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白河藩の家格はどれぐらいだったのか?
松平定信が養子に入った白河藩の家格は大名中でどれぐらいの順位(高さ)だったのでしょうか? また、何番目ぐらいに重要な藩だったのでしょうか? 白河藩の家格がどれぐらいだったのか教えてください。
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官位は 従四位下、城主格、家柄は帝鑑間詰ですが、定信は長く老中を務めたため溜間詰まで上がりましたね。 徳川幕府にとって要地の認識ではありますが、家格そのものはよくある徳川分家、松平諸家と同じです。 家格としては上から数えきれる範囲ではないので下記URLを参考にしてください。 http://www.geocities.jp/yuujirou8/siro/Gallery-10-14-2.html 外様を除いた親藩・譜代大名の中では、親藩の御三家・御三卿に越前松平、会津松平家があり、それに準ずる準親藩として久松松平家が3家、その三男の家系なので3番手として見られています。ただ久松松平家は準親藩とは書きましたが、正式にはれっきとした譜代大名で幕政には参加しますが一方将軍候補にはなりえません。
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- ithi
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回答No.2
zdxydef さん、こんばんは。 白河藩は久松松平家の分家ですが、11万石で家格は譜代であり、当主になると四品、あるいは老中になれば、或いは隠居寸前に侍従でした。そして、五位の時(嫡子)の時、帝鑑間詰、四品の時は溜間詰でした。おそらく譜代でも一〇番目に有力だったと思います。 定信はさらに四位少将に上りました。老中は六年しか務めていませんが、老中前官礼遇の形で溜間詰になりました。 伺候席 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BA%E5%80%99%E5%B8%AD
質問者
お礼
御回答ありがとうございました。
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