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日米通商条約に対する日本側の認識の違いについて
嘉永7年(1854)にアメリカと結ばれた「和親条約」と、 安政5年、アメリカをかわきりに諸外国と結んだ「通商条約」、この2つの外交条約に対する日本側の認識の違いについて説明してください! 和親条約の方は論文を見つけたのですが、通商条約の方がわからなくて・・・ どちらの条約においても、日本側の認識というのは同じなのでしょうか? できれば詳しくお願いします。
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こんばんは。 簡単にいえば、不平等感が非常に強かった、 ということです。実際に、領事権、治外法権、 関税など、多くの点で日本は不満でした。 和親条約も同じです。 また、日本側も開国派と攘夷派でいろいろと 思惑がちがっていました。 それを記すとかなり長くなります。 ここにかなり詳しく、ドラマチックに書かれてあります。 ↓
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- hina0312
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「和親条約」は、ペリーが浦賀に「黒船を率いてやってきた!」ということが当時の日本人にとって脅威だったため、“天皇と相談”という名目で条約締結を翌年に延ばしてもらったんでしたよね。 国力としても、当時はアメリカの方が断然あったでしょうから、アメリカの申し入れを断れば“戦争になる、でもそれは避けたい、日本には歯向かうだけの戦力がない”ということで、日本国内の意向は「開国」の方が多かったのでしょう。 そして、条約締結に際して天皇の勅許をいただけたので日本国内で大きな反発を受けることなく済んだのだと思います。 ところが、「通商条約」では本格的なアメリカとの通商を求められています。当時の天皇である孝明天皇は、通商条約を結ぶことに対してはなかなか賛成をして下さらなかったのでした。アメリカ側は、日本の幕府側の手際の悪さ(天皇の許しをいただけないこと)に対してどんどん圧力をかけ、幕府ではいよいよ大老井伊直弼が登場します。 井伊直弼は、天皇の勅許を得られないまま「通商条約」を締結してしまいます。 前々から高度な技術をもっているアメリカとの条約を結ぶことを望んでいた人々が日本国内にはいましたが、日本国内の尊皇攘夷派はこの政策に対して反発するわけです。 そして、「通商条約」を結んでこの条約が俗に言われる“不平等条約”であったことがさらに日本国内の反発をよぶことになったのです。 ですから、「和親条約」と「通商条約」の日本側の認識の違いは同じではないと思います。