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「自分」の意味(2)

日本語を勉強しています。よろしくお願いします。 下記A,B例文の中の「自分」は、だれを指しているかを教えていただけますか。 例文A ○○先生は生徒たちに自分の研究室を掃除させた。  →「自分」=○○先生 例文B 太郎は次郎に自分の宿題を訂正させた。  →「自分」=>太郎?次郎?  「自分」の意味をはっきりしたいときには、どういう表現がありますか。  ?太郎は次郎に太郎の宿題を訂正させた。  ?太郎は次郎に次郎の宿題を訂正させた。  また、日本人同士の間では、どういう感覚でこのような事柄を表し、他人の発話の意味を捉えるのでしょうか。  教えていただけますか。 日本語を勉強しています。不自然な日本語表現がある場合には、ご指摘ください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • man-mosu
  • ベストアンサー率25% (3/12)
回答No.2

例文Aの「自分」は、○○先生で間違い無いと思います。(断言はできません) 研究室の所有者は先生であると推測できますし、仮に生徒たちの研究室なら「自分達の研究室を~」と書くでしょう。 例文Bはどちらとも受け取れます。ただ、読点(、)の位置から判断することはできるかもしれません。 太郎は、次郎に自分の宿題を訂正させた。→次郎 太郎は次郎に、自分の宿題を訂正させた。→太郎 しかし実際には、その一文のみからでなく、前後の文脈を踏まえて判断するのがよいと思います。例えば、太郎が教師で次郎が生徒なら、おのずと「自分」が次郎を示すことになりますよね。 一文だけでは、日本人同士でも解釈が分かれることはよくあります。 参考URLは、読点の位置で文の意味が変わってしまう例です。 ちなみに「他人の発話の意味を」という表現には違和感があります。日常的に使うには、「他人の言葉の意味を」「他人の発言の意味を」「他人の話の意味を」などの方が良いでしょう。

参考URL:
http://www.urban.ne.jp/home/awamura5/kaishaku.htm
xingyeru
質問者

お礼

「黒い目のきれいな女の子」、拝見しました。 考えさせられた。 中国語には「明日来吃不要銭」ということばがあります。句読点の位置によっては、相反する意味になります。 また、{「「他人の言葉の意味を」「他人の発言の意味を」「他人の話の意味を」}のご指摘は、とても勉強になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.5

一般論で言うと、登場人物全員が「自分」である可能性があるので、文を読んでみて、意味の上から不適当と思われる者を除外するしかないと思います。具体的には、以下の通りです。 <例文Aの場合> 登場人物は、○○先生、生徒たち、私(話者、または、筆写)の3人です(2人ではありません)。この3人のうち、意味上不適当なのは、生徒たちだけです。従って、以下の2つの文の意味として解釈することが可能です。どちらの文が正しいかは、上の文だけではわかりません(日本人でもわかりりません)。 (1)○○先生は生徒たちに[○○先生]の研究室を掃除させた。 (2)○○先生は生徒たちに[私]の研究室を掃除させた。 <例文Bの場合> 登場人物は、太郎、次郎、私(話者、または、筆写)の3人です(2人ではありません)。この3人のうち、意味上不適当な者はいません(全員可能です)。従って、以下の3つの文の意味として解釈することが可能です。いずれの文が正しいかは、上の文だけではわかりません(日本人でもわかりりません)。 (1)太郎は次郎に[太郎]の宿題を訂正させた。 (2)太郎は次郎に[次郎]の宿題を訂正させた。 (3)太郎は次郎に[私]の宿題を訂正させた。 <例文C>補足例「花子は自分を嫌っているのかも知れない。」 登場人物は、花子、私(話者、または、筆写)の2人です(1人ではありません)。この2人のうち、意味上不適当な者はいません。従って、以下の2つの文の意味として解釈することが可能です。どちらの文が正しいかは、上の文だけではわかりません(日本人でもわかりりません)。 (1)花子は[花子]を嫌っているのかも知れない (2)花子は[私]を嫌っているのかも知れない

xingyeru
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 ポイントは先頭の方につけてしまいましたので、本当に申し訳ありません。 みなさまのご指摘を考えながら、こんな文も可能かなと自問自答しています。 「自分の宿題を、太郎は次郎に訂正させた。」 「次郎に、太郎は自分の宿題を訂正させた。」 ???

回答No.4

日本人でもむずかいい解釈です。 文章の場合は、句読点を入れてくれればハッキリしますが、そうでない場合は「主語」を指すものと理解してかまいません。 (1)先生は生徒たちに自分の研究室を掃除させた   ─┬─     ──    │      ↑    └──────┘ (2)太郎は次郎に自分の宿題を訂正させた   ─┬─   ───    │     ↑    └─────┘ つまり、自分というのは主語「…は」「…が」にあたるものを指します。 主語が人以外のときは、他の人物を指すと考えてください。 そのほか、(1)の文章で[生徒=自分]であるなら、「自分たち」と表現されるはずです。主語の単数形・複数形も視野に入れてください。 これは、日本の大学入試でもよく出題されます。

xingyeru
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 名詞の単数形・複数形に注目するとのご注意をありがとうございます。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

<例文A> 研究室を持っているのは先生ですから、「自分=先生」とわかりますが、 「○○先生は自分の研究室を生徒たちに掃除させた。」とすればベターでしょう。 <例文B> 太郎・次郎どちらとも受け取れます。 主に前後の文脈によって判断できます。 しかし、単独の文であれば、日本人同士であっても不適切、または不十分な表現と言えます。 下のように直すべきでしょう。 1、自分=太郎であれば、 「太郎は自分の宿題を次郎に訂正させた。」 2、自分=次郎であれば、 「太郎は次郎に自身の宿題を訂正させた。」

xingyeru
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 語順を変えてみること、大事ですね。

回答No.1

>xingyeruさん 例文Aは、前後の文章から、当然、研究室は先生の管轄ですから、自分は○○先生です。 問題は、例文Bですね。 もし、自分の宿題=太郎の宿題でしたら、「太郎は、自分の宿題を次郎に訂正させた。」が妥当です。 自分の宿題=次郎の宿題でしたら、「太郎は次郎に、自分の宿題を訂正させた。」で良いのではないかと思います。 “また、日本人同士の間では、どういう感覚でこのような事柄を表し、他人の発話の意味を捉えるのでしょうか。 教えていただけますか” ↑これは非常に微妙な問題で、やはり前後の文脈より判断せざる負えないと思います。

xingyeru
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 実は中国語にも同じような問題があります。 やはり前後の文脈が大事ですね。

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