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ピアノの技術を習得する臨界期はあるか?
ピアノ弾きの方にお尋ねします。 ピアノの技術、テクニック、 これに臨界期というものは存在しますか? 人は、よく技術という言葉を口にします、 私は、技術とは何か?はっきり理解していません。 これが技術だとは、わかりません。 この技術、誰にでも身につくものでしょうか? ピアノを教えてて、この子には無理と思う事とかありますか? いわゆる、この子は上達しない、 練習嫌いという理由を除いて、ありますか? また、ピアノの技術の臨界期は存在しますか? 同じ先生に習って、こうまで差がつくのかと 思う生徒さんを見るにつけ、 誰にでも、身につかないのか、 身につける子と、そうでない子の差とは? 考えるようになりました。 上手く文章化できないので、わかりにくいと思いますが どうか、よろしくお願いします。
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私は多くの生徒さんを教えたことがないので、的確な答えではないでしょうが、自身の経験をお伝えして参考にしてみてください。 ピアノを習って3年目に、ショパンの初期のワルツの中の有名な「小犬のワルツ」を習いましたが、指がもつれてどうしても弾けませんでした。嫌いな楽曲ではないのですが、自身の中で、この曲は「こうあるべき」というイメージがつかめなかったのです。今でも苦手な曲です。 一方、ショパンのソナタNo.2 第1楽章など弾きたくてしかたがなく、自身がチェルニー40番グレードの頃、遊びで弾いても全然できなかったのが、半年後に改めて弾いてみるとできてしまったり、何度メトロノームを頼りにラルゴ程度の速度から練習してもできなかったラフマニノフのPコン2番の冒頭の第1主題提示部のピアノ伴奏が、ピアノに触れることも音楽活動自体すら全くできなかった半年後に、やはり弾けるようになりました。 これらの実例は、好きな事はたとえ技能が高度でも、ある一定期間中に脳内で、シナプス神経系が連合できるようになったことを意味しています。そして、嫌いな事に対してはそのような連合はできにくいいことを表しているのではないでしょうか? 私自身は、理科系の大学に進学しましたが、高校3年の秋まで高校の数学が全くわかりませんでした。ところが、ある日突然わかるようになったのです。それから毎日8時間数学を勉強し、なんとか受験には間に合うことができました。 偉大なノーベル賞受賞者のローレンツも、高校の時まで「微分・積分」が解らなかったそうです。やはり、その後、急に理解が進むようになったそうです。そして、彼の分析によれば「理解には、成熟期がある」というのです。 私の経験もそれに加えるならば、成熟期とはつまり脳内の神経シナプス形成の受け入れ状態がOKになった時期を表し、その人ごとに順番や時期が異なっていて、しかしある準備段階が整えられれば学習すべき内容や技能の獲得が速やかに可能になるということなのでしょう。 それは、好きな事や必要がある時に、促進されるのですから、そういう時、脳内に学習好適ホルモン(βエンドルフィンなど)が多く分泌されるため、学習が可能になるのだと考えられます。 臨界期の有無についても、このようなことを考えに含めていかないと解明できないでしょう。 従来のような決まった練習曲集をどの生徒さんにも一律に練習させるというのではなく、もちろんそれも大切なのですが、生徒さんの好きな楽曲、それも自身の技量よりやや上のレベルの曲を中心にして、そのために必要なエチュードも編成し、練習してもらうのが、生徒さんの上達には近道なのでは?
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- kitanoms
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ピアノの技術と一言で言ってしまいますが、それは様々な技術の集合体ではないでしょうか。その中には、絶対音感、暗譜能力などのように、臨界期があると思われるものもあります。一方、指を動かすという運動能力については、少しずつでも上達しつづけるものだと思います。また、音楽性などというハートの問題に関わる分野は、経験すればするほど深まってくるものかもしれません。したがって、プロフェッショナルな道に進むとすると、一定年齢を越すと大変厳しくなりますが、趣味として楽しむなら60の手習いも大いに楽しめる分野だということになります。 一方で、聴力、視力、運動機能などはピアノ演奏に大いに関わる部分ですが、老化に伴う技術低下も避けられません。これは臨界期とは別ですが。
ピアノを続けている限り,習得度に個人差はありますが, その人なりに少しずつでも上達していきますので, 子どもの場合は,突然,上達が止まる時が来るということはないと思います。 しかし,現実に,ピアノに向いているとか,向いていないとか, 才能や能力の差はありますので,ある程度のところまでくると, なかなか,その先には進めないということもあります。 技術的な面では,その人,その人の限界はあると思います。 小さな子どもの場合は,まだ,その限界の到達点に来ているとは思いませんが…。 言ってることの理解が早い人もいれば,なかなか分かってくれない人もいます。 言ってることが理解できてなくて,分からないようなので, どう言えば分かるのかといろいろ考えて別の言い方をすれば, かえって混乱させてしまうので,言い方を変えないで, ひとつの言い方で通した方がよいと思います。 また,本人がどれだけ努力できるかも能力のひとつかと思います。 一生懸命にやってるつもりにも個人差があります。 100の練習をしているのに,まだまだ練習が足りないと思う人もいれば, 70の練習をしただけで十分できたと満足する人もいます。 後者のような人は,やはり習得が遅いです。 本人は十分に頑張っているつもりなので,「もっと頑張って」と言われても 何をどう頑張るのか,あとどれだけ頑張るのか分からないようです。 そんな場合は「もっと頑張って」と言うよりも,いい点を見つけて「ここが良くなったね」と 言ってあげると励みになるようで,自分から進んで「もっと頑張ろう」という気になってくれます。 弾けてないところは自分でも弾けてないと分かっていますが, 頭で理解できていないことは,その人の成長を待たなければ いけない部分もありますね。
- mariateresia
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ピアノはやはり第一に「手」というか「指」の先天的 な良し悪しがあります。 又、才能もしくは音楽性を持ち合わせているかどう か、この2つは絶対的条件です。 先生の良し悪しでもすごく違いますが、天才は誰にも 習わなくても上手になります。 例えばサッカーの選手は、それなりの才能が必要です よね。 すべてのスポーツ選手は絶対に体に恵まれ、運動神経 がなくてはいくら努力しても駄目ですよね。 又、バレエリーナは無条件にスタイルが良くないけれ ばならないとか。 ある程度のピアノの技術は身につきますが、全然才能 がない生徒もおります。 先ず、頭が悪い、指がふにゃふにゃ、音楽性がない。 手がたとえ大きくともピアノはやっても無駄です。 私も長いこと自分でコンサートをして、沢山の生徒 を見てきましたが、結論として ○良い先生とはその生徒の才能を最大限引き上げる 事の出来る先生です。 生徒の能力以上は先生ではどうしようもできませ ん。 しかしその才能を最大限引き出すことの出来る先生 もあまり多くないのも事実です。 有名な先生は、その才能のある生徒を紹介されてそれ 以上の高度の技術を教えるのです。 技術の臨界期は、例えば本来は才能があるのに先生 を変えて、その奏法がちゃんと飲み込めてあっという 間に上手になってしまったという例は沢山あります。 ピアノの奏法も、言ってしまえばスポーツのフォーム と同じで、しっかりしたテクニックの理論的なフォー ムがあるのです。 もうひとつ。 一人でこつこつ持続する努力を苦にしない性格も持ち 合わせていなければなりません。 これもひとつの才能でしょう。