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日本の文化の本来の色

最近テレビでみる時代劇や歴史ドラマの色使いが、大きく変わったと感じています。 とくに今年になってから、時代を問わず色が鮮やかではっきりとした色をもってきたと感じます。 子どもの頃から社会人になるまでに見た時代劇は、壁も寺社も木造で色合いも少なく、着物も藍染のものが多く、はっきりいって色彩が多彩とはいえませんでした。女性の着物で花柄がきれいでも、地は白や淡い色で描かれることが多かったと思います。 しかし最近の時代劇、例えば義経や、もうすぐやる里見八犬伝、今日やっている時代検証ドラマ「日本の歴史」でも、服装も装飾品も化粧もとても鮮やかに描かれています。 同じNHKでも、昔の平家の壇ノ浦の戦いなどの鎧と、片や同じ時代設定の「義経」の鎧は色使いがかなり違いますし、町民の着物も数年前の「武蔵」と比べると、同じ京でもあきらかに義経のほうが、色使いがあります。 単純に昔は着物の地が白や淡い色がおおかったのが、今は地の色から多彩になっている感じです。 http://www3.nhk.or.jp/taiga/yoshitsune/index.html 中国・香港映画の「HERO」や「LOVERS」の衣装デザインに、元黒澤明監督スタッフで日本のワダエミさんが参加しており、これらの映画は鮮やかでした。彼女はアカデミー賞も受賞しています。 里見八犬伝でもワダエミさんが、今回TVドラマ初参加しているとのことです。 ワダエミさんは、時代検証し、毎回あたらしく衣装を発注するとのこと。 日本の古来の色使いというのは、ワダエミさんが描くようにもともととても鮮やかなものだったととらえるのがふさわしいのでしょうか。最近の色使いをみると、鮮やかだったのは貴族だけではないと感じます。 建物も本来カラフルなものが多く、長い時代の中で色がおちてしまっていたものを、昭和の時代劇が間違って色がない建築物として描いていたのでしょうか。

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  • sirowan777
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回答No.1

まず建物ですが、竣工時はキラキラですよ。 柱には朱が塗られ、仏像は金で覆われています。 古代から奈良時代までは中国の隋や唐のファッションです。 とうぜんきらびやかだったでしょう。 高松塚古墳の壁画でわかると思います。 平安時代になって国風文化が花開きますが、日本独自の「かさね」などの色使いが生まれました。 十二単で使われた色の組み合わせです。 今ほど染色技術がよくないので色数は少ないです。 その分、鮮やかな組み合わせだったでしょう。 武将の鎧の下は赤地の錦です。 これは怪我をわかりにくくして士気の喪失を防いだようです。 戦国時代でも「かぶきもの」なんてすごいファッションがありました。 時代考証で一番間違いが多いのが江戸時代と思います。 奢侈禁止の影響で派手な着物は着れませんでした。 だから「利休茶」のような渋い好みが生まれたのです。 女性のお歯黒や眉そりもしてませんね。 本当に間違いが多いです。

noname#14589
質問者

お礼

レスありがとうございます。 たしかに竣工時は、カラフルで仏像も金でおおわれていたようですね。 京都や奈良にいったとき、寺院の宝物殿などにある壁や扉の復元図はとてもあざやかなのに、なぜ時代劇や映画はそのあざかやな復元図で、映像を描かないのかが不思議でした。 屏風絵なんかも、現存するものでもあざやかなものが多い気がします。 中国では、赤い壁は旧来から塗り重ねてきたそうで、それでいまでも赤いらしです。 なかには建築物の価値をきにせず、西洋のペンキで塗ったものもあるらしいですが。

その他の回答 (2)

  • ss79
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回答No.3

現在はカラーデザイナーとかコンピュウターの時代で自由な発想もしやすくなっています。 何万色が可能な時代です。 しかし日本人は比較的単純な好みで、例えば音楽でも交響曲の発想は少なく、楽器も単色でした。 尺八、三味線、太鼓など異なる楽器の演奏よりそれぞれの単独演奏を楽しむ傾向が強かったように思います。 友禅染めや帯、組みひもなど色彩豊かなものは当時でも芸術品で高価で普遍的とは遠かったと思います。 どちらかといえば侘び、寂びというのは色彩といえば単色の世界ではないでしょうか。 現代はカラーの時代ですから必然的に色彩豊かになったのではと思います。

noname#14589
質問者

お礼

レスありがとうございます。 奈良や京都でみたあざやかな復元物は、コンピュータが普及するよりはるか以前に復元されたものでした。 また、法隆寺の聖徳太子像が当時はとても鮮やかに彩色されていたのも、いま思い出しました。 >日本人は比較的単純な好みで >どちらかといえば侘び、寂びというのは色彩といえば単色の世界ではないでしょうか たしかに、過去にこう考えられたり、言われてきました。 ただ、こんどはこれを「日本人は」「好みで」と述べてしまうと、これも無理がある気がしてきました。 別に議論するために書いているわけではなく、もし単純好み、単色の世界のほうが日本人に普遍的だったのであれば、復元物や屏風絵に描かれる物々(貴族社会などを除いても)は、鮮やかさをもっていないはずですが、下にも書いたようにテレビ番組「日本の歴史」でも、映像の実際の古物や屏風絵に書かれている物々はかなり色がつかわれているものがありました(ドラマのはりぼてではなく、実物がいくつか映っていました)。 また単純が主流であったなら、現在ワダエミさんが採用している色使い・組み合わせが間違い、ということになってしまいます。 ここが解せない部分でした。 ただこうやって質問をなげかけてみて、実際過去には色鮮やかなものが多かったこと、最近はそれを映像も取り入れており、必ずしもわたしが子どもの頃にみた時代劇は、検証人という人がついていても、ただしかったわけではないことがわかりました。 自分の中で、ワダエミさんの試みと、実際の歴史、映像のきれいさがバラバラだったのが、ようやくマッチしてきました。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.2

質問の意図に合わないかもしれませんが色素というものは天然に由来するものが当初用いられました。 従って限定された色彩の単色からそれらの組み合わせによるものに進化したのです。 この為色素は極めて高価なものだったのです。 幻の古色の再現に大変な努力がいるのです。 現在は合成化学の進歩で多くの色素が安価に合成され過去に見ない色相も実現可能になったのです。 建造物も当時存在した無機顔料の朱や青、緑色で彩られたわけです。 従ってその時代可能であった範囲で財力が許す限りカラフルであったと思いますが、経済力に余裕がない場合そのような贅沢は出来なかったでしょう。

noname#14589
質問者

お礼

レスありがとうございます。 当時はきれいだったと想像します。 現代は科学技術がはったつしたというのに、その時代の検証や再現が、時代劇などにいかされていなかった気がしました。 もちろん財力がない階級もあり一概にいえないとおもいますが、豊かな層でも昭和の時代劇は色のパターンというか組み合わせがすくなかった気がします。 最近の時代劇は、ベースの色と図柄の組み合わせが、多彩になったと思いました。 たぶん当時も高価な染料だったかもしれませんが、組み合わせは工夫できる素地は当時もあったので、ワダエミさん的な鮮やかな組み合わせが正しいのかな、と思うこのごろです。

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