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真の失敗者の定義が知りたい!
真の成功者の定義は、よく本で見かけます。 その定義もあれだけの著者がいて、著者は違ってもその定義は法則性があるように偏ってはいないと自分自身は感じ、少し驚きつつも疑問の余地はありませんが、真の失敗者の定義はどういうものかというのは、本で私はみたことがないです。 本の行間を深く洞察している人は、啓示のように知っていると思いますが。 お金を持っていないのが失敗者だとか、非人格者が失敗者だとか、思いやりのかけらもない人が失敗者だとか、消極的な人間が真の失敗者だとか、いろいろと聞きますが・・・実際はここまで間単に決めつけることはできない複雑な問題かもしれませんが、みなさんはどういう人間が真の失敗者だと考えていますか? 第一そんな定義はほんとうは存在しないかもしれませんが、もしあるのなら・・・ということでよろしくおねがいします。
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- reira080802
- ベストアンサー率6% (18/300)
失敗者ですか。 失敗した後立ち上がらない人かな。
- bun-bunbun
- ベストアンサー率21% (81/377)
真の失敗者とは 「私は失敗をしてしまった。そしてそれは取り返しがつかない」 と頑なに思い込んでいる人を指すのだと思います。
- ringodarusimu
- ベストアンサー率33% (17/51)
やはり自分の行為そのものに対して失敗を失敗だと判断した時でしょうか。 富や名誉がなければ失敗だとか人間性に問題があれば失敗だとか言うのはあくまで世俗的な『失敗』を意味していると思います。富や名誉はなくても幸せな人はいますし人間性に問題があっても他人に迷惑をかけながらも平然と生きていくでしょう。 そして生きた結果死にます。この時『死』そのものには失敗はないと考えます。なぜかというと死の始まりである生は親によって与えられたものであり自分の能動的行為ではないからです。それはI was bornという英語が示す通りそれ自体が強制的に受動される事になるからです。 そして自殺については失敗ではなく失望、後悔など失敗とは異なった意思で生という現状に死という結果で自ら終止符を打つだけです。失敗かどうかは仮にあの世があればあの世で判断する事と思います。自殺をしない人からみればそれは既に失敗として認識しているのでそう思うだけではないでしょうか。自然死でも自殺でもそれは成功でも失敗でもないただ生と同様に強制的に受動される事実だという事です。失敗は成功と相対的ですが生と死は表現上の相対性はあっても100%の死は相対するものがありません。 つまり何をするにしてもしないにしても成功・失敗はそれを能動的に決定、実行し(しない事も能動的意思として見なした場合)その結果がでた直後以降それも自らの意思で判断した事象の事だと思います。そうなると失敗とは判断そのものなので失敗者としての人間をさす事はできなくなります。 ですからそれが社会的にどうなのかで世間一般に言われている成功者、失敗者として区別されていると考えます。ただそうなってくると99%の人が失敗だと考えても1%の人が成功だと考えるとそれは失敗ではない、つまり『真の』成功者、失敗者は存在しない事になります。 (少し原始的になったような気がします…) 個人的には現社会が仮想世界になっているように思えるので『成功者』を見るとすごい、なりたいとは思いますが『成功』云々で考えると悩まざるを得ません。悪い頭がいい運動になりました。
- kobarero
- ベストアンサー率29% (106/361)
「真の失敗者」とは、失敗を恐れて何もしなかった人のことだと思います。 「普通の失敗者」は目標に向かってチャレンジし、その結果として失敗するわけですが、そのことを通して新しい経験と学習があり、更なるチャレンジへの可能性も開けます。「真の失敗者」は失敗すらできないので、いかなる可能性も開けないまま死んでいく人です。
- bofd
- ベストアンサー率25% (8/32)
何の根拠もないですが、人は誰かを愛し、愛されるために生まれてくると思います。 だから、真の失敗者は 「誰も愛することができず、誰にも愛されない人」 だと思います。 「愛」ってなんですかと聞かないで下さい。よくわかりません(笑)。
極めて情緒的なお話ですみません ドストエフスキーだったと思いますが 「幸福な家庭の風景はどこもよく似ている しかし不幸な家庭の光景は千差万別である」 と語っています。 >真の成功者の定義は、よく本で見かけます。 それは、幸福な家庭のパターンが似通っているのと同じ。 願望を叶え満たされた人間の姿でしょう。 >その定義もあれだけの著者がいて、著者は違っても >その定義は法則性があるように偏ってはいないと自分自身は感じ、 それは正しい感じ方ですね。 >少し驚きつつも疑問の余地はありませんが、 >真の失敗者の定義はどういうものかというのは、本で私はみたことがないです。 それは、失敗というものを人が求めないことと 別に本で学ばなくても 人は簡単に失敗できるからではないでしょうか。 >本の行間を深く洞察している人は、啓示のように知っていると思いますが。 真の失敗者の定義など本の行間にも書かれていないし啓示としても ひらめかないと思います。 >お金を持っていないのが失敗者だとか、 >非人格者が失敗者だとか、 >思いやりのかけらもない人が失敗者だとか、 >消極的な人間が真の失敗者だとか、 強いて言えば、犯罪者。それと自殺者ですが。 愛を受け入れない、ひねくれ者でも、いつか救われるというのが宗教的 観念だと思います。 歎異抄に親鸞曰く 善人なおもて往生すいわんや悪人おや あきらめた時点で、失敗は失敗と認知されるのだと 確かエジソンが言っていました。(本当か?) >みなさんはどういう人間が真の失敗者だと考えていますか? どういう人間が■■者か?という形式の質問は大変面白いですね。 どういうことが失敗か? と問えば、それは各自の価値観や夢とか願望の問題だといえるけど どういう人が失敗者かと言われたら サッカーならイエローカード3枚もらった人 とか具体例が出てきますね。 女性の美とは何かと聞かれて答えるのは難しいけど どういう人間が美人かと聞かれたら答えやすいですね。 >第一そんな定義はほんとうは存在しないかもしれませんが、 >もしあるのなら・・・ということでよろしくおねがいします。 あきらめた人間。あるいは取り返しのつかないと自分で感得ざるをえない 失態を演じてしまった人間。自殺者。犯罪者。
- seidou
- ベストアンサー率0% (0/0)
自分もNO.8さんに同感ですね。 ですが、失敗者というのは自分が失敗していない、と思っていてもあなたから見れば明らかに「こいつは失敗したな」と思うことがあるかもしれません。そして、その人が己の失敗に気づこうともしない人もまた失敗者とも思えます。 ただ、これが真の失敗者の定義かといわれれば首を傾げるしかありません。 成功者が必ずしも失敗者を決めるとは限りません。 失敗者が失敗者をなじることもありますからね。 今、自分が失敗者とは?と聞かれれば、 「過去を悔やむだけで反省をせず、己の非に気付け無ずに終わってしまう人」と答えるますね。
- U-more
- ベストアンサー率30% (81/266)
「いい人生だった。」と笑って死んでいけたら 人生の途中でどんな失敗があろうと、 トータルで考えて満足のいく人生であったのであれば、 その人にとっては成功した人生だと思います。 客観的にみて、「失敗した。」と思うことがあっても、 失敗から学んで成功するように努力すれば、 それは失敗ではなく、いい勉強な訳ですし、 「本当に失敗であるかどうか」は死ぬときに その本人にしか分からない事だと思います。 というわけで、 NO8の方と同じように、 死に際に後悔がある事だと思います。
- zenzenzen
- ベストアンサー率1% (1/67)
自分自身が知っている. 汝自身を知れ. そういうことに共通性を求めることは自己の可能性断ち切ることに等しい.
結局、何か事をなすにはリスクが付きものだと思うのですが、そのリスクを恐れて何事にもチャレンジできず、おかげで成功も失敗もない、NO8の方が言われるようにただ後悔 のみ残して静かに生きを引き取る、そんなイメージじゃないでしょうか。
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