- ベストアンサー
明治政府の勧業(綿)
明治政府は、急増する綿製品の輸入に対して、様々な対策を取りますが、その一つに、アメリカ産の綿の種を栽培しようと、試験栽培を行なったようです。 その結果は失敗で、日本から次第に綿栽培が衰退していくことにつながってゆきます。 質問は、なぜ、アメリカ産の綿が日本では、育たなかったのか、ということです。どなたか、ヒントなり、端切れの情報なり、ご存じでしたら教えてください。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
アメリカ産の綿花のみならず、海外の綿花がなかなか育たなかったのが日本・・・ 品種改良で江戸時代にようやく栽培が盛んになったものの、 明治に入り、機械紡績の勃興と、輸入綿花の波に打ち勝てず、(品種改良がそれらに追いつくことなく)栽培は衰退していった(or 稲作にシフトしていった)・・・ というところではないでしょうか。 以下ご参考になるかと思われるリンクです。。。 http://www.tabiken.com/history/doc/S/S118L100.HTM http://homepage3.nifty.com/katodb/doc/text/2831.html http://www.toyocotton.co.jp/japanese/detail.htm http://www.cec.or.jp/es/E-square/h10seika/html-I/I-2_4_4.htm http://www.tuat.ac.jp/~museum/FAQ.htm
お礼
Chuck_GOO さん、回答有り難うございます。教えていただいた、リンクは、みな自分の知らないものばかりでした。とくに、日米の小学生が行なった栽培事件が参考になりそうです。ありがとうございました。