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「自分」の意味(2)
日本語を勉強しています。よろしくお願いします。 下記A,B例文の中の「自分」は、だれを指しているかを教えていただけますか。 例文A ○○先生は生徒たちに自分の研究室を掃除させた。 →「自分」=○○先生 例文B 太郎は次郎に自分の宿題を訂正させた。 →「自分」=>太郎?次郎? 「自分」の意味をはっきりしたいときには、どういう表現がありますか。 ?太郎は次郎に太郎の宿題を訂正させた。 ?太郎は次郎に次郎の宿題を訂正させた。 また、日本人同士の間では、どういう感覚でこのような事柄を表し、他人の発話の意味を捉えるのでしょうか。 教えていただけますか。 日本語を勉強しています。不自然な日本語表現がある場合には、ご指摘ください。
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例文Aの「自分」は、○○先生で間違い無いと思います。(断言はできません) 研究室の所有者は先生であると推測できますし、仮に生徒たちの研究室なら「自分達の研究室を~」と書くでしょう。 例文Bはどちらとも受け取れます。ただ、読点(、)の位置から判断することはできるかもしれません。 太郎は、次郎に自分の宿題を訂正させた。→次郎 太郎は次郎に、自分の宿題を訂正させた。→太郎 しかし実際には、その一文のみからでなく、前後の文脈を踏まえて判断するのがよいと思います。例えば、太郎が教師で次郎が生徒なら、おのずと「自分」が次郎を示すことになりますよね。 一文だけでは、日本人同士でも解釈が分かれることはよくあります。 参考URLは、読点の位置で文の意味が変わってしまう例です。 ちなみに「他人の発話の意味を」という表現には違和感があります。日常的に使うには、「他人の言葉の意味を」「他人の発言の意味を」「他人の話の意味を」などの方が良いでしょう。
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- kobarero
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一般論で言うと、登場人物全員が「自分」である可能性があるので、文を読んでみて、意味の上から不適当と思われる者を除外するしかないと思います。具体的には、以下の通りです。 <例文Aの場合> 登場人物は、○○先生、生徒たち、私(話者、または、筆写)の3人です(2人ではありません)。この3人のうち、意味上不適当なのは、生徒たちだけです。従って、以下の2つの文の意味として解釈することが可能です。どちらの文が正しいかは、上の文だけではわかりません(日本人でもわかりりません)。 (1)○○先生は生徒たちに[○○先生]の研究室を掃除させた。 (2)○○先生は生徒たちに[私]の研究室を掃除させた。 <例文Bの場合> 登場人物は、太郎、次郎、私(話者、または、筆写)の3人です(2人ではありません)。この3人のうち、意味上不適当な者はいません(全員可能です)。従って、以下の3つの文の意味として解釈することが可能です。いずれの文が正しいかは、上の文だけではわかりません(日本人でもわかりりません)。 (1)太郎は次郎に[太郎]の宿題を訂正させた。 (2)太郎は次郎に[次郎]の宿題を訂正させた。 (3)太郎は次郎に[私]の宿題を訂正させた。 <例文C>補足例「花子は自分を嫌っているのかも知れない。」 登場人物は、花子、私(話者、または、筆写)の2人です(1人ではありません)。この2人のうち、意味上不適当な者はいません。従って、以下の2つの文の意味として解釈することが可能です。どちらの文が正しいかは、上の文だけではわかりません(日本人でもわかりりません)。 (1)花子は[花子]を嫌っているのかも知れない (2)花子は[私]を嫌っているのかも知れない
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ご回答をありがとうございます。 ポイントは先頭の方につけてしまいましたので、本当に申し訳ありません。 みなさまのご指摘を考えながら、こんな文も可能かなと自問自答しています。 「自分の宿題を、太郎は次郎に訂正させた。」 「次郎に、太郎は自分の宿題を訂正させた。」 ???
- koma1000nin
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日本人でもむずかいい解釈です。 文章の場合は、句読点を入れてくれればハッキリしますが、そうでない場合は「主語」を指すものと理解してかまいません。 (1)先生は生徒たちに自分の研究室を掃除させた ─┬─ ── │ ↑ └──────┘ (2)太郎は次郎に自分の宿題を訂正させた ─┬─ ─── │ ↑ └─────┘ つまり、自分というのは主語「…は」「…が」にあたるものを指します。 主語が人以外のときは、他の人物を指すと考えてください。 そのほか、(1)の文章で[生徒=自分]であるなら、「自分たち」と表現されるはずです。主語の単数形・複数形も視野に入れてください。 これは、日本の大学入試でもよく出題されます。
お礼
ご回答をありがとうございます。 名詞の単数形・複数形に注目するとのご注意をありがとうございます。
- hakobulu
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<例文A> 研究室を持っているのは先生ですから、「自分=先生」とわかりますが、 「○○先生は自分の研究室を生徒たちに掃除させた。」とすればベターでしょう。 <例文B> 太郎・次郎どちらとも受け取れます。 主に前後の文脈によって判断できます。 しかし、単独の文であれば、日本人同士であっても不適切、または不十分な表現と言えます。 下のように直すべきでしょう。 1、自分=太郎であれば、 「太郎は自分の宿題を次郎に訂正させた。」 2、自分=次郎であれば、 「太郎は次郎に自身の宿題を訂正させた。」
お礼
ご回答をありがとうございます。 語順を変えてみること、大事ですね。
- morinokage
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>xingyeruさん 例文Aは、前後の文章から、当然、研究室は先生の管轄ですから、自分は○○先生です。 問題は、例文Bですね。 もし、自分の宿題=太郎の宿題でしたら、「太郎は、自分の宿題を次郎に訂正させた。」が妥当です。 自分の宿題=次郎の宿題でしたら、「太郎は次郎に、自分の宿題を訂正させた。」で良いのではないかと思います。 “また、日本人同士の間では、どういう感覚でこのような事柄を表し、他人の発話の意味を捉えるのでしょうか。 教えていただけますか” ↑これは非常に微妙な問題で、やはり前後の文脈より判断せざる負えないと思います。
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ご回答をありがとうございます。 実は中国語にも同じような問題があります。 やはり前後の文脈が大事ですね。
お礼
「黒い目のきれいな女の子」、拝見しました。 考えさせられた。 中国語には「明日来吃不要銭」ということばがあります。句読点の位置によっては、相反する意味になります。 また、{「「他人の言葉の意味を」「他人の発言の意味を」「他人の話の意味を」}のご指摘は、とても勉強になりました。ありがとうございました。