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あまり知られていない偉人、変わった歴史上の人物

歴史上でいつも有名になる人が決まっているのですが、あまり知られていないが、すごい人や話はあると思います。 例えば、九州の武将であった立花道雪(千鳥で落雷を切り、半身不随になったが、一命を取り留めた、その後神輿に乗りながらも戦場に出て戦った、漫画NARUTOの由来になっているという説がある)などですが、 他にも、あまり知られていない偉人や、変わった歴史上の人物、そのエピソード、現在に至るもその礎を築いた逸話、などの話があったら教えてください。神代から現代までいつの時代でも、神話でもかまわないのでお願いします。

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  • booter
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回答No.12
noname#96629
質問者

お礼

こんな話があったんですね、確かに教科書には将校たちが並んだ写真しか載ってないですね。 有難うございます。

その他の回答 (15)

  • code1134
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回答No.16

"あまり知られていない""変わった"部類かは心許無いのですが ●(特効薬を開発した訳ではないけど、"コカコーラ"の原型の飲料を生出した面で)"著名な薬剤師"たるJ,ペンバートン http://www5a.biglobe.ne.jp/~g-cherry/cora.htm ●(マクドナルド兄弟が始めたのは確かだが、飛躍的拡大との視点からは買った者勝ちの感が強い)"R,クロック"→http://diamond.jp/series/bizmanager/10018/ ご参考に

noname#96629
質問者

お礼

J,ペンバートン コカコーラが、薬剤師によって作られはじめは酒だった。禁酒の情勢にのって清涼飲料水に生まれ変わった、まさに驚きです。 R,クロック コカコーラとくればマクドナルドでしょうか。 マクドナルド兄弟が作ったとばかり思っていました。定年退職をした営業マンが第二の人生をかけて作ったとはまさに驚きです。人間は、年齢関係ないんでしょうかね。はじめからこの仕事選んでいてもここまで成功なかなかできないでしょう。 もっとも営業経験あっての成功だったんでしょうが、それにしてもすごいです。 有難うございます。

  • ESE_SE
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回答No.15

ゲームのキャラクターに使われたりもして多少有名かも知れませんが、 ロジャー・ベーコンなんてどうでしょうか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3 13世紀イギリスの神学者ですが科学知識にも通じ、 蒸気船・飛行機などの構想も著作に残されています。

noname#96629
質問者

お礼

中世イスラーム世界では科学が大変発達していた、ヨーロッパでは他の地域以外の見識に閉鎖的だったが、イスラームではそうではなかった。それがアラビア数字を含め、現代の文明発達に役割果たした。 ちょうど13世紀くらいに、これらのイスラーム科学の本が、ラテン語に翻訳されて西洋世界にやってきた。当時では、それを学ぶことは異端とされていたが、その壁破る最初の象徴人物で、異端視されながらも大学学問の見直しなどして、価値観を改めることに勤めた。こういうひとがいたから、今日の科学の発展があるのかもしれませえんね。 有難うございます。

回答No.14

NO8です 一部人名に間違いがあったことをお詫びします。特に大久保一翁は致命的な間違いでした・・・ ちなみに、アンリ・ジェミニは発音の問題で検索できない可能性があるそうなので、ご案内させていただきます。 ”アントワーヌ=アンリ・ジョミニ”が一般名称のようです。 参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%9F%E3%83%8B 軍学者としてはクラウゼヴィッツ・孫子が有名ですが、近代軍事学の潮流で未だに色あせないのが彼です。  私からすれば、クラウゼッヴィツの”戦争論”は意見文レベルで、アンリ・ジェミニの『戦争概論』が論文という水準で、孫子と双璧を為す軍事学上の偉人です。  参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%A6%82%E8%AB%96  日本では田母神幕僚長が名前すら知らなかったことで大失笑を買った由来がありますが、日本での知名度が恐ろしく低いのは、戦争精神論が抜けない事情があるのでしょう。  彼の知名度があがることが国防のためにも必要だと思いますが、最近のミリタリヲタクはダメダメですw  日本ではあまりにも知名度が低いことで失笑される大偉人ですので、海外で通ぶるならば、是非押さえておいて損しません。 『戦争概論』の邦訳はいいものがないので原文がいいと思いますが、話は逸れてしましますので、自制します。

noname#96629
質問者

お礼

海外で通ぶるならこういうこと知らないとだめですね。参考になります。少し話しがずれますが、政治学においても、モーゲンソー、EHカー読まないと海外の政治学部にとても留学できないということ聞いたことがあります。 甲斐親直 書き忘れていたので書きました。普通の戦国武将と少し違う性格だったんでしょうか。死ぬ間際に、島津とは決して戦争しないで天下が統一されるのを待っていろ、といったそうです。この後に来る時代を見越して、何とか主君を大名にとどめておきたかったが、死後子が島津と戦争起こし、大名家では、なくなってしまった。これは、色々な見方ができますが、こう見ると面白いですね。 有難うございます。

  • tra55
  • ベストアンサー率10% (5/48)
回答No.13

葛飾北斎いわく自分は、どんなジャンルの絵も 描き絵に得意苦手のないほうだが、自分的には 美人画は得意ではないと思っている 美人を描かせたら娘のほうが上手い 江戸の巨匠に衝撃の告白をさせた人物は 葛飾北斎の実娘の葛飾応為、父親ほど後世に 絵画を多く残したのではないが、 彼女は、おもに婦人の、日常生活の描写の絵を 主に描いて彼女の画は江戸時代とくゆうの歌舞伎 がかった画風とは一線を画した独特の雰囲気で 巨匠の血筋を うかがわせる この人物は、北斎の弟子筋?の画家のところへ 嫁にいったがダンナの絵が下手と言ってケンカに なり離婚、北斎のところへ戻り弟子になって 修行を積んだという。

noname#96629
質問者

お礼

http://okwave.jp/qa4923358.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3987908.html http://museum.menard.co.jp/collection/japanese/japanese_katsushika.html とてもきれいな絵ですね。二人ともたいそう性格が変わっていたらしいです。北斎が、娘をいつも、「おーい。」と呼んでいたので応為担ったようです。 有難うございます。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.11

No1さんが挙げられた「荒井郁之助」ですが、この人は幕府海軍の士官であり、榎本武揚と共に蝦夷地で最後まで戦った人です。 明治政府に降伏することとなり、その後 「明治政府の海軍の少将でどうか」 とオファーを受けたそうです。 (光人社 「海軍アドミラル軍制物語」による) この時、榎本武揚は「明治政府の海軍の中将」でのオファーを承諾し、その後明治政府で活躍して子爵にまでなります。薩長藩閥に属していればどこまで出世したか分からない有能な人で、人情家で明治天皇の信任が厚かったそうです。 一方、海軍少将のオファーを受けた荒井郁之助は、それを断って気象の世界に入り、榎本と比べるとだいぶ地味な後半生を送りました。 (中央気象台長という立派な職についてはいますが) 榎本、荒井、いずれも明治政府に認められて能力を発揮する場を与えられた訳ですが、荒井が海軍少将のオファーを断ったのには「幕府海軍士官としての気概」を感じますね。榎本を悪く言うつもりはありませんが… また「あまり知られていない偉人」ということで、 松本良順 (明治以降は松本順と改名) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E8%89%AF%E9%A0%86 も挙げておきます。 この人は江戸末期の蘭方医学の大家で、江戸幕府に仕えて医師として最高の地位の奥医師・法眼(ほうげん)まで昇りました。 明治維新に際しては、江戸を離れて奥羽越列藩同盟に身を投じ、軍医として負傷者の治療に尽力し、反乱軍の一員と言う扱いで捕縛されました。 その後赦免され、明治陸軍に迎えられてここでも軍医として最高位の軍医総監となり、男爵を与えられています。志操を曲げない硬骨漢ながら、その医師としての力量を明治政府が放っておかなかったということでしょうか。 松本良順については、吉村昭が伝記小説を書いております。文庫化されましたので一読をお勧めします。 「暁の旅人」 http://www.amazon.co.jp/dp/4062761394/

noname#96629
質問者

お礼

下術の荒井郁之助と似たところがあるようです 順天堂大学とも関係がある人ですか 山県有朋に見出されたが、そういえば森鴎外も山県有朋と関係深かった、よく見ると色々ところで歴史はつながりそうですね、そう見ると面白いですね。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.10

アンドレ・シトローエンはどうでしょう? 自動車メーカーのシトローエン創業者です。この人は>>の形をした歯車の先進性を見抜いて特許をとったのですが、流れ作業で均質工業品を大量に生み出していたフォードに心酔し、何度か渡米しています。 その後一次世界大戦が勃発し、フランス軍は砲弾不足となるのですが、予備砲兵将校のシトローエンは政府に、自分のやり方の工場を作らせてくれたら、日産5万発の砲弾作ります。ただし、フランスが勝ったらその工場をください、という提案をします。政府はそれに乗りました。 シトローエンは清潔で安全な流れ作業工場を作り、銃後の女性という労働力をえることに成功。託児所完備の砲弾工場は次々拡張され一日30万発の砲弾を吐き出すほどになり、フランス勝利の一翼をにないました。 戦後シトローエンはその工場で、欧州初のアメリカ式流れ作業による均質で安価な自動車を、世に大量に送り出しました。 おもしろいのは、シトローエン自身は、自動車のデザインをしたことのない人だった点です。その代わり彼はアイデアマンで、フランス中にディーラー網を張りめぐらせ、全土にシトローエンのマーク入り標識を立て、シトローエン車はディーラがフランス中にいるので、安心です、という宣伝などをし、エッフェル塔に通天閣みたいにシトローエンという電飾したりと、彼の会社は1920年代の広告業界もひっぱった会社でもありました。

noname#96629
質問者

お礼

知りませんでした。あの時々見かけるエンブレムが歯車由来だったとは思いませんでした。銃後の女性の雇用安定をした、など戦時中の社会貢献に近いでしょうか、しかもそれだけでなく、そのままの流れ、勢いを戦後にまでつなげようとすでにこのときに考えていた、先見性のある人ですね。これを見る限りにおいて幅広い視野を持っていたのでしょう。エッフェル党の写真も見ましたが、当時としては、とてもインパクトがあったでしょう。コンサルト能力が高く、前衛的な人ですね。 有難うございます。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.9

「幕末:大久保一扇」 恐らく、 「大久保一翁」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E4%B8%80%E7%BF%81 のことですよね。

noname#96629
質問者

お礼

またいましたね、こういう人は多いですね。勝海舟の上司だったようですが、勝海舟や山岡鉄舟の陰に隠れて、彼らほどは知られてないですね。歴史の教科書にだけのっている人が歴史を動かした、と錯覚しそうですが、その陰に隠れてどれだけ関係が有った人が、教科書にも載らず(ページの関係、便宜上)埋もれているのか知れません。でもこれはある意、しょうがないですかね 有難うございます。

回答No.8

日本史  幕末:大久保一扇  戦国時代:甲斐親直 世界史  シュトレーゼマン  ヤン・フス  ヤン・ジェシカ  アル・アーディール  テカムセ  アンリ・ジェミニ 逸話は多い方々を列挙しましたので、調べれば結構出ると思います

noname#96629
質問者

お礼

大久保一翁 上述 シュトレーゼマン 大戦前夜の人ですね、ワイマール共和国やワイマール憲法などとも関係深い。強行なところもあったようですね。 ヤン・フス ヨーロッパの中央集権国家の礎をつくった、だけでなく 発音記号もつくったすごい人ですね。 ヤン・ジェシカ ヤンフスの後フス戦争を起こした人ですか。新兵器を使ったと知りました。 アル・アーディル 歴史は西洋側からの視点で多く書かれているが、その反対からの視点で見るとこういう人がいる。色々な方向から見ないといけませんね。 テカムセ 色々な話がありますね、テカムセの呪い アンリ・ジェミニ すいません、よく調べられませんでした、知ってる方、教授願います。 有難うございます。

  • aananzu
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回答No.7

【庄司 甚内(しょうじ じんない)】   江戸時代初期、御免色里(公認遊郭)『吉原』を創設した人。   承認者はもちろん【徳川家康】。   

noname#96629
質問者

お礼

不思議な人ですね。忍者だとか、北条氏の家来だったという話も有るんですね。確かに江戸は小田原北条氏の礎の上に立てられたのでその可能性もあるか、またこの人の知り合いにあのお菊さんの父親がいたとか、仲は悪かったようです。伝説やつくり話などともまざっているかも知れませんが面白いですね。有難うございます。

  • hasebe-
  • ベストアンサー率8% (1/12)
回答No.6

 一般にはあまり知られていないかもしれませんが、武烈天皇という天皇のエピソードは凄まじいです。  妊婦の腹を割いたり、人間の女と馬を交尾させて喜んだりとやりたい放題です。  これは『日本書紀』に書かれていることですが、まあ、もちろん事実ではないでしょうね。  武烈天皇には子がなく、次の天皇には、武烈天皇の十代前の応神天皇の五世孫である継体天皇が即位するのですが、それだけ血が遠ければ、事実上の王朝交代といってよいと思います。武烈天皇のエピソードは、継体天皇をよりよく見せ、天皇としての正統性を高めるためにつくられたものだと考えられています。皇帝に徳がなくなったから王朝交代がおこるという中国の易姓革命の思想にならったものですね。  しかし、作り話とはいえ、武烈天皇のエピソードはある意味とても面白いです。古代日本の公式の歴史書である『日本書紀』に、天皇の常軌を逸したエピソードが載っているというのも興味深いことです。  

noname#96629
質問者

お礼

確かに、こんなことはしないと私も思いました。調べてみたら、生爪はがしたなんて話もあるんですね。やはり作り変えられているのでしょうか。こういう視点で見てみると、王朝交代という意図があった、という歴史背景が感じられます。こういう見方をすれば、捏造だったとしても当時の情勢がイメージできてきますね。 有難うございます。

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