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ラテン語 a nostro secedere corpore possem という語順は正しいですか

逸見喜一郎著「ラテン語のはなし」という本に o utinam a nostro secedere corpore possem! というオウィディウスの文が引用されています。 「ああどうか、私の肉体から離れることができればよいものを」という意味ですが、nostroとcorporeの間にsecedereが入ってしまっているのですが、こういうことはラテン語では可能なのでしょうか。 a nostro corpore secedere possem の方が自然だと思います。

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noname#122289
noname#122289
回答No.2

ラテン語の語順の自由さを生かした表現の技法と理解すれば良いでしょう。 ラテン語では例文のような語順は可能です。「可能」と言ってしまうと仕方なく、やむを得ず変則的な語順を取っているように聞こえますが韻文や古典期の散文ではむしろ「好んで」こうした語順が用いられました。 例に挙げておられる a nostro secedere corpore~は、nostro corpore(我々の肉体から)、secedere possem( 離れることができればよいのに)と読めばよいのです。散文的な思考ではおそらくローマ人でもこの語順で物事を考えていたでしょう。 しかしこれは「詩」なのです。 韻文には韻律の制約もあります。オウィディウスのMetamorphoses(変身物語)は全体がdactylic hexameters という韻律で書かれています(参考URL)。 この韻律に従うと、この箇所はa nostro secedere corporeの語順以外は考えられません。 そのうえこの語順は、 o utinam a nostro secedere までで「ああどうか我らのものから離れますよう」と言った後で corpore possem 「からだから 私ができますように」と意味的には重複するものを後からたたみかけることで願いの気持ちの強さを印象付けています。 そのうえこのような語順は、行の途中に論理的・構文的な区切が明確にできることを避ける働きもしています。 a nostro corpore secedere possem だと  a nostro corpore | secedere possem のように途中で切れてしまいます。 一文の途中に単純で明確な切れ目を作るか、それとも切れ目ができるのを避けて全体をひと続きにするか。こうした表現上の操作を自在に操ることもこの時代の文章家の関心事でした。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ar6k-tkhs/poema.htm
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質問者

お礼

ご丁寧にご回答いただき誠にありがとうございます。参考URLを読解していたためお礼が遅くなり、申し訳ございません。 詩の韻の観点から理解できることが大変よく理解できました。 >切れ目ができるのを避けて全体をひと続きにする こういう発想に触れたことがなかったので新鮮でした。 本当にどうもありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#118466
noname#118466
回答No.1

ラテン語は前置詞と名詞の格変化で意味が鮮明になるので語順は自由と理解しています。私はラテン語の知識はほとんどありませんが、スペイン語から類推して解釈してみました。 日本語訳は「私の肉体から」となっていますが、これは「我々から、肉体を」と理解できませんか?つまり o utinam /a nostro /secedere /corpore /possem! 語順を変えればo utinam possem secedere corpore a nostroとは出来ませんか?

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質問者

お礼

ありがとうございます。なるほど、そういう解釈も可能かもしれません。勉強になりました。

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