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実話? それとも創作?

歴史上の人物には多くの逸話が存在します。 ですが、その中には後の創作なのに事実のように伝わっているもや誤って伝わっているもののが多くあると思います。 そのような話をご存知でしたらお教えください。

みんなの回答

  • souziki
  • ベストアンサー率24% (116/482)
回答No.18

豊臣 秀吉 猿とか言われてますけど、あれはウソ。 本当は『ハゲ鼠』。ちなみに言ったのは織田信長。 秀吉の奥さんのねねさんが、「ウチの旦那はこうこうで」とか言う愚痴手紙を書いたんだそうですが、返事の手紙で、「お前はとてもいい奥さんだ。あんまり秀吉がひどいんなら、もっと胸を張りなさい。全くあの『ハゲ鼠』には勿体無いくらいだ」という意味の事を書いたんだとか。 ちなみに、しゃがみこんだ姿がハゲ鼠に似てたから。 サルはドコから、というと、あるラクガキで、 秀吉の成り上がりの風刺歌に、「柿(権力)をまんまと手に入れたのは木の下(秀吉の名は木下)におった猿」からきたのだとか。 スカーレット・オハラ? 名前はうろ覚え。「風と共に散りぬ」でしたっけ。南北戦争っぽい、あの映画の主役。たまたまあの女優さんがオーディションの見学に来ていた、ということですが、実は裏で手回ししていた計画的なものだったとか。 ついでに、著者はとても有名な女性記者で、作品ができた後コネを使いまくって広めたんだそうな。 伊藤 博文 初代首相伊藤さんの写真はお腹押さえてますよね。アレ、ナポレオンの真似だとかいいますけど、ホントは脱腸があって押さえてないと痛かったんだとか。 邪馬台国 逸話ではありませんけれど、実は邪馬台国ではありません。邪馬壱国(ヤマイコク)なのだとか。 ちょっと記憶があやふやですけれど。 聖武天皇 大仏造った偉い人、とか言ってますけれど、無茶な近親結婚の所為で血が濃すぎた影響があったんだとか。 大岡越前だか遠山の金さんだか 嘘っぱち。めっちゃテキトウな裁判だったそうです。 なのにあんなに人気ありますよね。 当時江戸でお芝居は贅沢だから追放しよう、という動きがあったんですが、ソレを必死で止めたのが彼だったそうです。どっちかは忘れました。 それで芸人に人気が高まり、彼の演目ができたんだとか。 蘇我入鹿 反逆者として殺されていますが、全くの濡れ衣。むしろ最も天皇に忠実であった人です。天皇の命の為親戚殺しも厭わぬ人だったんですよ。自分の家に陣を張ったのも、当時の外交緊迫を考えれば当然至極のこと。 でもまあ、中大兄皇子が日の目を仰ぐ為には誰か血祭りに挙げて名をあげる必要があったわけです。 聖徳太子 彼は厩の前で生まれたから厩殿皇子っていう名前がついているんですが、あれは聖書のパクりらしいです。 キリストさんですな。 偉い人が厩で生まれたらしいから、日本の偉い人も厩でうまれたことにしよう、ってなったそうです。 上杉謙信と武田信玄 二人は陣中で一合打ち合った、といいますがウソです。 どう考えてもあの戦状態で大将同士が打ち合う余裕はなかったんだとか。武田さんの妄想だったらしいです。 真珠湾攻撃 日本は会戦を言わなかった、言ったけれど攻撃した後だった、といいますが、ちゃんと攻撃前にしてました。ぎりぎりだったそうです。卑怯だな。 アメリカさんの対応がまずかっただけで。でもこの話題をすると、皆さん喧嘩になります。 そういう本があったはず。 文庫本サイズで。探してみるとあるかもしれません。

kiba0228
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 本当に色々ご存知ですね。 >聖徳太子 この話は聞いたことがありました。ただ、私が聞いた話だと、そのころにユダヤ教が伝わっていたためキリストの話を真似ることになったというものでしたので、眉唾かと思ってました。 >蘇我入鹿 今考えると歴史上の人物のイメージは、幼いころに読んだ漫画で学ぶ日本の歴史のイメージが強く残ってる気がします。 入鹿なんてその代表です、ずっと残忍な人物だと思ってました。

回答No.17

三国志演義は 明の時代に 講談などを まとめて 書かれた物です。  ほとんど フィクションの固まり。  にもかかわらず ここでは 三国志演義を引用して 答えている 困ったというか 史実と小説の区別が 満足に できない回答者が たくさんいます。

kiba0228
質問者

お礼

これは確かに多いですね。 ただ私自身、正史三国志の方はほとんど知りませんから、正しく判断することができないんですけどね。 いつかは正史の方の三国志を読んでみたいと思っているのですが、なかなか時間と機会が無いのが現状です。

noname#113260
noname#113260
回答No.16

新鮮組の沖田総司の容姿  ひらめ顔 http://makotoan.hp.infoseek.co.jp/character/souji.htm (姉の孫が似ているとの証言から描かれた肖像画) 巌流島で有名な佐々木小次郎  おっさんといってよい年齢(諸説あり) 道鏡(女帝に取り入った僧侶)  お風呂に入るとき「どぼん!どぼん!どっぼーん!!」と、3回音がする。  最後の音は一物の音ですが。  俳優の上原謙(加山雄三の父親)も旅館のお風呂で  椅子に座って体を洗うと、何の先が床に点いたとか。 大岡越前  殆どが中国のお話しをダブらせた逸話。  実像は有能な高級官僚。 遠山の金さん  結構死罪判決が多かったとか。 織田信長  今川義元を「鉄漿(おはぐろ)」とののしってる自分が鉄漿 徳川家光  おかまキャラ、ピー子さんのような人だったのでは。 徳川吉宗  財政赤字でいつもキューキュー。  豊作だと米価が下がって苦しいし、凶作だと実入りが少ないし。 田沼意次  商業の判る砕けた性格の政治家。  自身は強欲とは対極の性格だったとか。 他もありますが、面白そうなものを数点。

kiba0228
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 沖田総司イメージ画、見た瞬間吹いてしまいました。美形ではなかったとは聞いていたのですが、こんな顔だったのなら、何がどうなって今のイメージになったんでしょうね。

noname#30758
noname#30758
回答No.15

更に箇条書きで。 ゲーテの最後の言葉「もっと光を」は単に窓を開けてくれということだった。 カエサルの最後の言葉「ブルータス、おまえもか」は後世の創作であるという説がある。 板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」と言っていない。別の人が言った。 テレシコワの「わたしはカモメ」は、単に彼女のコードネームがカモメであり通信の際にそれを使っただけ。 マロリーが言った「そこに山があるから」の山はエベレストだけを指す。正確には「何故エベレストに登るのか」と問われて「そこにそれがあるから」と答えたもの。「山」と訳したのは意訳。 マゼランは世界一周していない。途中で死んだ。一周したのはマゼラン隊の生き残りのわずか一隻、十八人だけだった。 関ヶ原の戦いの際、徳川秀忠を真田昌幸が足止めしたとされているが、実際は大雨で川が氾濫したからだという説がある。

kiba0228
質問者

お礼

こんなに多くの回答ありがとうございます。 それにしても、偉人の名言や逸話は後の創作やこじつけというのが多いのですね。 この辺りの名言などは本当に言ったものだと思っていました。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.14

あ、一つ間違えました。 哨戒艇は「コンコルド号」じゃなくて「コンドル号」です。m(__)m

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.13

こんにちは。 面白いスレッドになってきましたね。 おきにいり登録ものです。(笑) さて、他の方の回答を読んでいていくつか思い出しました。 9軍神の話を見て思い出したのは、第二次大戦の「パールハーバーを忘れるな」の真珠湾奇襲の数時間前、実はアメリカ軍が日本軍に攻撃をしかけていた。 真珠湾攻撃の2時間程前にアメリカの哨戒艇コンコルド号と、駆逐艦ワードが特殊潜航艇を発見、砲撃と爆雷で撃沈しています。 この時の艇が発見されたらしく、先日、ディスカバリーチャンネルで報道されてました。 指令塔の付け根辺りに直撃弾を受けた後がはっきり残ってました。 ワードはこの後、もう一隻を発見、爆雷攻撃で撃沈したと思われるらしいです。 つまり真珠湾の2時間前から、既に特殊潜航艇2隻vs哨戒艇1、駆逐艦1の海戦?が行われていたわけです。 さらに別の潜航艇の一隻がジャイロコンパスの故障で座礁、乗組員二人は自決しますが、酒巻少尉は助けられてしまい、捕虜第1号となりました。 余談ですが、この人は、後に日本軍が玉砕戦をやるようになった時、通訳、投降呼びかけに召集され、多くの日本人を救ったという事です。 もう一つは、「地球は青かった」のガガーリンさん。 実は第1号じゃなかったらしいです。 第1号はその5日前、ウラジミール、イリューシンさんで、この人は、地球周回中、トラブルが発生、中国に墜落してしまいます。 中国に拘留、病院で治療されて一年後にソ連に帰りますが、終生この件で発言する事はありませんでした。 ガガーリンさんは、その後、宣伝に活躍した後、テストパイロットに復帰しますが、お酒に溺れた生活を送ったようです。テスト中、着陸に失敗して墜落死したのに、遺体は小指一本だけという大変不可解な死を遂げます。 イリューシンさんは父の飛行機会社を継ぎ、大成功します。数々の名機と言える飛行機を送り出しました。 中国の記録、最近のソ連崩壊後の文書公開などでこれを裏付ける物が結構出てますので、近い将来、ガガーリンさんは2番目として社会科の教科書が変わるかもしれません。 #それにしても9番の方のニュートン、うけました。(笑)

kiba0228
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 以前、何かの番組でガガーリンの前に宇宙にいった人がいる、とか言っていてオチは実はサルだかチンパンジーだったというのを見たことがあったのですが、実は本当にガガーリンより先に宇宙に行った人間がいたんですね。

kiba0228
質問者

補足

正直、質問した本人も想像していなかったほど、多くの回答をいただいて、感動しています。 すでに質問者の知識を超えた回答も寄せられているので、ネットで調べたりしながら読ませていただいています。 この先もどんどんいろいろな話を教えてください。

  • char2nd
  • ベストアンサー率34% (2685/7757)
回答No.12

 もう一つ。  江戸城天守閣焼失の原因となった明暦の大火(1657年)、別名「振り袖火災」の振り袖の逸話も作り話だという説があります。  というのは、火元とされる本妙寺がその後もなんのお咎めもなく他所へ移転し、しかもその費用を幕府が援助したとされているからです。財政難で天守閣の再建をあきらめた幕府が、です。ふつうに考えればあり得ないことです。  実際の火元は本妙寺の近くにある旗本の屋敷だそうです。幕臣の家から火が出てお城が焼けたとあっては体裁が悪いので、そのような話をでっち上げたということらしいです。  当時、火付け(放火犯)は火あぶりの刑と決まってましたから、火元がなんの罪にも問われないはずはないですね。「八百屋お七」の事件は有名です。  ちなみに、前述の通り江戸城の天守はこの火災のあと再建されておりません。従って、五代綱吉以降の時代劇などで江戸城天守閣が登場するのは史実に反しています。

kiba0228
質問者

お礼

順番が逆でしたね、No11じゃなく、こっちに再度ありがとうございますと書くべきでした。 明暦の大火の原因については、いくつか説があるようですね。 と、Wikipediaの受け売りを知ったかぶりで言ってみました。 振袖の逸話もこちらに載っていましたが、普通に考えて、ここまでの大火事に発展するとは考えずらいです。

  • char2nd
  • ベストアンサー率34% (2685/7757)
回答No.11

 真田幸村について。  「幸村」という名前自体が後世の創作といわれています。当時の文書等に「幸村」という名前は未だに発見されていません。正しくは「信繁」といいます。  また、十勇士ですが、実在の人物も含まれています。穴山小助などがそうですね。

kiba0228
質問者

お礼

再度回答ありがとうございます。 「幸村」という名前自体が後世の創作ですか。 「信繁」という名前だったということは知っていたのですが、「幸村」は幼名か何かかと思っていました。 義経にしても、義経・遮那王、牛若と三つながありますからね。そのノリで考えていました。 それにしても幸村に関しては後世での創作が多いですね、それだけ幸村が魅力的な武将だったということでしょうか。

  • ryuudan
  • ベストアンサー率39% (252/638)
回答No.10

 日露戦争の旅順要塞攻防戦。  装備で劣る日本軍が多大な犠牲を払いながらもロシア軍を苦難の末に撃破った、と現在でも賞賛されております。  しかし、数年前のNHKの歴史番組(松平アナ司会で毎週放送されています)によれば、その勝因は日本軍によるロシア軍に対する買収だったとか。詳細は忘れてしまいましたが、NHKは独自の取材に基づき、具体的な根拠をいくつか挙げて結論を導いておりましたのでとても驚きました。  日本軍の大勝利の裏で、実は金が動いていたとは全く想像もつきませんでした。

kiba0228
質問者

お礼

これは初耳です。 日露戦争の裏側に日本によるロシアの買収があったなんて、思いもしませんでした。 日露戦争は日本という国を世界に知らしめた戦争だと聞いていましたから、そんなことを考えたこともありませんでした。 回答ありがとうございました。

  • shikechin
  • ベストアンサー率34% (35/102)
回答No.9

ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て引力のことを思いついた。 これも、事実ではないようです。 実際は、もっと複雑な考えのもと思いついたようですが、 回りの人から「どうやって引力のことを思いついたのか?」という問いに、 詳しく説明せずに、簡単に「リンゴが木から落ちるのを見て」と答えたのが、 逸話となって、今に伝わったとのことです。

kiba0228
質問者

お礼

ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て引力のことを思いついたというのは事実ではない、というのは聞いたことがありましたが、そんな理由があったんですね。 そのときニュートンは軽い気持ちで言ったのでしょうが、それが今現在まで伝わってきているのですから、不思議なものです。 回答ありがとうございました。

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