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コロンブスの卵と同じで結果論?
先ほどNHKの番組「視点・論点」で解説者がどういった文脈でかは不明ですが、 「コロンブスの卵と同じで結果論になってしまいますが…」 と言っていました。 前後の文脈が不明なのであれですが、これはどういう意味なんでしょうか? コロンブスの卵はとっぴな発想というだと思うのですが、どうしてそれが結果論と同じだと言えるのでしょうか? よろしくお願いします。
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かなり潤色がある話だとは思うのですが、「コロンブスの卵」は以下のようなエピソードだったと思います。 コロンブスがアメリカ大陸の探検から戻ったときに、会食の席である人から「ただ西へ西へと行くだけだったら私にだってできるさ」と言われました。 コロンブスは食卓の上の卵を取り、「誰か、この卵を食卓の上に立てることはできるかい?」と問いかけます。しかし、その場にいた誰もがその方法を思いつきませんでした。そこでコロンブスは卵の尻の部分を食卓の角にちょっとぶつけて殻を少し欠き、その部分を下にして食卓の上に立てたのです。 皆が「なぁんだ、そんなことなら誰にでもできるさ」と言うと、コロンブスは「しかし、君たちはやらなかった。私は実際にやった。そこが違うんだよ」と言ったそうです(『コロンブスの卵』は実は生卵で、卵の尻の部分には空気の入った憩室と呼ばれる箇所があり、コロンブスはそこを欠いたのだ、だから白身が流れ出さなかったのだ、というもっともらしい説明が加わることもあります)。 こんな話なので、#1さんのおっしゃるように「誰でもできることでも、最初にするのは難しい」という意味で遣われます。「コペルニクス的転回」も同じように遣われることがあります。 しかし今回の場合、恐らくその解説者さんは「後からならば何とでも言える」という視点から「コロンブスの卵」という言葉を遣ったのではないかと思います(この場合の『結果論』というのは『すでにわかっている結果を前提としてあれこれと論ずる無益な議論』です)。
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- koma1000nin
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アッ、と驚くタマゴロー。
お礼
すみません。どう反応してよいかわかりません。
- hakobulu
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既に正解が出ているようですね。 確かにとっぴな発想に違いはありませんが、 卵の底(?)を割ってテーブルに立てるという「とっぴさ」よりも、 卵が立った結果を見て「簡単じゃないか」と言うのは誰にでもできるが、 その簡単な事が誰も最初はできなかった、という皮肉の方に比重がかかっているようです。 結果だけを見て、あの時こうしておけば良かったとか、 こうすればあれは防げたとかいう解説が良くなされますが、 そういう批判があることは重々承知しているが、という前置きの意味で、 「コロンブスの卵と同じで結果論になってしまいますが…」 と言ったのでしょう。 蛇足をひとつ。 本当は「ブルネレスキの卵」という説もある? URL参照してみてください。
お礼
ありがとうございます。 「ブルネレスキの卵」ですか、とてもおもしろい話ですね。それにしてもコロンブスの卵は脚色された作り話だったのですね。てっきり本当にあったことだと思っていました。
- sunasearch
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コロンブスの卵は、 誰でもできることでも、最初にするのは難しいことの、たとえです。 ですから、やってしまえばそれまでだけどもという意味で、結果論と同じといったのだと思います。
お礼
ありがとうございます。 私のコロンブスの卵の認識が間違っていたようですね。 そういうことでしたら納得です。助かりました。
お礼
いわれてみればそういったニュアンスがありました。自分ではなかなか文章に換言できなかったのですが、こういうことだったのですね。 すっきりしました。ありがとうございます。