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藤村操の自殺について

藤村操は、その有名な辞世の句、 (悠々なる哉天襄、 遼々なる哉古今、 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、 ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーを値するものぞ、 万有の真相は唯一言にしてつくす、 曰く「不可解」我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。 既に厳頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし、 始めて知る、 大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。) から、人生は不可解だから死ぬことを決意した、と解釈できますが、 彼についてどう思いますか?

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  • ベストアンサー
  • ioaaaoa
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回答No.1

>彼についてどう思いますか? 様々な文献でも彼の言動について多くの見解が語り継がれていますが、難しい質問故、以下あくまで私見です。華厳の滝に身を投げたときにはセンセーションを巻き起こし、当時世に絶望感を持つ若者達が共鳴し次々と後に続きましたが、世の中全て不可解なりという名言は極論を唱えるなら神に対する冒とく。人間の力では解決できないものを求めつづけた結果だと考えます。しかしながら神の存在自体が彼の中にはありえないものであり、彼自身が神であるという存在だったのだろうと考えます。神であるなら死は恐怖ではなくなります。続いた若者達は藤村を神と崇めたのかもしれませんね。今で言う超エリートであった彼が自ら命を絶つことが人間の最高の美徳と考えたのは、エリートであったからこその悲劇とも言えると思います。貧しく、学識も乏しい人間は昔も今もとにかく生きることだけに必死です。私見につき全く自信なしの回答ではありますが。

007yuuki
質問者

お礼

私見につき全く自信なしの回答ではありますが。 >いえいえ、立派な意見だと思います。かわって私の考えは、半分共鳴半分不可解といったかんじです。私も、うまく言葉では説明できませんがどうしようもなく死にたくなるときがあります。このことを無理やり言葉にすれば、「世の中が不可解だから」になるのかもしれません。しかし、やはり今とは違い学歴がものをいったあの時代にエリートとして順調に歩んでいたわけですから、そんなことで命を絶たずに、その約束された人生にのっかって、地位も名誉も富も女もほしいままにして暮らせばよかったじゃないって思ったりもしてしまいます。 貴重な意見、ありがとうございます。他にもいろいろな人の意見を聞いてみたいものです。

その他の回答 (4)

noname#84897
noname#84897
回答No.5

難しいことはわかりませんが。彼についてどう思うか、という質問なので。 私は、失恋がきっかけだと聞いています。 エリート意識と自意識のカタマリのような少年が、初めての挫折にあっけなくノックダウンされたのでは。そんな理由で死んでしまうのはプライドが許さないから、こ難しいことを書き残したんじゃないか、と冷ややかに見ています。 おなかの大きい時から期待をかけ、赤ん坊のときは夜中にもおむつを替えて(布おむつだからねえ)、苦労して育てた息子にあっさり自殺された母親がホントに気の毒です。 くだらないものに酔わんでほしい。 自分の命だから自分の勝手と言うなら、百歩も千歩もゆずって、自殺もよしとしましょう。でもそれなら、死んだあとの死体の始末を赤の他人にさせるなよ! って言いたい。人里離れた山の中で、野生動物のエサになって土に還れば、と言いたいです。 生かされている自分の僥倖に感謝し、命を大切に生き抜いてほしいです。

007yuuki
質問者

お礼

私は、失恋がきっかけだと聞いています。 エリート意識と自意識のカタマリのような少年が、初めての挫折にあっけなくノックダウンされたのでは。そんな理由で死んでしまうのはプライドが許さないから、こ難しいことを書き残したんじゃないか、と冷ややかに見ています。>個人的に、初めての挫折は年が大きいほど本人にとっては耐え難いものになっていくと思います。16,7そこそこは、乗り越えられれば乗り越えられる微妙な年だと思いますが、まだ思春期をひきずっている年でもあるので難しい時ですよね。。

回答No.4

人間は、誰だって死について考えるものです。特に若い時期は、誰でもそのような経験を乗り越えてこそ、成長して行きます。 僕にとって人生とは絶望です。愛とか勇気とか友情とか、とにかく人間って素晴らしい!と思うと同時に、人間ほど汚く、醜く、卑しい存在はないと思います。そういう葛藤、矛盾を、誰だって感じると思います。それを克服できなくなってしまい、片方に偏ってしまい、つまりバランスを崩してしまえば、そのとき人は、死を選ぶのかもしれません。 失恋が原因で彼は死を選んだのかは、わかりませんが、恋愛をしているときは、心が敏感になります。純粋ゆえに傷つきやすい。なにゆえに自殺を決意したのか、やはり本人に聞かないとわかりませんが、地位も名誉も富も女もほしいままにしても満たされない、それ以上の価値があることを彼は知っていたのかもしれません。 死が美しいと思うのは、生きているからです。有限な世界に生きているからこそ、死が美しくみえるんです。

007yuuki
質問者

お礼

片方に偏ってしまい、つまりバランスを崩してしまえば、そのとき人は、死を選ぶのかもしれません。>確かに・・。納得できます。 やはり本人に聞かないとわかりませんが、地位も名誉も富も女もほしいままにしても満たされない、それ以上の価値があることを彼は知っていたのかもしれません。>その価値をぜひ聞いてみたいものですねぇ・・しょせん無理ですが。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

彼が自殺したのは、確か16歳の時でしたよね。 言の趣旨は「>人生は不可解だから死ぬことを決意した」でしょうが、 論理的に無理を感じます。 つまり、何か他の理由があったのだろうと。 冷静に考えれば、「人生不可解」から「死ぬ」の間には何の脈絡もありません。 不可解だからといって、死ぬ必然性は生じないということです。 しかし、彼は「不可解」に死ぬ必然性を求めざるを得なかった。 ここから導き出される結論は、理由の如何を問わず 彼は死の欲求に圧倒されていた、ということでしょう。 彼の精神を強く揺さぶる大きな出来事があって(死の直近である必要はないが)、 その為に精神が揺さぶられ、その不安定さに耐えられなかったのだと思います。 死というのは、全てがこれ以上分解できない原子(または、もっと小さいもの)に帰すること、 即ち、全てが安定することに他ならないからです。 精神を大きく揺さぶる「振り子」を一旦止め、 「ゼロから再出発する」という機能を人は備えています。 この機能を使うことに思い至らないほど、彼の受けた衝撃が大きかった、 ということになるのだろうと推測します。 余談です。 ご存知かもしれませんが、夏目漱石は彼の先生でした。 彼の自殺後1年ほどして「我輩は猫である」を書きます。 「放っておくと、木に遺書を書き付けて滝から飛び込まれるかも・・・」 といった記述が出てくるようです。 漱石は嫌いではありませんが、ちょっとひっかかる一節です。 死んだら終り、ということでしょうかね。 後に書くことになる「こころ」の「先生」は、この藤村操の自殺原因を漱石なりに考えて、 モデルにしたのではないかと勝手に想像してみました。

007yuuki
質問者

お礼

彼の精神を強く揺さぶる大きな出来事>やはり失恋でしょうか?何かで読んだのですが、一つ年上にガールフレンドだか憧れの女性だかがいて、自殺する前に振られたのだと記憶してます。でも私は、失恋したから自殺したのではなく、自殺を決意したからこそ告白を決意したのではないかと考えました。死ぬ前の身の回りの整理、みたいなかんじで。 死というのは、全てがこれ以上分解できない原子(または、もっと小さいもの)に帰すること、 即ち、全てが安定することに他ならないからです。>素敵な言い回しですね。言葉が美しいと感じました。 漱石は彼の自殺の真の原因を知っていたんでしょうかね・・。私は、藤村操と年が近いせいもありますが興味が消えません。一度話してみたかったです。

  • hardly
  • ベストアンサー率19% (9/46)
回答No.2

自分の意見ではないですが、「犬儒派だもの」呉智英(双葉社)の「虚無に向きあう言葉」というものに詳論されてます。一読の価値はあると思います。

007yuuki
質問者

お礼

「犬儒派だもの」呉智英(双葉社)の「虚無に向きあう言葉」>貴重な情報どうもありがとうございます。さっそく探してみます。

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