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昔の人の厠での後処理は?
歴史のカテゴリーでこのような質問をお許しください。 たいへん尾籠な質問で恐縮なんですが、義経などの時代(別にその時代にかかわらず)に、厠で用を足した後の処理などはどのようにしていたのでしょうか。 紙は貴重品でしょうし、水道などなかった時代ですから、水をふんだんに使えないでしょうし。 おしりの処理もさることながら、後の手洗いなどはしていたのでしょうか。 「義経」等の時代劇の綺麗な着物を着た女性などを見ておりますと、いつも疑問に思ってしまいます。 どこかそのようなことを解説したホームページなどございましたらお教えくださいませ。 よろしくお願い致します。
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●厠=川屋 というのはよく知られた起源です。文字通り、川の上へ桟橋のように出した小屋です。川の傍ですから、あとはおケツも手も洗えば簡単、というわけです。 当時は「病気の原因は悪霊やケガレ」「ケガレは海や川へ流すと消えるもの」と考えられていたので、下流の衛生面など誰も気にしなかったようです。 奈良時代には仏教とともに東司(とうす)=常設の汲み取りトイレが寺や貴族の館に設置されるようになりましたが、洪水の後は疫病のもととなったようです。 なお鎌倉時代、都の姫君のお使いになるトイレは板の間で、着物を掲げおしりの始末もする侍女が居ましたが、イナカ(都から東)武士の姫などが都へ輿入れすると、それがイヤで帰ってしまう人もいたとか。 ●おしりの始末 「葉っぱ」。厠の窓の外にヤツデなどつるつるの葉を植えるのはこれが起源だと言われています。 「手」手で拭いて手を洗う。手水鉢 「縄」……荒縄を横に張っておいてまたぐ…ううん。 「木簡」糞箆、屎ケツ(へら)ともいいます。 貴族と僧侶のもの。 これでおケツをこそいだ…って、痔や痛い時は困ったでしょうね。 「紙」戦国時代にやっと武士や貴族が、江戸時代になると町人でも落とし紙・拭き紙を使うようになりました。 江戸では「浅草紙」という反故紙の再生紙を使用。 大阪人では糞尿を肥料として売るには紙が混じると質が落ちるので、使用済みのは籠にためて屑屋に売ったそうです。 (「トイレで笑える雑学の本」 講談社+α文庫より) 現存する日本最古のトイレ http://www.kyosuzume.jp/kyosuzumesen/012.html トイレあれこれ http://www6.plala.or.jp/fynet/2book940sonota-toire.html
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- kokkorunn
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一番下のURにsaki2940さんと同じように悩んだ人がいます。色々書いてありました。 参考になったら嬉しいです。 http://www6.plala.or.jp/fynet/2book940toire-jyosei-tachi-syoben.htm http://www.jmcy.co.jp/~goto/hitori/toile/toile01.htm http://www11.ocn.ne.jp/~drtoilet/2000.html http://hccweb5.bai.ne.jp/bupposo/otosigami.htm
お礼
なるほど、驚きました。 ご回答どうもありがとうございました。
- sirowan777
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平安貴族の女性は、箱の中に砂を敷いたものを持ってこさせ用を足しました。 紙は美濃紙を侍女がもんでやわらくして、侍女が拭きました。 羞恥心はなかったようです。 庶民は紙が高価なので、木の葉などを使いました。 風呂には入らないけれど、水浴びはしたようです。 中国では「くそへら」というへらで処理したらしいです。 日本は水が豊富ですから、手洗いには困らないですよ。
お礼
へえぇ、そうなんですか。いままで知らなかったものですから驚きです。ありがとうございました。
お礼
いやぁ!!知らない事ばかりでびっくりしました。 どうもありがとうございました。