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和親条約と通商条約における函館の価値について
日米和親条約と日米修好通商条約でそれぞれ開港をしていますが、両方に共通している港で函館があると思いますが、当時この函館にこだわった理由って何だったんでしょうか? 教えてください。
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函館(当時は箱館)は、日本全体から見れば端っこなので、不思議に思われたのかもしれませんが、地球儀を見れば分かります。アメリカから日本へ向けて大圏航路、すなわち最短コースを辿ってみてください。そうしたら、函館の位置付けが理解できるでしょう。
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- jk7
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回答No.1
当時のアメリカが、なぜ日本に開国を迫ったのかといえば、捕鯨船の燃料や船員の食糧を補給する場所を得たかったからです。 鯨を追いかける以上、日本各地に寄港できた方が良いわけです。当時の人間に鯨の都合までは知る由もありませんから…。
質問者
お礼
鯨って函館の近くでとれたんですか?鯨か~勉強になりました^^ありがとうございます
お礼
なるほど!! ついつい太平洋横断という発想でした(; ̄ー ̄A アセアセ・・ ありがとうございます!!