日本には学者が多いのに何故社会は低レベルなのか?
前の質問に対するお礼もしていないのに、新たな質問をすることを許して下さい。
時間が出来たらお礼をしたいと思っていますが、今回は前々から疑問に思っていたことを質問します。
全く偶然にYouTubeで「サル化する世界」ということで内田樹という方が喋っておられました。浅学で私はこの方を知りませんでしたのでウィキペディアで調べてみると、仏文学者とで合気道7段、随分沢山の著書もあり諸問題について幅広い所見をお持ちです。NHKテレビの日曜討論があると、あらゆる問題に関して多くの専門家や学者が登場します。今だけでなく、江戸時代から日本には多くの学者が輩出したと思います。少なくとも明治以降の学者は日本や世界に対し「こうすれば良い」と考えを述べていると思います。
私の見るところ、国民の意思がほぼ反映され、満足出来るレベルの人間社会を実現できている国は北欧諸国とスイスくらいです。アメリカにも多くの学者がいると思います。しかしアメリカはトンデモナイ社会しか実現できていません。しかし、アメリカに劣らず理想とは程遠いのが日本社会です。専門家や学者というのは、社会を良くしようと思って発言しているのではないのでしょうか?
途上国は知的レベルが低いし学者は非常に少ないです。しかし、日本は学者専門家が一杯いる国だと思います。その殆どは社会を良くするにはどうすればいいかを考えている人たちだと思います。
しかし今の日本は、山本太郎が涙を流して訴えねばならないほどの劣化した社会です。
日本国民が幸せを感じたのは戦後の一時期だけだったんじゃないでしょうか?「一億総中流社会」と言われた頃です。
彼らは御託を並べるだけで殆ど実際的な行動をしてないからでしょうか?やはり、ガンジーやカストロのような命を掛けて行動する人間が現れないと社会は変わらないのでしょうか?これほどの数の学者専門家がいるのに、日本社会のレベルが「国民の幸福」という点で余りにも低いので、彼らは一体何のために存在しているのかと怒りさえ感じてしまいました。どう思われますか?
日本社会に関してはいくらでもその実態は知ることができますが、アメリカ社会も知れば知るほど差別と貧困のひどいひどい社会ですね。
よろしくお願いいたします。