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違憲のどこがいけん?
自衛隊の存在は事実上の軍隊であり、護憲派も自衛隊がいらないと言う極端な人は余りいないと思います。この自衛隊の存在が軍隊であるとすると、憲法九条は違憲状態なので改正した方がいいという流れになっているように感じます。 しかし、私は違憲状態でもいいのではないかと思います。なぜかというと、理想主義(ある種のイデオロギーなど)は歴史上、たくさんの悲劇を生んできた気がするからです。 世の中には、たくさんの矛盾があると思います。しかし、その矛盾に対しても排除するのではなく、現実の一部として受け止める方が、より現実的な対応だと思います。 完璧な世の中は、頭の中だけの机上の空論だと私は思う。 憲法を改正したいと思う人の意見(哲学)が知りたいです。なぜ、違憲がいけんのか? 私には理想主義の世界は息苦しいばかりです。日本の新たなイデオロギーのようなものを感じるのですが、この流れは民主主義的なものなのでしょうか?
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理論的構造と現実的構造は必ずずれがありますよね、一致はしないわけで、私はいまの憲法は現実的判断による、理論的なずれがおきていると思います、まあ、つまりアメリカは戦争ばかりする国ですから、そういう国と付き合うのには、何らかの手段が必要、そのために9条があるんではないかと思っているんですね。 つまりアメリカの要望をはねつけるために9条がある、9条がなければ日本は韓国のようにベトナム戦争に参戦し、多くのベトナム人を殺したでしょう、9条によってそれを防ぐことが出来たわけです、つまり憲法のほうが理想をいっているようで、実は現実的な構造を持っているんですよ、昔の人は非凡な人が多かったからただの理想など言うはずがない、現実的意味を持たせていますよ、ちゃんと憲法にもね、それをそこら辺のおっさんの集まりのような政治家連中が変えようとしているわけで、これは理論的のおかしいから変えようではないかとね。 そうなると、つまり今ある現実的構造を理論的構造にあわせよう、変えようとしているわけで、しかし理論的構造であれ法であるならば、現実的意味がある、それが元の状況とどうずれるかみなければならない、が、いま憲法を改正しようとしている人は、現状の憲法をただの理想としか見ておらず、その現実的意味を見ていない、つまり今の憲法改正をしようという考えの方が、どちらかといえば理想主義であるのが、この世の喜劇的側面というところかな。 まあとにかく現行の憲法でもあっているわけで、それを理論的修正するということは、ずれを修正するように見えますが、また別のずれを生むだけ、そもそも日本のような軍事大国にはさまれた国家が、軍事力をまともにもてないのは当たり前で、その結果日本の軍事に何らかのゆがみやずれがあるのは当然だと思うんですけどね、スイスだって永世中立とか言いながら、国民は全員軍人ですからね、ゆがんでますよね言っている事とやっている事が、 日本も同じで軍事国家にはさまれている以上、軍事的考えはなんらかの形でゆがむものです、それが憲法9条のゆがみではないかと思っているんですけど、わたしもそのゆがみを認めるべきだと思っていますが、もし変えるのなら、また何らかの別の形でゆがみを持たせねばならないと思っています、単純に軍事力をどーんとやったらどうなるか?、それが明治以来の戦争の歴史なわけですから、いいかげん日本人も自分の国のことを理解してほしいですね。
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- akitsu01
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私の考えで恐縮ですが、違憲である状況を放置すれば…… (1)外国の人間から『日本人は自分の作った法律を自分で破っている』という風にとられ、信用を失う恐れがある。 (2)そもそも違憲の存在である以上他の法律の規制も受けない。という無茶な論旨で軍部の独走を法律上制御することができなくなる恐れがある。 という問題があります。 言ってる事とやってる事が違う国は信用されないでしょう。 民主主義を守る上でもシビリアンコントロールが排除される可能性をつぶしておくべきと考えます。
お礼
ありがとうございます。 (1)”自分の作った”と言うところは異論のある方もいるように思います。スーパー301条のような自国のみ都合の良い法律でも、法は法なのかな。 (2)軍部の独走はどうなんでしょう?漫画の主題としてはありだけど、現実には? シビリアンコントロールが守られるとしても、肝心の文民が暴走する可能性は誰も否定できない。アメリカのように日本もなれるのだろうか。
- kanpyou
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かつての天文学者に「ガリレオ」がいました。 彼は、「地動説」をとなえ、当時の国教と一体である「天動説」と真っ向対峙しました。 真理を是とするか、説諭を否とするかは、『世論形成』にほかなりません。
お礼
ありがとうございました。 それでも地球は動いている、とガリレオの伝記作家が創作した言葉が、現代ではガリレオ本人が言った言葉だと誤って伝わっています。 現在では、世論の形成は、マスコミが作るものになっているのかも知れません。戦争広告代理店なんて言葉もある世の中です。
戦前の軍国主義は軍隊を法の下に規制できなかったことから起きた暴走です。 同じように自衛隊の規定が憲法に無いことは純粋に危険なことだと思います。 見方を変えれば自衛隊を正しく縛り付けるために憲法改正は必要だと思います。
お礼
ありがとうございます。 軍部の暴走は、民主的な憲法のお手本とまで言われるワイマール憲法のもとでも起きてしまったようです。いわゆるナチスがそれにあたるのではないでしょうか。 シビリアン・コントロール(文民統制)は、アメリカのネオコンの動きなんかを見ますと、果たしてそんなのいいものなのかとも思います。 かわいい部下達を死なせたくない軍人よりも、戦争でビジネスをしたい人の方が発言権が強いなんてどうかと思います。パウエル(元)国務長官のような人の方が戦争に対しては慎重で冷静な判断をしていたと思う。
- flashprim
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憲法の発祥はもともと「法律」の発展系であり、家風、村風、社風、国風などがあるように、人が集まれば(組織)、それは「人格」に似た「性質」を帯びるようになります。社会生活の中で様々な問題が発生し、それを解決するがために法律が出来上がりました。最小の単位である人と人の間にルールが発生するように、社会にも適用する、させるべきルールが生まれます。それが法律です。法律は人を最大限に矛盾なく制するがために父性的、母性的な「人格」が備わります。客観性が配慮されているためにそれは見えにくいです。西洋におけるルールは宗教的概念の神と人との「契約」から端を発します。これを概念として正しさ、正しく無さを構築していきました。組織に人格性があると人々は気づくと、国家にも積極的に主張しようとする機運が生まれました。それが憲法でその国の人格を法の名のもとに表明しました。 憲法に触れるのが悪いのは法律に触れることが悪いのです。法律に触れることが悪いのは社会が損なわれるから悪いのです。法律を理解できない野蛮人と他国から揶揄されるのが悪いのです。もともと日本で初めて制定された憲法は1889年で、これはイギリスの社会、法律形態を日本に会うように咀嚼され出来上がったものです。幕僚政治を脱ぎ捨て先進国の仲間入りを望んだのです。文明人(市民)はその義務として法律遵守を負います。 僭主制、寡頭制、絶対君主制と人々は抑圧され、疲弊されてきた。その学びから、神との契約を援用した高邁で、高遠な法律を制定して、それに従おうと自己に定めたのです。 以上、憲法に関しては歴史哲学になります。
お礼
ありがとうございます。 憲法は自国民に対しては有効に働くが、他国との戦争などに対しては全く無意味なのでしょうか?アメリカが他国を武力によって民主化するときに、憲法はそれを規制せず、無制限に保障しているのでしょうか? 国際法に対する位置づけがよく分かりません。
- mmky
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法あるいは法律に従って多数が生活する社会(法治国家)では多数が法律を解釈なく理解できないといけないと言うことだけですね。 明治に憲法が制定され、戦後に現在の憲法が出来ましたが長い期間、憲法を三種の神器のようにとらえてたふしがありますね。 憲法にしろ、一般法にしろ法律は、多くの人がそれに依拠して生活するわけですから、理想主義者や神官の神器ではないのですね。多くの人々の考え方や実態や環境が変われば法律もそれに合わせて変わっていくということでしょう。そうでなければ、民主的な法治国家ではないですね。人の生活がかわり社会環境がかわれば民意が法律を改正していくこれが民主主義の原則ですね。現実的にも、いろいろな法律改正は改正反対とか賛成という2元論では論じられていないでしょう。
お礼
ありがとうございます。 日本の法律は、官僚が立法して、政府提案で議会にだしているだけのものがほとんどのようです。立法権を官僚に丸投げした状態では、三権分立を放棄しているのも同然です。 政治家の正当性も、一票の格差がある限りは、あまり100%認めるわけにはいかない気がします。そんな政治家達を生み出す日本の政治システムは、果たしてどこまで民主的なのだろうか。そんな状態で憲法をどこまで変えるつもりなのだろう。
- pyon1956
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個人の趣味や主義主張の問題ではないからです。 #1のかたがおっしゃるように法治国家で守らなくて良い法律がある、ということでは法そのものの「権威」が無くなります。法は国の強制力によって強制されるものですが、その根本である基本法=憲法を守らなくていいのであれば、当然ながら他の法も守る必要がなくなります。 また、理想主義が悲劇を生んだ、というのほどうでしょうか?実際に悲劇を生んだのは理想主義ではなく、理想主義を利用した権力亡者なのでは? このあたりは少なくとも意見の分かれるところでしょう。 そういう意見の違いを気にせずに表明できることは言論の自由なのですが、少なくとも第2次世界大戦以前は日本では言論の自由はなく、ある種の意見は表明するだけであるいは逮捕されあるいは殺されあるいは弾圧されていました(弁士中止!、って知ってます?)。 今でも時々政治家が自分に都合の悪い意見の表明を止めようとあれこれします。そういう行動や法律を作ろうとするとき歯止めになっている法律が憲法なのですが。 違憲で良いというのはこういう私やあなたのささやかな言論も弾圧される危険にさらすことだと思います。 理想主義の問題では全くありません。ただの詭弁だと思います。 ついでながら私は憲法の改正を主張するものではありません。違憲だから、実態に合わせて憲法を変える、というのは本末転倒だと思っていますので。
お礼
ありがとうございます。 言論の自由についてですけど、有事法案や周辺事態法、国民保護法案など、有事の際には、国民の権利は最小限に抑制される流れになってきているようです。 テレビ局などのマスコミも、免許が必要な許認可制の下で行動をしているから、有事になれば大本営発表を行う可能性もある。 左翼系の新聞の雄である朝日新聞の迷走がとまりません。元々、イデオロギーに毒された人の方が何をするか分からない怖さがあります。彼等、理想主義者は嘘を平気で言い、新たな悲劇を生み出そうとしているようにも思います。
>国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 永久にと書かれているのに改正しようとするのですから、この矛盾も排除してはならないでしょう。 自衛隊が違憲というより、国際的な平和維持活動が出来る事を盛り込みたいのだと思います。
お礼
ありがとうございます。 永久にとか、絶対にとか言われると、何だか急に嘘っぽくなりますね。永久なんて言葉を使うのは、違和感がある。半永久的とかならまだしも… 日本国憲法とは、それ自体が一種の理念で、現実を表していないものなのかもしれません。 でも、アメリカの大統領就任式では、聖書に手を置いて、憲法守りますなんてことをやっている。 公教育で、進化論を教えられないような国もあるのだから、憲法を保障するものが、神であったり理想や理念でもいいのかもしれませんね。
- chairwarmer
- ベストアンサー率41% (163/393)
バランスを取ってくれてるだけだと思うんですけどね。 確かに杓子定規な理想論だけで世の中まわるはずもなく、目をつぶらざるを得ない矛盾も多々あるでしょう。 ただ人間というのは怠惰な生き物ですので、誰もその矛盾の問題を指摘しないと 惰性によりどんどん乱れていくのではないでしょうか(♯1さんのおっしゃるように) 「理想論を声高に叫ぶ人間もいるが、目をつぶらざるを得ない現実の矛盾点もある」 それで結構上手くいってる社会だと思いますよ。日本は。
お礼
ありがとうございます。 日本でもアメリカでも、憲法や国際法を無視した振る舞いは、探せば出てくるような気がします。結局のところ、国益により、どうとでも解釈すれば良いものなのかも。 惰性により乱れるかどうかは、私には判断できません。そこが、みなさんとの意見の違いになるのかもしれません。私は、程度の問題だと思うのですが、実際に乱れた例をご存知の方がいれば話は楽なのかもしれません。 大岡越前の裁きのような、それこそ裁量権の問題になるのかな。一党独裁国家の中国や絶対王制、絶対君主制の中東諸国では、裁量権の比重が極端に大きいのも問題か。
- 6dou_rinne
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憲法すら守らなくていいというのなら、法律も守らなくていいということになりませんか。 だったら何をしてもいいということになり無法状態になってもいいということではないのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 今の日本は違憲状態だから法律を守らなくていい、と言う人は余りいない気がします。もちろん、現在の日本は無法状態にあると、そこまでは言えないと思います。 何事にも例外があり、100%達成できることはあまりないという意味で、憲法全部を無視してもよいと言う意味ではありません。何をしてもいいというのも、ある意味、極論です。そこには、例外を認めない理想主義の発想が幾分含まれているように思いますが。
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お礼
ありがとうございます。 なかなかの達観ですね。 EU統合なんかも、理想と現実のずれを含むもの。アメリカの中東における民主化ドミノ政策も、理想と現実のずれがある。 平和憲法も、アメリカに言われるがままに修正するのも、何だか余りいい気がしない。 郵政民営化をアメリカが手放しで褒める。 金融庁の操り人形に成り下がった、三井住友銀行前頭取の西川善文にもものの哀れを感じる。