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二人のマリア
このところキリスト教に関する話題が続いているので私もついでに。 先だってテレビ番組や美術展の話題等で「マグダラのマリア」が取り上げられているのを目にし興味が湧いております。 彼女はイエスが亡くなったあとフランスの、とある洞窟にて住まっていたそうですが、どのように生計を維持し最後は、どのように亡くなって、どこに葬られたのでしょうか? できればイエスの母マリアについても同じようなことが知りたいです。(エルサレムに墓があるらしいとは知りましたが) なお聖書に基づくお話ではなくて歴史的な客観性が望める方面でお話いただけたらと思います。 よろしく御教示願います。
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No.2です。 調べてみましたが、やはり神話化され美化され混同されて後世には編集されたものが伝えられているようです。 >どのように生計を維持し最後は、どのように亡くなって、どこに葬られたのでしょうか? http://66.102.7.104/search?q=cache:EroHpLWpVv4J:web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/mary_magdalene.html+%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2&hl=ja&ie=UTF-8 洞窟で30年間飲まず食わずと書いてありますが、ありえない・・・ イエスが神に祈ると5千人分の食料がポンと出てきたと後世に伝えられたのと同様に、何かの比喩かも。 実際はパトロンがいたんじゃないかと。 それがレンヌ・ル・シャトーの謎と結び付けられ、解明されていないのに、そうだって事になっていったのかも。 少しわかったのは、エジプトのイシス宗のマリとマリアが混同されているってこと。 これが黒い聖母崇拝を生んだらしい。 (肌が褐色) そしてイエスの思想にはイシス宗の影響を受けており、マグダラのマリアはエジプト人だったんじゃないかなーって思います。 マグダラ出身のマリアのマグダラってどの地方だったんでしょうね。 あの当時はいろんな民族が混在していたようで、もしマリアがエジプト人だったら、昔エジプトの奴隷だったという歴史があるユダヤ人にとっては絶対排除したい人ですよね。 難しい・・・ すいません 結局 その後、どのような生き方をしたのかは とんでも話しの域を出ませんでした。
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- kigurumi
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No.2です。 まだ閉じられてないので得た情報をば。 >いかに古来より宗教の土台において女性性の力が強いことか 日本の神話にも卑弥呼って神がかりな統治者いたことになってますよね。 カリスマ性がすごいって女性。 男どもはそれを知ってたので、女性を抑えてきたのかも。 マリ・・・母なる海ですねぇ・・・ イスラム教圏内では女性は家族以外にはほぼ実体を見せてはいけなくて、外に出るときか男の家族と一緒で頭からすっぽり黒い布をかぶって歩くそうですよね。 女性の肌は魔性で、その肌を見てむらむらっとくるのは悪魔が誘惑していることになるとか。 何年か前、既婚男性が独身女性と関係を持って、女性側に死刑判決でましたよね。 ええええ?ですが、誘惑者の男は処罰されず、女性の方だけ悪魔として処刑なんて、、、 アフリカや中東では女性は割礼されているらしいですが、遠くまで逃げられないようにってのもあるのかも。 怖すぎる。 マリアが教会を意味しているとかいうのもありますが、母なる母体 なるほどなぁ マリアはいろんな解釈されてきたんだなぁって思いますよね。 で、そういうのを言いにのこのこ出てきたのではなくて、ちょっとした収穫をば。 えっと新約聖書は元々ギリシャ語で書かれていますよね。 現地で話されている言葉をギリシャ語に直した。 ピム これは大工道具と翻訳者は考えたらしいです。 それでイエスは大工のせがれってことになったのかも。 が、、、、、実は古代ユダヤの重量単位だったらしい。 で、「見よ 処女 はらみて子をうまん」と訳されて 長い間これがイエスの誕生の予言 違った預言だとされてきた。 ヘブライ語のアルマアは処女ではなく若い女ってのが正しいらしい。 訳する時 不適切なギリシャ語のパルセノス(処女)を使ったので、この最初の時点で間違っていたわけで。 だから 「若い女が はらんで子どもを産んだ」でいいかと。 その他にも信仰を強く言う表現として、水の上をキリストが歩いて、弟子達に信仰が強ければ水の上も歩けるって言ったとかなってますが、その当時話されていた語彙では『上』という単語はその当時は『そば』って意味だったらしい。 水の側、、、つまり イエスは湖の上を散歩していたのではなく湖の側を散歩していたわけで。 ノストラダムスの予言も、フランスの古文に詳しい人が説明してましたが、単なる風景を詩にしたものであり、予言を匂わせるその単語、実は誤植で増版を重ねていくうち、この版で誤植が起こって別の意味を持つ単語になっちゃった って言ってました。 だが人間はそういう真面目な情報には耳をふさぎ、理性を欠いてしまいノストラダムスは予言者で、詩に世界崩壊を暗示していた!ってなったらしい。 今読んでいる本はイエスの第二の復活をさせるための新聖書の発行をたくらむ集団を描いたフィクションものなんですが、結構私が知っている情報も書いてあり、また知らない情報もこうやって語彙を使ってもっともらしく説明しています。 まだ上巻の前半しか読んでいませんが。 それによるとイエスは瀕死になったが手当てされ息をふきかえし、50代の頃、ローマに入ったとかなんとか。 だから墓にはいなかったわけで。 その話自体どういう根拠でそうなっているのか、ストーリーを読まないとまだそのとんでも小説が言う真相がわかりませんが、ちょっとお疲れモードで読んでも頭に入っていかず 読み直していますが、 ともかく マリア(マグダラ) 次はローマだ 追え~ とか思いました。 前、新約聖書は原文のギリシャ語を読まないとって言われましたが、ギリシャ語がネイティブであっても仕方ないなぁって思いました。 わたしはイエスがわからない~ ですか。 私はイエスというよりこの団体の勢力の実体を知りたいなあって追ってます。 お亡くなりになったジョン ポール2世氏は十字軍の行いを初めて謝罪した司教だそうです。 なんで十字軍がその当時強く否定されなかったのか。 同じような現象が今 イラクで起こってますよね。 カソリックとプロテスタントが一致団結してイラクを占領しようとしているようなものです。 イラクだけじゃあないと思います。 しかし、そうやって信者を巧みに操り目標を達成していっている黒幕は一体なんなのか。 どうして十字軍が勢力を持ち、他の文明を滅ぼしていったのか。 なんかタイムマシンを使わなくても、どういういきさつで洗脳された信者が破壊殺戮強奪を繰り返していったのかわかるような気がします。 旧約聖書にも同じこと書いてあり、もっともらしい言い分が書いてありますが、神をもってくることで正当化しているような気がしました。 私は二人のマリアもそうですが、イエスも実体は現代ではわからないって思っていましたが、一応Q文書だとか出てきており、その信憑性が研究されています。 おおよそ2000年前に書かれたものらしく、その当時の言葉を研究している人はそんなにおらず、出回っている翻訳されたものは誤訳づくしかもしれませんが。 3月27日の朝日新聞で新刊の紹介がしてありました。 『イエスとは何か』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393325362/qid%3D1112998673/249-3212958-6488345 『原始キリスト教によって救世主に祭り上げられ以前の、人間イエスの生き様と思想を取り出すことに心血を注いだ人たちが出版したものらしいです。 後代の伝承や編集・挿入を除外し、真正のイエスの言葉を取り出せると挑戦したらしいです。 どんな模範的な生き方も実在の人物でなければ意味が無い。 歴史的な真理探究と人倫の道への指針が綯い混ざった聖書学という不思議な学問。』 あー 私と同じこと考えている~ ということで今読んでいる本読み終わったら、図書館で借りようと思っている一冊です。
お礼
(済みません長いので補足から、こちらへ続きます) >その当時話されていた語彙では『上』という単語はその当時は『そば』って意味だったらしい。 水の側、、、つまり イエスは湖の上を散歩していたのではなく湖の側を散歩していたわけで。 ここまで読んで思わず泣けてきました。単なる、ことばの取り違えなのか何なのか。 >それによるとイエスは瀕死になったが手当てされ息をふきかえし、50代の頃ローマに入ったとかなんとか。 最終的に日本は青森くんだりまでやって来られたとか。東北弁しゃべってるイエス様、見てみたい! >わたしはイエスがわからない~ ですか。 私はイエスというよりこの団体の勢力の実体を知りたいなあって追ってます。 ジーザス・クライスト・スーパースター中のこの歌、好きなんです。けど確かにイエスを演出しようとした連中の心理や実体の方が、よっぽど謎ですね。人のフンドシで相撲取ってるようなもんでしょうか。 信者というのも奇跡を信じてこそ信者足り得るという御意見見かけて、ん~そうか・・・と思ったんですがミラクル無くしてイエスを愛することはできないということなんですかねえ?私は釈迦が王子として生まれながら何不自由ない生活のなかで底辺に喘ぐ人たちの苦しみに気づいたってことだけでスゴイ!って思うんですが。 ま、我々の目に移る表層世界は弱肉強食それによって新陳代謝している世界ですよね。理由付けなんて人間が後からやってるもんで。弱肉強食が悪いと感じるからでしょうか。でも、それに加担し続けてもいるんですよね。ニンゲンってやつぁ!! おもしろそうな本が出ましたね。今回もまたまた興味深いお話まことに有難うございます!!
補足
(済みません、お礼文の前に打った分が消えてしまったので再度書き込みました。ほんとは、こっちが先です) >イスラム教圏内では女性は家族以外にはほぼ実体を見せてはいけなくて外に出るときか男の家族と一緒で頭からすっぽり黒い布をかぶって歩くそうですよね。 >女性の肌は魔性で、その肌を見てむらむらっとくるのは悪魔が誘惑していることになるとか。 へジャブとか言うやつですか。あのなかは、けっこう派手なカッコしてるらしいですね。まあ、これはこれで日焼けを防ぐとか効能もあるんでしょう。大体あのあたりの婦人というのはナイスバディのべっぴんが多いですから我々としては眼の保養をさせてもらえないのが残念ですが、その眼の保養というのが、あちらの殿方連中からすれば許し難いんでしょうね。 うちの母って、すごい美人だったんですが、そう言えば親父が「そんな派手なかっこうをしおって!やめんか!!」とか、よく言ってたなあ。 しかし悪魔はないですよね、おのれ等の自制心の弱さを棚に上げて。 私に言わせれば女人禁制とかいった戒律等は男性側の意志の弱さや性的自制心の弱さが根底にあると思います。 でも男の人って哀れななあとも思います。あんまりシゲキしないであげよう~っと。 >アフリカや中東では女性は割礼されているらしいですが遠くまで逃げられないようにってのもあるのかも。 それに似た話で中国の纏足がありますね。これも、うちの母なんですけど若い頃、中国の人に一目惚れされて身内の人がコッソリ覗きに来たらしいんです。が「ダメだ足大きい」ってんで反対されて、その中国青年は気の毒に自殺したらしいです。確かに母の足は大きめだったですけどね。 韓国でも昔の若い女性は(特に身分の高い人?)自由な外出が禁じられていて外の世界見たさにブランコ競技が盛んになったとか聞いたことがあります。 必死ですよね男の人が女性に勝とう勝とうとしてるのって。でもオモシロい。ふっふ。
- kigurumi
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No.2です。 いえいえ、1年ほど前はキリスト教には興味が無かったのですが、ネットの哲学のところで旧約聖書を引き合いに出している文を読んで、それから興味を持っていつの間にか新約聖書まで手を伸ばしてしまいました。 この宗教の謎説きというより、人間の思考を知る上でのとっかかりとしてですが。 3代宗教のおかげで、バラバラだった人類の思想が結構集約され、その叡智がこれら宗教に反映しているように思えるのです。 この3代宗教を知ればこの世の中がわかるとは思いませんが、知らないより近づくような気がして。 娼婦が聖母って 闇が光と対比するようなもので、お互い無ければこの世は存在しないようなものかな? 生(性)と死みたいなもの? 昔の人は偉いこと発見しますよね。 同じくトンデモの域を出ないものに こんな説見つけました。 母マリアの方です。 http://66.102.7.104/search?q=cache:6cmlmVe2v7EJ:web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/mary.html+%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%B4%87%E6%8B%9D&hl=ja&ie=UTF-8 結構理論的で歴史の流れとしても書かれているので参考になるかも。 読んでいるうち実在の人物というより哲学上の登場人物のような気がしてきました・・・・ 母マリアだけじゃなくて・・・・ 金太郎は実在していたってテレビで紹介されていたことがあります。 神話のような熊にはまたがってはいなかったが、すごい力持ちの男は確かにいたとかなんとか。 (アシガラヤマってどの地域か知りませんが) 水戸黄門は実際は旅はしてなかったけど、いたらしい。後で神話化され勝手に話し作られちゃったけどね。 一休みさんも実在の人物だったらしいけど、実際はトンチよりエロで有名だったらしい。 モーツアルトも下品極まりない人物で、誰だっけ究極の優しい女性の代名詞の人は身近に世話してくれる人にとても冷酷だったらしい。 伝承って事実を歪められ美化されやすいですが、その美化したがる人間の心理ってものが、その時代の人々の望みを表しているようで、ほーほーって思えます。
お礼
たびたび御教示いただき感激しております。 今回御紹介くださったURLも、ざっと流し読みですが実におもしろかったです。時間つくって改めて読み込んでみます。 いや~キリスト教って男尊女卑のイメージがあるんで、それだけでフンって感じだったんですが何と各地の太母信仰の結集がみられるとは!いかに古来より宗教の土台において女性性の力が強いことか。原初のキリスト教その玄関口に、すでからしてジェンダー戦争が横たわっていたわけですね。 どこの地域においても女性を海に或いは海を女性にたとえる表現をよく見かけますが、それは「マリ」という単語にしっかり込められてしまっている、つまり「生命の源は女(海)である」あ、日本語の「海」も「産み」に重なりますねえ。このたび崩御なさったパパ様もマザーテレサには頭が上がらなかったそうな・・・男たちよ、つべこべ言うんじゃない!はっはっは。 マリアの象徴が神殿または宮殿というのも日本語で「御母堂」という他者の母に対する敬称を思い出させました。 ある個人サイトで読みましたがマグダラはイスラエルのガリラヤ地方でティべりアだかガリラヤだかの湖の近くだそうです。いまは「ミグダル」という名で残ってるらしいそうです・・・。 足柄山は神奈川の叔母んとこへ行ったとき小田急沿線に駅名があるの見てタマゲタ記憶があります。ホントにいたんだキンタロさん!! なおソロモンの子を産んだというシェバの女王の名は「マグダ」だそうですね。 >3代宗教のおかげで、バラバラだった人類の思想が結構集約され、その叡智がこれら宗教に反映しているように思えるのです。 >この3代宗教を知ればこの世の中がわかるとは思いませんが、知らないより近づくような気がして 同感です。私はどう転んでも野次馬ですが。 予想以上の収穫に導いていただきました、有難うございます。
- kigurumi
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今調べてみました。 どうやら『黄金伝説』という本にマグダラのマリアの生涯が書かれているらしいです。 アマゾンで検索したけど、ひっかかりませんでした。 うううう、、、めげずにネットを検索したら、同じく入手しようと格闘された痕跡が・・・ ↓ http://library666.exblog.jp/857452 あくまでフランス側の言い分かもしれないし、イエス同様美化されているかもしれないですよ。 でも知識として知っておくと、他が出たとき、どっちが正しいか吟味する材料になるかも。 母マリアも義父ヨセフもほとんど記録が残っていないですが、当初からイエスの父親はローマ兵のなんとか(名前忘れました)って言われていたらしいです。 その信憑性はともかくとして。 ロミオとジュリエットみたいなものかしら。 でも、あの当時 娘は父親の命令する男と結婚するのが当然で、泣く泣く父親の決めた相手のヨセフと結婚することに承諾したというか、聞かれもしなかったと思います。 女が生き延びるには、やっぱり父親の決めた相手と結婚するのが一番で、駆け落ちはしなかったし、当時はできなかったと思います。 ということはイエスは混血ということになる。 あれ? イエスはアジア系の顔じゃない可能性が・・・。 マグダラのマリアは娼婦だったとキリスト教ではされていますが、どうやらそれはマリアを毛嫌いしていた原始キリスト教のせいで娼婦だってなったらしいです。 後でマリアの血筋は高貴な人ってことになり、フランスでは聖母にまで上り詰めた。 高貴な女性が一時堕落したが、イエスと出合って祓ってもらったというストーリーらしいです。 とんでも本として「ダビンチコード」がありますが、そのダビンチコードの作者にインタビューをした本、(えっと名前忘れました)を読むと、その当時の研究をした人たちのどの文献を参考にして書いたのか書いてあり、その部分は私独自の創作ですとか、それはこの文献を参考にしましたとか書いてありました。 フリーメイソンまで出てきてすごいことになってます。 そうなるといろんな団体の思惑も絡んで今日のキリスト教はできあがっているんだなぁって思います。 もうちょっと探してみます。 もし、あ、、、ってのが終了までに見つかればアップします。 でも、きっといろんな人が聞いた知識を提供してくれるだろうから、みんながんばれ~。 (すると最近の返答に載るので、それで多くの人の目にとまり、知っている人が回答してくれるかも)
お礼
kigurumiさま、御投稿いただき有難うございます。 キリスト教方面に特に御詳しいようなので、もしかして、お出ましいただけるかなあと思っておりました。 軽い気持で質問したにもかかわらず御尽力くださり恐縮です。 「マグダラのマリア」という存在は最近知ったのですが、どうやら一筋縄では行かない話のようですねえ。本気で興味が湧いてきました。ひょっとするとキリスト教の根幹にかかわる部分が隠されているのじゃないかという気がします。ニオイがする・・・。ふんふん。 私が読んだ話では(新聞です)イエスの母マリアは、部族内の男に強姦されたか(それとも和姦??)なんかでハラぼてになり、それを承知で年取ったやもめのヨセフが腹の子どもごと引き受けた、というのが真相だろうということだったんですが。当時マリアが所属していた部族内では、よくあることだったそうです。(いまでも通用する話ですわな・・・) 「ダビンチコード」ちょっとしたブームだそうですね。テレビで取り上げてるの見ました。こういうのって真偽のほどはともかく思わず「へ~」って引き込まれますねえ。 もう一つ御投稿いただきましたので引き続き。
- pyon1956
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歴史的な客観性が望める方面で言うと何もありません。文献上イエスの実在を立証するのが新約聖書くらいしかありません。それ以外だとイエス死後半世紀以上たって書かれた文献なので神学的にはともかく歴史学的には信憑性は難しいです。物証はというとこれもありません。ましてマリアの墓、とかいうのもそういう伝承がある、というだけで確かなことは何もわからないのが実状のようです。彼らの実在については状況からいって疑う理由はありませんが、その遺物となると問題です。 マグダラのマリアにせよイエスの母マリアにせよ聖書にはその後どうなったなんてことは書かれていません。新約聖書にまとめられた諸文献が書かれたころは彼女たちが聖者だとか聖母だとかいう信仰もありませんでしたからそういうものを書き残す必要も感じられなかったのでしょう。 従って繰り返しますがそういう伝承のある遺物・遺跡などはあるようですが、それの信憑性はちょっと・・・ ちなみにイエス(ヨシュアあるいはイェホシュア)という名前にせよマリア(ミリヤムというのが近い)にせよよくある名前だったようで、そういう意味でも彼女たちに対する信仰が生じた後でつくられた可能性のほうが大きいように思われます。
お礼
pyonさま、御投稿いただき有難うございます。 やはり客観性は望めませんか・・・。物証もナシ。何しろ昔過ぎますわね。 「マリアの墓」には何が入っているのでしょう・・・。かび臭い空気だけなのでしょうか。信者たちの念なのでしょうか。信者たちは「空気」に手を合わせているのでしょうか、それとも「自分たちの念」を崇拝しているのでしょうか。 なるほど「真の信仰というものは厳しく主体性が要求される」と言った高校時代の恩師のことばが思い出されます。 勉強になりました。
お礼
『私はイエスがわからない』を口ずさみながら・・・ 私も検索かけてみたんですが、けっこう、たくさん出ました。おもしろいサイトを教えてくださり有難うございます。 「エジプト」 「キリスト教の聖人の墓」 「しゃれこうべ」 これらは、いままでに夢で見て特に「しゃれこうべ」に関する夢を見た後に「マグダラのマリア」の肖像画を見かけて何とも言えない気分になったのが質問した動機の一つです。 ある漫画に「娼婦と坊さんは人生の最初と最後でかかわっている」というセリフがありました。ここに見本を見る思いです。娼婦=聖女 その昔は女優=娼婦だったそうですね。いまどうか知りませんが。そして女優=巫女でもありますね。いや、興味は尽きないです。ますます知りたくなってきました。 >洞窟で30年間飲まず食わずと書いてありますが >イエスが神に祈ると5千人分の食料がポンと出てきた まあ比喩に違いないでしょうが祈ってポンとは羨ましい・・・。あやかりたいものです。 自分のチチハハがナニしてからに自分が生まれたというだけでも心中複雑なんですから「聖人」を信者が「清く正しく美しく」したいのも無理ないですね。 しかし、いの一番に演出を企んだ者の心中は、どんなもんだったんだろう。 いろいろと教えていただき感謝にたえません。これからもよろしくお願いします。