江戸の御代官所。
宝永・正徳・享保の頃、辻駕籠の数を「町方300、寺社方100、御代官所200」に規制しています。
江戸の御代官所で使用する辻駕籠を200以下にせよ、ということだと思いますが、いったい御代官所とは、何ですか。
調べてみますと、江戸近郊の幕府領の代官の多くは現地に住まず、江戸の屋敷を代官の業務に使用していたそうですから、これが“御代官所”になるのでは、と思っています。
しかし、全国の郡代・代官の人数は、江戸時代初期には80名ほどもいたが、中・後期には40-50名になったそうです。(『江戸幕府大事典』による)
江戸に住む代官の数より駕籠の数の方が圧倒的に多いです。
質問です。
1.江戸にある御代官所とは何ですか。
2.代官は辻駕籠を利用したのですか。
よろしくお願いします。
参考:宝永八年卯(1711)三月廿一日「御触」
一、辻駕籠書上 同廿五日、樽屋へ駕籠持召連、鬮(くじ)取いたし、当り候分は、棒に焼印請申候、不レ当ものは、向後家業相止申候、町方三百挺、寺社百挺、御代官所弐百挺、都合六百挺に究る、
お礼
回答ありがとうございます。悪いんですけど、高野真二さんは、知りません。済みません。俳優原口剛さんはすごく好きで、済みません。回答書いてもらって光栄でいます。