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怨んではないといいつつ、過去をほじくる人
いつもお世話になっています。 知人のことなんですが・・・・。 過去に、ひどい仕打ちを受けたらしく、そのことをよく言います。 ただ、怨んではいないそうで、相手のことも許しているそうです。 そうした過去のことを言うのは、これからに活かすためということらしいです(第三者には必要性は感じられません)。 私は、この知人の言う「許している」というのを額面通りとって良いのか、 判断に困っています。私もひどい仕打ちを受けたことはありますが、私自身は、許している場合には、繰り返し過去の仕打ちを、被害者的に語るということはしないし、できないからです(どちらかというと古傷を、わざわざいじりたくないですね)。しかし、人によっては、違うのかもしれませんし、完全に傷が癒えてるとそそうやって繰り返し言えるものなでしょうか? ・・どうも本当にそんなことあるのかなぁという感じです。 なお、許すことと関係あるのかないのか、分かりませんが、かなり思いこみの激しい人で、それなりにきついことを言う人ですので、他人から攻撃されたのは事実だと思いますが、一方的にひどい目に遇ったとは考えにくく、いささか記憶が置き換わっている可能性はあります。 ふーんと同意的な立場で接してはおりますし、それ以上なんともできませんが、被害にあったことを縷説しつつ、恨みにも思っていないという心理状態は、ありえますか?
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>被害にあったことを縷説しつつ、恨みにも思っていないという心理状態は、ありえますか? 多分ありえると思います。 理性で、恨んでも仕方がないと判断したにもかかわらず、 被害にあったショックから立ち直れない場合、そうなるのではないでしょうか。 例えば天災にあった、事故にあったりしたようなとき。 誰かを恨んでもしかたがないのだけれど、でも傷ついた心をなんとかしたいと思っているような場合とか、です。 この知人の場合、どのようなことがあったのかわかりませんが、ほかの回答者の方が答えていることはすべて当てはめられるようです。 知人の心の中でその出来事を過去のことにしてしまえない何かがあるのでしょうね。 おそらく本人もその何かに気づくことが出来ないでいるのでしょう。 辛い記憶や心のうちを言葉にすることで、客観的な認識ができ、そのことで心が癒されていくのです。 カウンセリングはそのためのものです。 ただ困ったことに思い込みの激しい人は、自分や周りの人を客観的に判断することが苦手なことが多いのです。 知人は、被害を受けたのは自分にも責任があるかもしれないことをうすうす感じてはいるけれど認めたくない。 自分は悪くない、一方的な被害者である、と強調して誰かに同意してもらうことで安心したい。 これは私の勝手な推測ですが…。 認めたくない、安心したい気持ちが大きいので、つまり心の葛藤が大きいので、何度も繰り返し話す必要があるのでしょう。 でも普通は、初めは同情的に聞いても何度も聞かされれば、 いやになります。 「あなたも悪いんじゃない?」と言いたくもなります。 質問者さまも知人の話が一方的なもののように感じているのですよね。 そこの状況が見えていないんですね。困りますね。 また今度同じ話をされたら、その話が本当かどうかは考えずに、「大変な目にあったわね、辛かったでしょう」とその知人の気持ちをねぎらう言葉をかけてあげるといいかもしれません。 その出来事の真偽はともかく、大変な思いをしたのは本当でしょうから。 一度その人の主張を認めてあげると案外それで満足して、 次からはそれほどしつこくなくなることも多いですよ。 それでもまだしつこく同じ話を続けるようなら… 私だったら逃げ出します(^^;)
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- hakobulu
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#4です。 ご返事ありがとうございます。 「>今上で書いたような、こちらの思ったことを言うのはやはりまずいですよね?」 :具体的な内容が不明なので何とも言えませんが、 「あなたの辛い気持ちは良くわかる」 という心底からのニュアンスは、欠かせないように思います。 相手の心を素手で掴みにいくようなものですから、 余程の信頼関係が成立していないと、難しいようにも感じます。
お礼
わざわざ補足の回答すみません。 アクの強い人ですので、お聞きしてしまいました。判断に困る局面ですよね。 >相手の心を素手でつかむ そうなんですよね。普通はこう思って、適度の距離というのもありますし、今私もそうしてますし、おそらくこれからもやっぱりそうなるとは思うんですけど、思いこみの激しい人って、人との距離をすごく縮めたがっているということもあるんですよね。そのくせ、距離を近づけると、心のトゲがささくれてしまうというような・・。思春期かなにかの少年のようなデリケートさがある人でもあります。と言っても、いい年の人ですので、少年の心があるなどと笑ってもおれませんし、それもちょっと困りものなのですが・・。
- souziki
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褒められたい、同情されたい人なのかなぁと思います。 誰かの気を引きたいのと、誰かに優しくされたいというのと。 どうだろう。 すぐに「なんとも思ってないけど」って言っても、とりあえず「大変でしたね」とか、そう言われたい人なのかもしれないし。 自分の感情が自分の中で整理できてないのかも。 僕もたまにあるので。 「すごいね」って言って欲しいのでは?なんて。 僕は言って欲しい。だから何度も言ってしまう。 面倒でも付き合おうと思ったら「すごいね」「大変ですね」という風に相槌打ってもらった方が、すごくうれしいと思う。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃるとおり、他人を求めるというか、寂しがりだとは思うんですね。ケンカ早いわりには、情をもとめてしまうというような。そのくせ、素直になるのは苦手という面はあると思います。これはこの人に限って言うわけではないのですが、似たような傾向の人は確かにいますよね。ただ、程度がきついのと、かならず自分の正統性に持って行くという人はあまり見たことがなかったので、単に慰められたいのかなんなのか、理解に苦しんでいるわけですが・・。だいぶん、皆様の書き込みで絞れてはきました。 怨んでるというのは、ここで議論してもやっぱり明確なことは分からないし、会っている私が判断すべきことだとは思うんですが、葛藤はやっぱりかなりあるようですね。 私としては、あまり踏み込む関係ではないし、かといって突き放す意味もありませんし、できるだけ同意的に接していく方向でいいとは思いました。
その人の心の中にはひどい仕打ちを許していない心が存在します。 その許せない心は既に本人との同一性を失っており、まともな葛藤も出来ないで矛盾した言動に反映されています。 健康な無意識にとって、現実を正しく認識する事と許しきる事は全く同じ事です。 したがって許せない心を隔離した本人は、それなりの心の健康と均衡をたもっていますが、許せない心とは要するに悪意で、それと判らずに行動に反映されているのは確かに問題です。 それからこの悪意が原因で人間全体を許せない心情を持ち合わせていると思います。 これが攻撃的で適切な他者への共感が出来ない理由です。 心の中の許せない心は、過去ではなく現在の彼の心を蝕んでします。 本人自身が許していると認識している以上、悪意のもたらす弊害が今以上に悪化する事は無く、一応の均衡をたもっていると思います。 いわゆる悪い人にはならないと思いますが、少しでも行動が悪意の影響を受けるのは悪いサインです。 本人に専門家の治療を受ける意思がおありなら別ですが、まあ、そう言う性格なんだと思っていれば迷惑を受ける事も無いでしょう。 もしも私の周囲にこういう方がいたら、折に触れて人間同士が信じあう事の尊さを教えようかと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 現時点で私の受けている感想にもっとも近い感想です(それが正しいとかそういうことは分かりませんが・・)。自分の気持ちに正直になるというのは、真面目?な人ほど出来ないこともあるんですね。この人は、思いこみがかなり激しいのですが、ある種とても真面目でもありまして、融通のようなものは効きません。思いこみのきつい人は、ちょっとそういう面があるような気がします。かたくなに固執する性向といいましょうか・・。真面目なので、正直ではあるんですけどね。いわゆる悪たくらみをするような悪い人とは違うんですよね。還って、処理しきれないものを隠蔽してしまいそうな感じはあります。 人からは評価されるべきところは評価もされ(悪い人ではなくて、良い面もあるので、それなりにちゃんと気を遣ってあげてる人もいるんですけどねぇ)、決して不遇の中にいるわけではないんですけどね・・。
自分の言葉で自分が抑圧していた記憶を語り、その行為によって抑圧を解除して、 痛みと言う症状から開放される。心を癒すのは言葉を使った自己認識のようです。 フロイトのカタルシス療法がまさにこれで、抑圧されていたものを言葉として表現することのよって、症状が軽減される。 自己認識と治癒が深く結びついているようです。
お礼
回答ありがとうございます。 言葉にすることによって、治療されているのでしたら、良いのですけどね。どうなんでしょうね。それが見えないだけに、恨みを刻み込んでるだけになっていなかが、ちょっと気にかかりますね。私は直接の関係者ではないので、気楽な面もあり、必要以上に近づかないという距離がありますが、いつもそばにいる人とは、衝突が多くなっているようですね。
- aozola
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そうですね、わたしの考えがあっているかはわかりませんが、多分許してはいるのだけど、その思い出が強すぎて頭から抜けないので、ついついしゃべってしまうとか、良いことも悪いことも人生の一部には変わらないので、あまりにその思い出が強すぎて頭から離れないのではないでしょうか(思い込みの強い人なら、なおさら倍増して)。
お礼
回答ありがとうございます。 >多分許してはいるのだけど、その思い出が強すぎて頭から抜けないので、ついついしゃべってしまうとか そういうこともあるのかもしれません。 こちらが、聞いていて、まぁあんまり嬉しいことではないので、そのことについて悪い印象を持ってしまっていて、それで「この人まだ根に持っているのかなぁ、しつこい」というネガティブなイメージを抱いてしまうと面もあるような気がします。で、言う人も、あんまりしつこく言うのは聞き手に悪いと考えられるほど、気を使えるまでにはなっていないということでしょうか。
- hakobulu
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過去のひどい仕打ちを 「本当に許す」ということは、 その事を 「何とも思わなくなる」 ということではないかと思います。 何とも思わない事を「繰り返し語る」ということは考えにくいですから、 知人の方は、(無意識の領域でかもしれませんが) 本当に許しているわけではないでしょう。 ただ、このような「傷」あるいは「トラウマ」といったようなものは、 表面化させ吐き出すことによって、 徐々に負担が軽くなる傾向はあるように思います。 知人の方には「許している」と言うことによって、 「加害者を精神的に乗り越えた」、 あるいは「加害者より自分の方が人間的に大きい」 と思いたい無意識が働いているのでしょう。 ですから、その人にとっては 「言う」という行為自体が傷を癒す過程での絶対必要条件ですし、 また、これは一般的にも当てはまる正しい方法のように思います。 「>それ以上なんともできませんが」 とおっしゃっていますが、 「>ふーんと同意的な立場で」聞いてあげるだけで、 彼女がどれだけ助かっているか、計り知れません。
お礼
回答ありがとうございます。 トラウマや傷なのでしたら、トラウマや傷として認識してくれた方がいいのではないかと思うのですが、その部分については、抑圧してしまっているような感じで、結局無理しているような感じがどうしてもあります。 いっそのこと、「ひどいよね。つらいなら無理しなくてもいいのじゃない? 悔しいことだってあるよね、私もそういうことあるよ」とも言ってあげようとも思うですけど、自分で愚痴を言った後で、すぐにもう許しているとか、いろんな弁明や教えが入ってしまうので、それはしたことがありません。こういう人は能弁なんですね。しかし、今上で書いたような、こちらの思ったことを言うのはやはりまずいですよね?
1)自分にも落ち度があってのことだった場合、被害面だけを語ることで 自分自身の落ち度を記憶から消そうとしている。 意識的・無意識的に「記憶の置き換え」を実践している。 また第三者に語り、自分の言い分を鵜呑みにしてもらうことで自己正当化を計ろうとしている。 2)「攻撃された自分はかわいそう。でも乗り越えて相手さえ許した。すごいでしょ」 という不幸自慢と自分の器の大きさをアピールしたい。 1)や2)の方法で傷を癒す?タイプの人はいますね。 「これからに活かすため」というその人の言い分は、 方法が正しいかは置いておいて、気持ちは間違ってはいないかもしれません。 ただこのように何度も繰り返し縷述することは、本人にそのつもりがなくても 「うらみごと」以外のなにものでもないと思いますが…。
お礼
回答ありがとうございます。 本人はそのつもりは無い可能性もあるということですね。 私もそれを思わないわけではないので、ここで聞いているわけですが・・。結局自慢というか説教になっている愚痴というのも、分かりにくいです・・。少しでも傷が癒えていればいいのですけどね。実害はないので、それが気になりますね。還って恨みの再記憶になってるような感じもします。しつこい、とう印象はぬぐえません。
- uni1986
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私も質問者さんと同じようなことがありました。間違いなく根を持っていますね。。。 なぜ、過去形か。それは、その人(間違いなく根を持っている人)が、今度は思い込みで私も敵視するようになったからです。 それは今でも続いています。遠くからでも私を見つけるや否や凝視・睨みをしてくるんです。正直、きついです。 しかし、彼はマイナス思考・思い込みの激しい(激しい被害妄想)・喧嘩っ早い、という人なので話し合いなど成立しません。 なので、今は静観しています。きっと彼は友達に、私たちのことを悪く言っているでしょうね。 ちなみに質問者さんは何歳でしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 私は30才です。相手はもう少し年が離れています。ご心配いただいているようなことはたぶん無いと思います。べったりとくっつく関係ではないですし、上下関係もありまんせんから、つかず離れずの距離は、一応保ってます。今回こういうことを聞いたことの理由の一つとして、ちょっと怖いというのもあるんです。
補足
一回り以上、先方が年上です。
- NAIROBI
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いますね。ご質問の文章を読んで笑ってしまいました。 「昔あいつにこうされた」「昔あいつにこんな恩を施した」で、「俺はしつこい方じゃないからどれも根には持ってないけど」と続く話を二万回ほど聞かされました。きっとまだ聞くでしょう。 世話になった人なので「はあはあ左様でございますか」と聞いていますが、きっと私のこともよそへ行ったら同じように言うんだろうなと腹の中で苦笑しています。 質問者さんのお知り合いのことはいざ知らず、私の上司に関しては間違いなく「根に持って」ます(笑)。
お礼
回答ありがとうございます。 確かにそういう感じではあるんですね・・。「してやった」も多いです。普通は根に持っていると思われるところなんですけど、あんまり言われると、ホントにそう思ってるのかなぁという気もします。本当のところは、ちょっと分からないのですが、難しい人ではあるんです。
お礼
回答ありがとうございます。 恨みに思っているかどうかという点では、回答者の皆様で違う意見もあるようですが、やはり皆様、整理しきれないものがあるという点では、だいたい同じようですね。そうすっきりいくものではないと思います。 同情はそれなりにいっぱいされてるんですけどね・・。 なかなか、それでは腹がふくれないというか、そちらは記憶にあまり残らないということのようです。かなり恨みを買うことも言う人ですから、敵も多いですし、気になるのでしょう。目がどうしてもそちらへ行くみたいです。