間に部落中に広まりそうな感じがしました。  日本は島国で、海外から病原体が持ち込まれる機会が少なかったと思います。  それに、戦国時代は領主がそれぞれ縄張りをしっかり守って、人の行き来は少なかったでしょう。  そういうことで、戦国時代は伝染病の大規模な流行がなかったんじゃないでしょうか。

hirarno36
質問者

お礼

よく時代劇で死因の一つに挙がるのが「労咳」ですね。空気感染と言う意味合いでは質問に該当する例です。しかも6~7世紀とは驚きです。また肺結核が最近流行り出したのも気がかりです。 コレラは上下水道の発達が未完成だった戦国期には衛生上「流行病」の一つだったのではと考えています。川の上流で合戦などあった場合、死体、体液、血液の類は流され夏場にはすぐ腐敗して病原となり、その水を下流で知らず知らずに飲用(まあわかってはいるけど仕方無しに)した場合も恐ろしいですね。結構記録に残ってはいない程度にあったのではないでしょうか。 しかし回答者様は恐ろしい体験なされていますね(笑) おっしゃるようにやはり島国であることにより流行病が少なかった。加えて戦国期は大移動もなく、細かく分割されていた区域で一生を送る人がほとんどだったのでしょう。実例が残っていないのは残念です。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • sudacyu
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回答No.3

 質問者の意図には反しますが・・・ご存知でないのなら、No1の方に補足したいです。  梅毒はアメリカ大陸の風土病で、1492年にコロンブスの部下がヨーロッパに持ち帰ったと言われています。(感染後すぐにはっきりした症状が現れるわけではないので、感染源経路は不明です。)  なんと、20年で当時の世界の端から日本まで到達したことになります。もちろん、アメリカ大陸発のものとしては、最初の日本上陸です。  人類の隠れたエネルギー、恐るべし!

hirarno36
質問者

お礼

梅毒って名前からして風土病っぽいですね。 確かに私の意図しているところとは少しばかり違いますが、鉄砲より先に日本に来たのには驚きです。 世界史にはうとく、当時のアメリカがどのような交易範囲をもっていたのかは知りませんが、世界中に広まるとはまさに人類恐るべしですね。 質問タイトルにもありますように「島国」なために、国外からの流行性病原菌から守られていたことも多少はあるのではないでしょうか。 鎖国はそれに貢献していたと思っていますが、そこまでの効果はなかたのでしょうか。 回答ありがとうございました。

  • tanuki4u
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回答No.2

コレラは1822年ですから 江戸期となります 天然痘は737年、藤原四兄弟がが死んだのが有名ですね。 戦国期は、小氷河期で疾病より飢餓で死んじゃっているので、疾病という記録はないように思います。 せんじつ、「武士から王へ」という武士階級の統治意欲の変転のような本を読んだのですが、庶民というか一般国民をちゃんと統治しなければと言う意識を武士階級が持ったのは江戸時代になってから。 なんで、こんな事を書くかというと、領民が何で死のうと知ったことがないというのが武士の基本的な立ち位置なので、どんな対策を取ったどころか、どんなことが起こったと言うことも記録にないようです。

hirarno36
質問者

お礼

飢饉での死や戦死は多いでしょうね。それに伴い疫病の流行はなかったのかと、疑問を持ち質問させていただきました。 天然痘は凄く古いですね。コレラは江戸時代に流行ったのですか。 領民に対する過酷な処分(隔離やもっと残虐な処分)を想像していただけに、 >領民が何で死のうと知ったことがない は意外な回答です。 回答ありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

2 梅毒 1512年に日本に到達。 鉄砲やキリスト教より早いです。 もぉ 人類ったら。

hirarno36
質問者

お礼

梅毒は元々日本には無かったのですか。だとしたらやはり貿易で来たのでしょうか?それにしても早いですね。 それと私も説明不足ですみませんでした。ここで言う疫病とは流行性の強い爆発的に急増しそうな病気のことです。(例えばコレラだとかペストだとか・・・)そちらのほうでも宜しくお願いします。陳謝。 回答ありがとうございました。