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東京人と政府ぐるみでの『京都からの悪質な首都略奪』
明治天皇が、平素から身の周りの世話をしてくれて居た京都御所の女官(にょかん)に、「ちょっと江戸まで行って来る」と申されて高価なお召し物や三種の神器(じんぎ)とかを全部置いて東へ旅立たれたとの記緑が存(そん)する以上、京都を疎(うと)ましく思えて為(な)らない大いなる片田舎江戸民と時の政府とが結託して『世界でも類例が僅かな千数十年続いた日本の首都を悪辣(あくらつ)にも計算尽(づ)くでモギ盗る事にした』のでしょうか? 何(いず)れともあれ外国に対する事実上の我が国の顔京都の方は、東京を酷(ヒド)く怨んで居らっしゃるそうですよ。
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それが何か…。 京都には仏教の多くの宗派の本山があり、茶道・生花など日本の伝統文化の家元が住んでいる、今も日本の文化的宗教的首都だと考えられます。人口の約一割が大学生という「学生のまち」は日本では京都だけです。 確かに三権(行政・立法・司法)の中心は東京ですし、経済力も首都圏一極に集中する傾向があります。しかし文化・学問の底力では京都の存在感は大です。日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が京都帝国大学出身だったことは象徴的です。明治天皇が東京に移る際には「激変緩和措置」として、「ちょっと行ってくる」だったかもしれませんが、150年以上昔のことを今さら持ち出しても詮無いことです。 政治や経済には栄枯盛衰があって「今栄えている」ことが最重要ですが、蓄積がものをいう文化は「昔も今も栄えている」ことに最大の価値があります。その意味でも「千年の古都」京都は昔も今も日本の文化的首都なのです。転勤族だった回答者は京都に三年間住んでいっそうその考えを強くしました。
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- sakura39haru
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回答No.1
朝5時前からどうしたんだよ。
お礼
『東京とその政府関係者』がタッグを組み、江戸を全国からの人と物と金が集中する街にし度(た)くて、千年の都から理不尽ながらも狡猾(こうかつ)で酷い手口で首都機能を根こそぎ奪い去ったとの妄念余(もうねんよ)が存(そん)するのかも知れません。市の人口の13%近くを占める学生の事とか、能(よ)くご存知ですね。以(もっ)て、鳴謝(めいしゃ)措(お)く能(あた)わざる心境。有り難う!