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ウィリアムフォークナーの時間の流れについて
ウィリアムフォークナーはよく彼の小説で時間が逆行するような書き方をしてるんですけど、、、なんで彼はそういう書き方をしてるんでしょうか?? その当時の南部の状況に影響されたのでしょうか? 過去を取り戻したかったからそういう風に書いたのかな・・・??よくわからなくて。何か意見や知ってることがあればなんでもいいので、助けてください。よろしくお願いします!!
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- ghostbuster
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このフォークナーと時間のもんだいというのは、#1のかたもおっしゃっておられるように、膨大な研究がなされています。 そのなかから有名なものとしてひとつあげるとすれば、「南部的時間軸」ということがあります。 この「南部的時間軸」の説明として、たいていあげられるのが、『エミリーにバラを』の、この部分です。 「彼らは、老人がよくするように、数学的に進行してゆく時の流れをごっちゃにしているのだった。彼らにとって、すべての過去の時代は、しだいに先端が細まってゆく道ではなくて、冬の季節もほとんど届きそうもない、広びろとした草地であり、そこは、最近の十年間という狭いびんの首によって、現在の彼らから隔てられているにすぎないのである」(瀧口直太郎訳 新潮文庫) 南北戦争以降、南部人が味わった深い挫折感というものを、フォークナーはつねにもんだいにします。 そうした挫折感は、時間の感覚をごちゃごちゃにすることで、もしかしたらありえたかもしれない、という別の時空間をつねに幻出させるのです。 そうして、フォークナーが描く登場人物は、みなこの歪んだ時空間に生きている、というものです。 もうひとつ言えることは、フォークナーに限らず、20世紀に入ると文学というものは、カフカであれ、ジョイスであれ、できるだけわかりにくくする方向に進んでいくのです。 まずストーリーというのは、時間の進行に従って事件や出来事を語ったものです。 「つぎに何が起こって、それから何が起こって、そうしてどうなった」というのが、ストーリーの骨格です。 物語というのは、どうしてもこの時間軸を無視することはできません。 チャールズ・シュルツのマンガ『ピーナツ』のなかで、お話をライナスからせがまれたルーシーは、「人が生まれました。生きて死にました。おしまい」と答えますが、物語の骨格は、結局、これに尽きるのです。 文学というのは、19世紀に完成した、とよく言われます。 フローベールやバルザック、スタンダール、あるいはトルストイやドストエフスキーという偉大な作家が登場し、「人が生まれました。生きて死にました」の物語を、壮大かつ深遠かつ華麗に繰り広げました。 そのあとに登場した20世紀の作家はどうしたらよいのか。「人が生まれました。生きて死にました」の物語に、もうひとつの忘れられない物語をつけ加えるのか。 もちろんそうした作家たちもいました。 そうではなく、新しい方向を模索した作家たちもいました。 フォークナーやジョイスやカフカらは後者です。 そしてその実験のひとつが、物語の時間軸を意図的にずらす、混乱させる、ということであるのです。 ここでは読者は、ディズニーランドのアトラクションのように、さまざまに移り変わる風景を見ながら、出口へ運ばれていくことは許されません。 読者も、作者と同じ、作品の内部に立つことが要求されるんです。作者と同じように、物語を自分の手で、時間軸に沿って並べ直す。ときに、そこで意図的に隠された空白部分を見つける。作者がところどころで置いている道標を目標に、ときに誤読しながら(この誤読、というのは、読者による創造、という意味で、非常に重要な行為です)たどっていくことが求められているのです。
- Diogenesis
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ウィリアム・フォークナーは ウィリアム・ジェイムズの心理学に由来する いわゆる「意識の流れ」の手法を自覚的に用いた作家のひとりです。 登場人物の主観世界の時間の流れに沿った記述は 客観世界の時間軸を基準にしてみれば 行きつ戻りつ渦を巻くような複雑な流れに見えるでしょう。 「フォークナー」と「意識の流れ」をキーワードに検索すれば さまざまな論考に出会うことができるはずです。 また参考URLの記述にあるとおり, 過去が(特に南部の奴隷制度時代が)現在まで続いているさまを表すために, フォークナーはあえて時間の流れを混乱させる手法を使ったとも言われています。