本を読んでも"自分"を保てますか?
哲学や学問は世界を探求した結果がまとめられたようなものですよね。
それを自分に取り込めば、世界への理解がインスタントに得られ、
生活に役立ったり、よりよく生きることが出来るようになったりします。
しかし、そういった哲学や学術の本を読んでしまったら、
読まなかった以前とは思考や思想が変わってしまったり、
もし同調などしてしまったら、"自分らしさ"なんて消えてしまうのではないでしょうか?
例え上手く付き合ったとしても一度読んだものは忘れることは出来ないわけで、
『影響されなかった』と言い切ることはできないですよね。
哲学の本などは特に価値観や思考に直接関係するようなものばかりで、
もし影響されやすい人なら、本の内容そのままの思想に乗っ取られ、
作者のレプリカみたいなモノになってしまったりするんじゃないのでしょうか?
もちろん、内容すべてに同調することは殆どないと思いますが、
その本の一部でも吸収してしまったら、もう読んだ人は"天然もの"じゃないですよね。
色々な本を読んで、自分が最も共感できる者を択一する…。
一見、オリジナリティ・個性をを保持したままのような感じがしますが、
実際はただの寄せ集め…ちぐはぐな存在でしかないのではないでしょうか。
彼が後に本を出したとして、その内容はしょせん過去の本からの引用…。
何百年後に評価されるような事はあるのでしょうか?
古今東西の哲学書を読んだ哲学者より、
森の中で生まれ育った人間の方が、よっぽど斬新で有意義な本を書くのではないでしょうか?
科学の分野で古い理論や最新の理論を読んだとしても、
それは過去、或いは直近での「事実」を読んだに過ぎず、
今や未来での「真実」を追求するのに何か役に立つことはあっても、
それ自体が「真実」に影響を与えることはないと思います。
(世界は平らだといっていた時代があったから、いま地球が丸い、というわけでないように)
ところが哲学…思想や思考に関するものには「真実」がないですよね。
あるとしても個人のセンスに依存しているわけで…。
そうすると過去の本を読むことは、いたずらに自分を汚すようなものじゃないんですか?
科学が研究して真理を求めるように、人は経験し自らの思想思考を育む。
なのに本を読んで、こりゃあいいやって傾倒したら、
それは真実が変わってしまったかも知れないってことですよね。
20世紀には沢山いい哲学者がいたようですが、
21世紀にも、後世で「すごい人だね」と言われるような人は現れるでしょうか?
哲学-学者は哲学者になりうるのか…。
オリジナリティに溢れる哲学者はどこから来るのか…。
どうお考えになりますか?