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クラシックピアノとの付き合い方について
大学生の男です。 少々長くなりますが、お付き合い頂けるとありがたいです。 僕は今、これからクラシックピアノとどう付き合っていくか、 悩んでいます。 僕は今でピアノを弾くのが好きなのですが、 小さい頃は練習を嫌がってあまりしなかったため、 技術は(真面目に続けてこられた方と比べて)ほとんどありません。 実際どれだけ弾けるのか、自分自身あまり正確に把握していませんが、 いままでやった教本をあげると ・ハノン(全てはやっていない。いつも指慣らしに使用) ・バッハのインベンション(2声)(一応さらった) ・チェルニー30番(終了) ・チェルニー40番(20番あたりで止まっている) といったところですが、内容がきちんと身についているかというと疑問です… また初見の練習を全然意識してやってこなかったので、譜読みが非常に遅く、 短めの曲(チェルニーなど)でもつっかえつっかえになってしまうため、 いつも部分部分抜き出して、しかも片手ずつ取り出して徹底的に練習する というとても非効率的なやり方をとっていたので、 無駄に時間をかけて結果的にその曲だけは弾けるようになっても、 初見力、譜読み力、鍵盤感覚、集中力、等、基本的な部分が身についていない ように感じます。(実際上達が遅すぎることは感じています) また指もあまり独立していない、脱力が上手く出来ず無理に練習して 腕を壊すこともよくありました。 練習曲以外の曲としては、色々手を出しましたが、(先生の勧めで月光第3楽章など) 手を出した曲はほとんど全て自分の力量を超えていたものばかりで、 馬鹿みたいに練習に時間をかけた結果、結局まともに弾けずに諦めてしまうことばかりで、 正直、何か弾いて、と言われてもまともに弾ける曲がないです。 ちょいちょい練習して無理なく弾けるものといったら、 ソナチネアルバムの曲や、いくつかのモーツァルトのソナタくらいでしょうか? (クーラウなどの古典の界隈の曲はあまり好みではないですが…) 僕は4歳のころにピアノを始めましたが、 幼少時代は特別ピアノに魅力を感じていたわけでもなく、 ただただ練習が嫌で、真面目に練習していた人と比べて ほとんど上達しませんでした。(小学4年生でベートーヴェン の「エリーゼのために」(パガテルの方)をつっかえつっかえ 弾いていたような気がします) そんなこんなでダラダラ続けていつしかレッスンに行かなくな りました。 しかし中学3年生の頃に動画サイトで見た様々な方のピアノ演奏に衝撃を受け、 以前ならっていた先生のもとで習い直すことにしました。 それから ピアノの教本の進め方などについて徹底的に調べ、がむしゃらに 練習するようになりました。(思えばあまり考えもせず) 早く自分の弾きたい曲の数々を自由に弾けるようになりたいという一心と、 今まできちっと練習してこなかったことの焦りや後悔も相まって、 がむしゃらに練習しました。 学校から帰り、手を洗ったらすぐにピアノへ向かい まともに頭も使わず、ひたすらハノンやらチェルニーやらを弾きに弾きまくって、 気が付いたら夜中になっていた、ということがざらでした。 高校1、2年の頃はほとんどそんな生活をしていたように思います。 当時の僕は本当に、 時間の使い方だったり、目標や計画の立て方、 物事が上手く進まないときの対処法、気持ちのコントロールの仕方など 『日常生活を適切に回す上での知恵』 というものが全くなく(今も苦手ですが)、 更にピアノが上手くなりたいという一心で冷静さも欠いていたため 練習においてろくに頭も使わずに指を動かすだけ動かしつづけたり、 全然集中できていなくてもダラダラと練習を続けたり、 効率もくそもあったものでない状態で、 あまり上達しませんでした。 今となっては少しずつ生活の知恵をつけるようになり、 色々と考えながらピアノと向き合うようになってきました。 そんななかで、、 いくら技術の習得の段階とは言っても、 基礎練習や練習曲の練習という際限のない苦労ばかりにエネルギーを 注いでばかりいると精神衛生上よくないと思い、(というかむしろ先生に指摘されました) あまり気張らず、自分の弾きたい曲も息抜きとして一緒に練習して、 楽しみながらピアノと向き合う方針でいこうと思い、 去年の発表会では自分の好きな曲(バッハのイタリア協奏曲)を弾きましたが、 まぁ自分の「弾きたい曲」となると大概、多かれ少なかれ自分の力量を超えている ものばかりで、結局は練習をしているうちに、 「息抜きに楽しむ」ために取り入れた曲が「苦労」に変わってしまいました。 (発表会では楽しく演奏できてよかったですが) そういうこともあって、 結局自分が弾きたい曲を弾ける技術を身につけるまでは 「音楽を楽しむ」をあまり考えず、ひたすら地道な努力を続けるしか ないのかな?とも思ってしまいます。 地道な努力そのものに苦しみはあまり感じませんが、 そのために楽しむことを放棄するのも、 モチベーションの維持という点で問題かな?と思ってしまったり。 まぁ音楽に限らず、何事も自分の能力の範囲でできることを探すのは大事なことだとも思いますが。 僕はどうピアノと向き合っていけばよいでしょうか? 抽象的にでも具体的にでも構いません。 皆さんのアイデアを聞かせて下さい。
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プロでなく趣味でやるなら、自分のスタイルでいいと思いますよ。 まだお若いからきっと、基礎もきちんと 精進に励み 完成度が 音楽性が と、とても純粋に気になると思いますが きっと、その辺も年齢や時間とともにうまく折り合いが付くと思います。 もったいないのは、純化した、精進しなくては、技術を高めなくては きちんと弾かなくては、こうしなくては で続けられなくなってやめてしまうことです。 細々でも、その人よがりでも、音楽は楽しむことができるし続けることができるはずです。 私は再開組ですが、楽しいのはいろいろと弾き散らかしていることです。 初級中級の名曲集、ピアノピースやダウンロード楽譜などで。 自分が短時間でまあまあ弾けるレベルでレパートリーを増やしたり 力量を超えていても、チャレンジしてみたい曲をやったり。 同時進行でやっていて、しばらく寝かしてるうちになぜか難所を乗り越えていた曲もあったり 複数、独学で同時進行することで初見がちょっとずつできるようになったりとか。 それで弾き散らしていると、ガッツリ引き込みたいときが来てガッツリ引き込み ああ、これじゃ指が独立してない、と基礎練習を取り入れたり。 たぶん社会人になったら練習時間もそんなに取れないし 曲メインでやっていく方が早いと思います。 単語帳や文法の小冊子を覚えるより 模試や過去問を大量に解く→不足のところや、必要性を理解して基礎を解く方が 効率的に勉強できるのと一緒です。 あとは成人クラスの発表会とか覗いてみてもいいと思います。 初心者レベルでもなんでも皆さん楽しそうだし その方の情緒性を出していて、年配の方の演奏は楽しい。 子供や上を目指してる人の、とにかく上手く、っていうのともまた違う。 音楽ってその人にしかできない演奏が確かにあると思います。 プロや講師を目指すわけでなければ、その方がひとを感動させたり 自分が楽しめたりするのでは。
- auagcu00
- ベストアンサー率37% (166/447)
プロになるわけでもあるまいし、そんなに深刻に考えなくてもよいのではないでしょうか。 目の前にある課題曲をただ一心不乱に弾く。効率なんて考えない方がいいですよ。昨日より今日少しでも弾ける部分が増えたことに満足して自分をほめてあげましょう。先生が与えてくれる課題曲はどれも珠玉の名曲、なおかつ練習曲としてもすぐれてる曲だと思います。あせらないで地道に練習すれば、自然に音楽の楽しさにより近づくことができ、達成感も得られると思いますよ。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
今までどうり、、、変わらないのでは、、、。
お礼
そうですね、 励ましてもらいたいだけなのかもしれません。 ただ僕は長らく、ピアノに対してあまりにも不器用な付き合い方をしてきたので、もっときちんとした目標設定のしかたや、効率のよい練習の計画の立て方、気楽に接していくための心の持ちようだったり、自分で気付けない改善点がたくさんあるのではと思い、質問しました。
お礼
回答ありがとうございます 他人と自分を比べるのは(競争相手になり得る相手ならともかく)ナンセンスと思うようになり、比べることはしなくなりましたが、周りで弾きたい曲を次から次へと好きなように弾いている人たちを見ると、どうしてももどかしい気持ちを抑えきれず、衝動的に取り憑かれたように練習した挙句、腕や手を痛めたり(脱力が出来ないため)、時間を取りすぎて他の予定をこなせなくなってしまうことが多いです。 学業や日常生活、読書、趣味など、やるべきことが色々あるため練習時間を限らざるを得ず、じっくり練習出来なかったり、バタバタして練習出来ない日が続いてしまうことも焦りを駆り立てています。 そういうこともあって、効率面に目がいってしまうわけです。 まぁそこは上手くやるしかないですが…