• 締切済み

日本人は軽い?

以前から違和感を持ってるんですけど、日本では公式にFamily Name/Given Name で欧米では逆に Given Name/Family Name ですが日本では最近まで長い間旧文部省が逆にしろと指導してきたり?、ほとんどの日本人自体も反発もなく従ってきて野球を例にすると、米国で「鈴木 一郎」が 「イチロー スズキ」になっていて日本人は逆と知らないか、一郎に了解を得ているのか文句を言わないと勝手にしてるのか分からないですがなってます。外国から日本に来ると、そのまま「マイケル・ジャクソン」のままで勝手に「ジャクソン・マイケル」にしないです。もししたら猛抗議をしてくると思うし、自分の名前を行った国に倣って逆にしようとすら思わないと思います。日本の名前の順序も、自分で考えたというより中国のマネでしょうけど定着していて文化だと思うから、相互理解の為にも外国に行ってもそのままで話の種にして違う文化があるって説明してもいいと思うんですが。この日本人の外国で相手に合わせて、自国でさえも相手に合わせるという感覚・感性はどういう心理だと思いますか?

みんなの回答

noname#37852
noname#37852
回答No.4

回答にはなりませんが、事例紹介です。 >相互理解の為にも外国に行ってもそのままで話の種にして違う文化があるって説明してもいいと思うんですが。 臨床心理士で現在は文化庁長官の河合隼雄氏が、仲良くなった外国人に対しては実際そのようにすると、よしもとばなな氏との対談本『なるほどの対話』の中で語っていました。 浅い付き合いの人は面倒だから適当に相手に合わすんだけど、付き合いが深まった人には「おまえ本当に友達だと思うなら、俺のことはカワイと読んでくれ。ハヤオなんてうちの親父ぐらいしか呼ばないんだから」とか、「日本では手紙は天気のことから書く」と言って、相手が「This is spring」と書いてくるんだとか(笑) そういうのも教えたほうが面白いから、と。

noname#48572
質問者

お礼

遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 日本人はどこまでも、奥ゆかしいんですね。鎖国していればそれでもいいですが、旅行でも自分の荷物は自分で守らないといけないし、考えの異なる外国人と交流すれば主張したり説明したり、議論や交渉しないといけないのだから変える点もあると思いますが。

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.3

質問者さんご自身が >日本では最近まで長い間旧文部省が逆にしろと指導してきたり とされているように、今の英語教育では逆順も正順も教えています。全部の中学かどうかは知りませんが、私の息子はIchiro Suzuki、SUZUKI,Ichiroのどちらでも良いと習ったようです。 私自信は、SUZUKI Ichiroのようにカンマなしでメールや名刺などに書いています。但し、頑固にこだわってはいません。どうでもいいのではないでしょうか?^^; 仕事でもSUZUKI,Ichiroのように書いている人は多くなってきました。Ichiroだったら大丈夫かもしれませんが、大体の日本人の名前は、英語国民にはどうせ読めません。^^;; >自国でさえも相手に合わせるという感覚・感性はどういう心理だと思いますか? 日本人の相手に合わせる「優しい」もしくは「へりくだる」感性とされがちです。確かに一理あるとは思います。しかし、現実的には、前述の感性も含め、鹿鳴館に象徴される明治時代の政策のせいだと私は思います。 文部大臣の森有礼は、国語を英語を変えようと本気で考えたようですし、志賀直哉は、フランス語に変えるべきだというような文書を残しています。そんな時代の「感性」なんです。現代とは時代の感性がまったく違うのですね。感性の違いはありますが、風俗的に習慣として残っているものと思います。

noname#48572
質問者

お礼

遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 去年だったか、文部省が英語の教科書で逆にするのをやめるとかニュースでやっていたような。どうでもいいというのは以前誰かもいっていて、多くの日本人の性質なんでしょうねぇ。でもそれなら、わざわざ逆にしなくてもいいのに。たかが名前なのに、多くの日本人が必死にほぼ必ず合わせて逆にする程の事はないと。相手に合わせさせてもいいし。やってもいいですけど、クリスチャンでもないのに毎年クリスマスというのも似てるような。以前外人に、どうして日本人はクリスチャンでもないのにクリスマスを祝う(正確には、日本人は音楽や飾りとか雰囲気が好きなだけ、商売に利用したり)のかと訊かれて答えられないって何度か聞きました。昔から簡単に言葉を変えようとするのは、政策というよりそれこそ性質とは思いますが。習慣ですかね、教育環境も経済力も変わっきてるのにやってる事が同じというのは感性・感覚ではないんでしょうか。

  • mydummy
  • ベストアンサー率59% (55/92)
回答No.2

心理学というよりは民俗学ですなあ。 (1) 日本の文書(特に空欄穴埋め式のものとか身分証明書とか)は基本的にFN/GNで埋めるよう指示されるし、多くの場合そのまま印刷される。私の知り合いの外国人でそれに講義だの文句をたれる人は見たことがないし、皆日本はFN/GNだと知っているし、別に了解を取っている訳でもない。 ちなみに例はないかと思って野球の巨人のサイトを見たら投手のシコースキーのプロフィールが「シコースキー,ブライアン」とFN/GN式の表記になってた(コンマ記法は後述) (2) 日本語の場合カタカナで書くと外国のものであると言う文字表記による分類が可能であり、カタカナで書く限りそれが現地表記であるよ言う記号になる。日本語以外ではういった表記の揺れを利用できないので、地元の常用表記に頼らざるを得ない面がある。 最近は欧米でもSUZUKI Ichiroと書いて大文字の方がFNであることを示す表記や、電話帳や学術論文形式のSuzuki, Ichiroとコンマ区切りにする記法で区別する例が見えられる。私の業界だとこれで普通に理解してもらえる。各国の文化比較論の専門家と日本人の先人の努力により徐々に普及中。 (3) 当時の文部省がそういう方針をとった理由はいくつかあり、明治時代に教授が外国人で教科書などが全て外国語だった影響、太平洋戦争で敗戦しGHQの影響かに入っていた影響、および大学で学業h業績を発表するのに英文誌の投稿フォームが定式化されていて(1)の理由でGN/MN/FNと書かざるを得なかった影響、などがある。郷に入らば郷に従え、という価値観も影響していると思われる。 (4) 日本人の姓名がFN/GN順なのは前置修飾である影響が大きい。欧米語がGN/FNなのは後置修飾の言語の影響。FNの起としては源はGN+Identifier(地名、本人の特徴など)のものが相当数あるが、Leonardo da Vinciは日本語だと「ヴィンチのレオナルド」という書き方と等価である。日本人では出雲阿国などが類例になる。「おくにのいずも」では意味が通らない。"da Vinci"とか「いずもの」はIndentifierであってFNではない。ただし日本人のFNは地名由来がかなり多い。フランスの俳優Michel Blancはそのまま読むと「白いミシェル」「白髪のミシェル」という意味である。 という訳で日本がFN/GNなのは言語が前置修飾だからという影響が大きい。言語が前置修飾なのは中国からの輸入という訳でもなく、アジア言語に広く見られる性質であって、アジア各言語の祖形が持っていた性質であろう。ちなみにハンガリーの多数は民族マジャール人はアジア系遊牧民族の末裔とされるが、彼らもFN/GN式の名前を使う。彼らがたのヨーロッパにかけたときどう名乗っているかは私は知らない。 (5) 取引先の外国人は公式の場なのに「アレックス」「マイケル」と名を通称として使っている。アレックス・スミス(仮名)さんは日本でもその順で表記しているうち、GNがFNとして扱われるようになり、本人もそれで承知しているらしい。日本通の人はこれを知っているので日本に来るときは先に(2)式の表記でFN/GNにしている人もいる。 (7) 中国人や朝鮮人だと「ジャッキー・チェン」「レイチェル・ハン=ハン・チェヨンのように、欧米に行くと大規模に名前を置換する人が相当数いる。日本人でこれをやる人はほとんどいない。そういう意味では日本人は比較的保守的である(比較対象の問題もあるが)。 (8) 日本と韓国の間では、相互に表音文字を持っているので、人名は相手の国の現地読みであるという了解が存在する。日中ではそういう了解がないので自国読み。温家宝はWen Jiabaoではなくオンカホウ。小泉はコイズミではなくShaoなんとか。

noname#48572
質問者

お礼

遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 聞いた事はありますけど、民俗学というのをよく知らないんですが心理学にも比較心理学というがありませんかね? 国によって思考や行動に傾向があるので、関連してる気はします。色々あげて下さり参考になりました、個々ではそういう面もあるんですね。私も以前、ドイツでは日本人が姓・名だと分かってきたとか何かで聞きました。でも性質としては日本人同士でもですが特に欧米人に対しては日本人は遠慮したり卑下するのもあると思います。去年だったか、ようやく文部省も英語の教科書で逆にするのをやめるような事をニュースでやっていましたけど。

回答No.1

私的な場所では、たしかに「マイケル・ジャクソン」と呼ばれていますが、公的な場所では「ジャクソン氏」と呼ばれてましたよ。 映画俳優や、ミュージシャンらは名前が商品だったりしますので、「名・苗字」でそのまま使われている場面が多いのでしょうね。 「三都主」 「シャラポア」 「ウッズ」 など、スポーツ選手はほとんど苗字を先に表現されることが多いことから外国人であってもやはり苗字を重んじる日本であることは変わりないと思います。 場面に応じて使い分けているのではないでしょうか。 私もなんでも欧米を真似る行為は恥ずかしく思いますが、外国人の名前でも、公的なまたは公的に近い場面では「苗字」が優先で日本人と同様に使われていると思います。

noname#48572
質問者

お礼

遅くなりましたけど、回答ありがとうございます。 では、全てを把握してないですけど有名人が外国に行くと向こうに合わせるのはどうしてでしょうか?名前が商品なら日本と同じでいいのに・・ クリスチャンでないのに、毎年クリスマス(音楽や飾りとかの雰囲気だけで、イエスの事は全く頭にないと思うけど)をしたり結婚式は教会、葬式は表面的に仏式と。神社に行ってもただ願い事をしてるだけですよね?そういう感覚を持ってるから仕方ないけど。

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