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親不知の和歌の出典
平頼盛の妻が文治元年(1185)に詠んだという「親知らず子はこの浦の浪枕越路の磯の泡と消えゆく」[コンサイス日本地名事典]の出典が分りません。 随分調べたのですが、検索出来ませんでした。和歌に詳しい方、あるいは新潟の郷土史に詳しい方、ご教示戴けませんか?よろしくお願い致します。
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noname#1139
回答No.1
highpowerさん こんばんは。 お調べになっている「和歌の出典」の明確な答えではないのですが、 和歌を詠んだ、池禅尼(いけのぜんに)は、平頼盛の<妻>ではなくて<母>である、ということだけ、お知らせいたします。 池禅尼については、平治物語などに少し出てきますが、ふだんは裏方に徹していた女性のようで、あまり資料が見つかりません。 和歌について調べてみても、地名の由来の一説のようですし… 親不知岬に歌碑があるとか? あーやっぱり、書いてる自分でもさっぱりしたキブンになれない。 期待はずれの投稿で ごめんなさい。