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スターリン批判の影響
1956年のポーランドやハンガリーの反ソ暴動はフルシチョフによるスターリン批判が原因と聞きました。何故、原因となったのですか?教えてください。
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まず社会主義国家における人民は、何も文句を言わず、ただ政府の言うとおりに行動できる人間が善良とされます。それと同様に、ポーランド・ハンガリーなどの衛星諸国は、ソ連の言いなりになることが重要なのです。何しろ唯一社会主義革命を成功させたのがソ連ですから、ソ連の言うことを聞いていれば間違えない!というのが、当時の衛星諸国首脳の考えでした。 つまり、衛星諸国の首脳は、自分の国でどんな政策をするにも、一度ソ連(スターリン)にお伺いをたててから、実行に移したのです。 有名な話ですが、チェコスロヴァキアの首相だったノヴォトニーは、自由化を求める議員からわき上がった「我が国も海軍を創設すべきだ」という提案をまに受け、そのままスターリンに報告したそうです。スターリンの回答は当然、「君、海軍って言ったって、君の国に海はないだろう」です。 少々横道にそれましたが、そのような状況で、信用していたソ連のスターリンが批判されたのです。スターリンの政策は間違っていたと発表されたのです。 スターリンを信用していた衛星諸国の首脳は、当然困るわけですが、人民からすれば、それまで縛られてきたことに対する不満が爆発するのも当然ですよね。
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- popesyu
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原因はもちろんそれだけではないですが、土地改革などでも失政が続いて元々経済的に行き詰っており、さらに労働者や学生が組合を結成してモノを言う国民になりつつあったこと、国内政治的には保守的なスターリン主義と改革派の対立などがあったという背景のなかで、社会主義本家本元のソ連内部でスターリンが批判されたということは、例えばソ連の支配の権威の失墜をまねき、保守派勢力は動揺するし、モノを言う国民にしてみれば渡りに船みたいな感じで、つまりは元々混乱しつつある状況の中で火に油を注ぐことになったということでしょう。 まぁこの辺は現代の中国でヒトラーを上回る虐殺者でもある毛沢東を批判できないのはなぜかというのにも通じることだと思います(毛沢東という権威も中国共産党の権威とイコールです)。
お礼
なるほど、そういうことですか。よくわかりました。 毛沢東についてのご意見は同感です。むかし日本でも「毛沢東語録」がよく売れた時代があったそうですね。国共内戦・大躍進や文化大革命でどれほどの人が死に、被害を受けたかはその頃は明らかにされてなかったんですかねえ。(今も明らかとは言えないですけどね)
- sakura-pon
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勉強のためなら調べることも勉強です。 とりあえずここを見てはどうですか? http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/75-yukidoke.html
お礼
ためになる情報源を教えていただき、感謝いたします。
お礼
参考になる解答と興味深いエピソード、ありがとうございました。