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期待を裏切る事の不安
オーディションや試験のような、他人の努力と競う物に応募しました。 既に結果待ちなのですが認められたかどうかが不安でたまりません。 というのも、明らかに今回は自分の努力が足りなかったのです。 仕事ではないので手抜きをしても誰かに迷惑をかける事はありません。 ただ今回は色々な人から期待を寄せられており、それに応えられるだけの努力をできなかった自分が恥ずかしく情けないのです。 他人の期待を裏切る事と次回につながらないかもしれない事が大変不安です。 自己評価が低い、自信がないと言われますが、努力し尽くせなかったのが事だけが頭をぐるぐる回ります。次回頑張ればいいという気には一切なれないのです。 取り留めない質問ですが、どうしたらこの不安感が解消されるでしょうか。
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- 23tomo-u
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回答No.1
自分の人生ではなく他人の人生を歩んでるようですね。 その試験は誰のために受けたんですか? 自分のためなら周りの期待は気にする必要はありません。 誰かが質問者様にその資格をとってほしい、と言っているわけではないので。 他人の期待のために試験を受けたならそれは誰でも不安になりますね。 落ちたら怒られそうですし。 つまりその試験を受けた「動機」です。 動機がネガティブなものだと受かったとしても 自信をつきません。「面目を保つ」程度のものなので。 動機が自己成長のためとかポジティブなものであれば、 受かっても落ちてもやり遂げた感がありますし、 受かれば嬉しさ倍増です。 ただ難しいのは動機がネガティブかポジティブかは 自分では中々気づけないところです。 自分に気付きたければ第3者のサポートが必要ですね。
お礼
ありがとうございます。 結論として、今回一次審査についてはこれまでで最も高い評価を得られました。 今は嬉しさよりも完璧ではなかった点にばかり目が向いています。 テストで90点だったから、残り10点の部分を嘆いているという感じです。 これから待ち受ける二次審査の評価も怖いです(既に提出した物で判断されるのでこれから何か出来る事はないです) 動機の一つ目は他者承認と自己承認の為、二つ目は人に喜んでもらいたい為です。二点は重なっているかも知れません。 他人の人生といわれると泣きたくなります。 人に認められたいし、人を喜ばせたいのです。 これだけ出来ているじゃないかと人にいわれても、実際の結果を目の前にしても人心を動かしたり役に立っているという実感がほとんどないんです。