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日本語における修飾語のインフレ化傾向

日本語は、古代の王(きみ)に対して大王(おおきみ)から、現在のチョベリバなどに至るまで修飾語のインフレ化傾向が強いと思いますが、諸外国でも「グレート」など同様な表現が見られます。私は個人的に、日本語の修飾語のインフレ化傾向は非常に高いと考えていますが、如何でしょうか。

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  • kawakawa
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回答No.1

歴史的に見て、日本語は古代日本語と朝鮮半島及び中国大陸の言葉に南方(東南アジア系?)の言葉が混ざってできたものと考えてよいのかも知れませんネ(別の説もありますが)。 中国の古典を読みますと、『白髪三千里』や『久しく服すれば身軽く、齢二百歳を数える』のような表現が多用されていますネ。いくら白髪が伸びても1.2kmも延びないでしょうし、体に良いものを飲んでもそんなに長生きはしないでしょう。同様に朝鮮半島の古典を見ても『XX王は、数百年に渡って統治した』といった表現が見られます。 これらの影響を受けてできたのが、日本語の元と思われますので、誕生の時にはすでに過剰修飾をするように運命付けられていたともいえるような気がします。 世界で最も、感性的な修飾語が少ないのはヘブライ語であるとも言われています。ユダヤ教では偶像を許されないため、何かを現すときには具体的に徹底的に言葉で表現するしかないからです。 近頃の日本語で『チョー怖~い犬がいた』と言う場合、ヘブライ語ではその犬が何故どのようにどれ位恐ろしいのかを客観的にわかるように細かく表現します。 それはさておき、ご指摘のように、最近の日本語では、『チョー』を代表とする安易な修飾が多用されていると思います。これは、語彙の乏しさ、感性の単純化によるものであると思われるのです。 かといって、ヘブライ語のように、とことん細かく表現されても大変なので、ほどよく適当な修飾をすべきでしょうネ。 以上kawakawaでした

haijin22
質問者

お礼

またまたお世話になりありがとうございました。過日「okweb」で、学生のレポートと「思しき」質問の激増に怒りをおぼえたばかりなのに、今では臆面もなく「レポートなので」なんていう愚問が津波のように押し寄せてくる中ようやく助けが来た気がしました。もうしわけありません、質問の津波に少々過労気味なのでまともなお礼は申し上げられませんが、「感性の単純化」という点は「語彙の乏しさ」(いわゆるボキャ貧ですね)とともに理解できました。こういう過剰修飾は、化学でいうエントロピーとも関係あるのでしょうか。

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