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大文字でChange and Hopelessnessとは何でしょうか?
度々お世話になります。コペルニクスに関する評伝の中で、"This should confound those who believe that Change and Hopelessness go hand in hand."という文が出てきます。空、あるいは、宇宙に関する学説や発見が、それまでの神話的な「人間にとっての屋根」としての空の意味を破壊し、ついには太陽系が銀河系の一部に過ぎないというような、乾いた科学的視点に取って代わられ、古き宇宙観を持っていた人を幻滅させてきたというような意味だと思うのですが、どうして、このChange and Hopelessnessだけが大文字で書かれているのか理由が分かりません。書名ならイタリックでしょうし、何か有名な諺か、聖書からの引用なのか、私の辞書とネット検索能力では理解できません。お分かりの方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。よろしくお願いいたします。
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おそらくは聖書、それも旧約と予想し検索すると Despair and hopelessness という言葉がヒットします。 あなたの読んだ評伝の著者は、この言葉をひねっていると考えますが、Despair and hopelessness が旧約のどこに記載されており、どのような文脈の中で使用されているのか、まだ分かりません。聖書辞典でもあると分かるかと思うのですが...。 ガリレオの「天文対話」は30年以上前に読みましたが、「天体の回転について」は、抜けていました。 ここのサイトのプロは、明日中に回答を示してくれると期待しています。
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- Mathematica
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No.1です。知り合いの牧師に、despair and hopelessnessの出典を探してもらっているうちに、議論がここまで深まってきていたのですね。 懐かしい名前(ヘロドトス、Golding)が出てきて嬉しくなります。ギボンは退屈ですが、ヘロドトスは面白かった記憶があります。「Last Samurai」の中で、ペルシャ戦争で、ギリシャ軍300がペルシャ軍10万と闘い全滅したという話を、トム・クルーズが渡辺兼に話すと「Good」と言ったことを思い出しました。 なお、当然お分かりでしょうが、Hot GatesはStrait Gateを連想させますね。私は、言葉や風景の重層性ということを学生に話しますが、まあ興味をもつのは殆どいません。これだけでも、論文が書けるのですが。 話が色々飛びますが、もし行っていなければ、ギリシャ、ローマは訪れてください。私は、初め30年前に行きましたが、とにかく歴史が重なっているということを実感させられました。
お礼
#1さん、再びの御回答ありがとうございます。皆様のお陰で、唐突な質問へ有益な示唆をいただきました。実に奥深いですね。ヘロドトスの『歴史』が"Last Samurai"などという近作映画で引用されていたとは驚きです。特に、西洋古典とは全く縁が無かった者として。 恥をさらしてばかりですが、"Hot Gates"の意味すら分からないため("at the Hot Gates"などと慣用句にまでなっているようですね)、対応するのが"Strait Gate"、つまり「狭き門」(これでよろしいでしょうか?)とは全く気付きませんでした。知っている検索法は全て使いましたが、この類のことを調べるには、どうすれば良いのか・・・勉強のし直しですね。言葉の重層性を理解するには、何と幅広い知識が必要なことか。 これまで訪れたヨーロッパの南限はハンガリーです。北欧が長かったため、そこでの歴史に浸っていました。西洋古典の先生(ドイツ語を習っていました)にも、ギリシャ、ローマには行きなさいとアドバイスされていましたが、行くならフローデルの『地中海』を読んでからと思っているうちに機会を逃していました。スペイン南部にも行きたいと思います。お金と時間さえあれば。いや、私の場合、基礎的知識が先ず必要ですね。 明日中に、翻訳は提出です。更なるご鞭撻を賜りたいと願うばかりです。ありがとうございました。
補足
Goldingに関して、稚拙な批判をしてしまい、後悔しています。ただ、私が読んだ『蝿の王』と、"Hot Gates"の9行だけからでも分かることは、大人と子供、神話と最先端科学のような二項対立を提示し、そこから、実は、そういう対立する二項は、実は通底するものだ、あるいは、同じ一つの世界に属する物事だと指摘する点です。過去と未来についても同じ事を考えているかも知れません。西洋古典の先生に、何故、訓詁学のようなものを研究されているのかと失礼にも質問したとき「それは、現代と直結しているからだ」と答えられたことを思い出します。
- ismael
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『蠅の王』のGoldingですか!うーむ。 The Hot Gateというタイトルも意味深ですね。 Works :: THE HOT GATES Golding himself selected the essays for this volume, first published in 1965. They include his two brilliant accounts of childhood, "Billy the Kid" and "The Ladder and the Tree", and his essay "Fable" which was specifically written to answer questions put to him about Lord of the Flies. Golding begins the book with his essay on the Battle of Thermopylae -- the heroic last stand of the 300 Spartans under Leonidas in 480 B.C. against the entire Persian army. Golding's reasons for choosing "The Hot Gates" (the English translation of Thermopylae) as the title for the whole collection are perhaps explained by a few sentences from this essay: "Neither you nor Leonidas nor anyone else could foresee that here thirty years' time was won for shining Athens and all Greece and all humanity." "A little of Leonidas lies in the fact that I can go where I like and write what I like. He contributed to set us free." http://www.william-golding.co.uk/w_hot_gates.html
お礼
この質問に根気強くお付き合いくださり、ありがとうございます。コペルニクス云々より、この作者の書いた9行であるということの方が大事かも知れません。それは確かに重要なポイントです。 『蝿の王』という、あのミステリアスな作品は、未来の世界戦争が舞台でしたよね。私は、斜め読みながら、豚の頭にたかる蝿が出てくるあたりから吐き気を催しました。最後で安心しましたが。"The Hot Gate"の「コペルニクス」をたった9行読むだけで、単純ではないことを書く作家だとは思います。塗り壁のように、何重にも、様々な事柄を絡ませあい、それら全体が一つの重厚な世界を織り成すという他愛も無い感想です。 よく読めば、コペルニクスと聖書の教義の対立がテーマではありませんね。最新の宇宙科学だけが正しいのではなく、古代の人々と同じ観点を持つことができるのなら、我々も天動説や創世記の神話的な物語で宇宙を語るのではないか。それは立派な「思考」なのだ。要点は、そういうことです。 "Change and Hoplessness"が"Despair and hopeless-ness"の引っ掛けであることは間違いないでしょう。しかし、キリスト教のドグマだけが特殊なのではなく、私たち現代人の文明も、人類の文明の最高峰に達したと考えているのなら、創世記と何ら変わりないものだという主張でしょうか。 "The Hot Gates"は、ペルシャ戦争から始まっているのですね。テルモピュライとアルテミシオンを意味しているのか、ヘロドトスすら読んでいない私には分かりかねます。"The Pearly Gates"の反語にも響きます。また、レオニダスとクセルクセス一世の対比もしているようですね。結局は、こういう二項対立を何重にも掛け合わせているので、さも、重厚で複雑な世界観を持った作家に見えるだけなのかも知れません。私などが評論できる立場にはありませんけれど。 レオニダスの自己犠牲(キリストを思わせます)のお陰で「人間性」そのものの体現であるギリシャが、野蛮なアジアのペルシアから30年は早く救われたとするのなら、またヨーロッパ世界中心主義ですか、という気もしますね。生意気ながら。 お陰様で、何とか、日本語に移せそうな気がしてきました。明日いっぱいは、オープンにし、こういうひねくれた考えで訳しても良いものか、ご指導を請いたいと思います。この度も、大謝です。
補足
誤記が多く、申し訳ございません。"The Hot Gates"ですよね。
- ismael
- ベストアンサー率33% (228/687)
まずPsalmは、詩編ですね。 文脈が解らないので確かなことは言えませんねえ。 コペルニクスは若い頃神学も勉強していますのでその関係かもしれませんし。 旧約と新約の関係は確かに曖昧ですね。 ただイエスの生涯はモーゼのそれと共通点が多いですね。 キリストの生涯は、「旧約に述べられた予言の成就」であったというのが新約の最も大きなテーマだと私は考えています。
お礼
再び御回答いただき、ありがとうございます。お恥ずかしい限りですが、確かにPsalmはダビデの作ったといわれる詩篇のことですね。 やはり、もっと文脈がはっきりしなければ、これ以上の推測は無理かも知れないと私自信も考えています。コペルニクスの他にも、当時の「科学者」は必ず神学を学んでいるのでしょうが、地動説を唱えた時に、何か、聖書について述べたのでしょうか。 私も、旧約の成就がキリスト教についての一つの味方であると思います。一方で、キリストを、ユダヤ教の革命に失敗した挫折者と見る人もいますね。実に難しいところです。 ニュートンは、例えば、三位一体という我々を悩ます言葉や考え方が、聖書執筆者の私的野望による加筆と断定することまでしており(私もそう思っています)、時代が進むにつれ、科学者や哲学者によるキリスト教の教義に対する批判は非常にラディカルになりますね。それでもニュートンは、科学者として大成功しました。時代の問題でしょう。 では、コペルニクスが、どこまで、教会に挑戦したのか。ガリレオと比べて教会がコペルニクスに温情的だった(「抹殺」というのは私の完全なエラーです)のは何故か。そういうポイントも考えてみたいと思います。 大変有益な助言をいただき、ありがとうございました。私の手元にあるのは、William Goldingの"The Hot Gates"という著作にあるコペルニクスに関する9行の抜粋です。 原典を通読するのが却って早道かも知れませんが、それでも、大きな文脈の中で考えなければなりませんし、私に、その時間は残されておりません。もう少し、締め切りとポイント発行は延ばさせていただきたいと思います。重ね重ね、ありがとうございました。
- ismael
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イザヤ書第61章あたりに#1さんご指摘の件が出てくるようです。 http://www.cresourcei.org/isa61.html 私はdespair and hopelessnessからは「絶望の縁」という日本語が浮かんできます。 絶望の縁に立つことが有っても神は必ず助けの手を差し伸べる、というのがキリスト教の教えでしょう。 http://www.asahi-net.or.jp/~wf6t-nhr/messages/98-2files/980412.html
お礼
御回答ありがとうございます。確かにキリスト教の支柱は、苦難にあっても神が救済する、ということに尽きると思います。少し、despair and hopelessnessという言葉にこだわり過ぎたかも知れません。要するに、コペルニクスの地動説がキリスト教会によって否定されたのは、旧約の創世記(その4日目)に書かれていることに反した主張だったからでしょう。創世記によれば、神は「二つの大きな光る物(太陽と月)と星を造り」、それらを「天の大空に置いて・・・昼と夜を治めさせた」ことになっています。朝になれば、太陽が動いて光をもたらし、夜になると、月や星が動いて現れ、闇をもたらすということです。まさに天道説です。地球が不動の中心ということですね。キリスト教もユダヤ教も、創世記は共有しているということでしょう。 とすれば、原文のChange and HopelessnessのChangeが、このドグマを破る地動説で、Hopelessnessというのは、バビロン捕囚の時のユダヤ人の嘆きであるDespair and hopelessnessを、ドグマを破られたキリスト教会の嘆き(権威を持った教会が嘆くわけはなく、コペルニクスを抹殺したわけですが)に被せているということではないかと推定されます。 大変参考になりました。ただ、私自身、まだ、しっくりと理解できたとは言えない状態ですので、更なる御回答やアドバイスをお願いいたします。
補足
旧約と新約の連続性は大変難しく、旧約では、シオンの丘にいるとされたヤハウエ(無形の人格神)と、選民ユダヤ人との間の契約(「出エジプト記」の十戒に顕著です)や、救世主メシア出現の願望、および、キリスト教がメシアとするキリスト(ユダヤ人はこれを認めず十字架にかけます)の出現までにユダヤ民族がたどった神話的歴史を記しています(間違いがあればすみません)。旧約に新約のエッセンスがあるとする神学者が多いものの、私は、よく分かりません。新約では、イエスが、その人格神は、ユダヤ人以外の民族をも救済するとした点で、大きな亀裂を生じさせます。私の浅学では、旧約は、大きく言えば、ユダヤ人の宗教願望を記したものと思われます。しかし、ご指摘通り、どのような苦難が訪れようと、必ずヤハウエがユダヤ人を救うというシナリオになっています。私の稚拙な検索では、Despair and hopelessnessという表現がはっきりと現れるのは、Psalm(哀歌)の137番で、いわゆるthe Babylonian Exile(バビロン追放)の嘆きの中のようです。つまり、ユダヤ人のヘブライ王国が、イスラエル王国とユダ王国に分裂し、抗争をしたため、神が怒り、イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、ユダ王国もバビロニア王国によって支配され、ユダ王国の民はバビロンに捕虜として移住させられました(バビロン捕囚)。Psalm137のテキストは見つかっていません。結局は、ユダヤ人捕囚は、ペルシアに救済されて、ユダヤ教というものを作ります。 http://www.pauline.or.jp/calendar/calendar200510_03.html http://faculty.ucr.edu/~andrew/bible/readings4.htm
お礼
御回答ありがとうございます。やはり聖書ですか(旧約は大の苦手で、日本語でも読み通したことはありません)。"Despair and hopelessness"を援用したものとすれば、確かに分かりやすいですね。恐らく、当時の教会に対するきつい皮肉でしょう。私自身も、旧約に的を絞って調べてみたいと思いますが、日本語に直すとすれば、"Despair and hopelessness"のオリジナルの文脈が分からないと相当に難しいですね。御助言通り、もう少し、他の御回答もお待ちしようと思います。理解のための貴重な第一歩となりました。ありがとうございます。
補足
全ての御回答へのコメントです。体調不良で遅くなりましたが、これからポイント発行をさせていただきます。どの回答者様も甲乙つけがたく、全員にポイントを発行したいのですが、gooのルールに従わねばなりません。この場を借りて、ポイントを付けられなかった回答者様へお詫びと御礼を申し上げます。