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キリスト教は血の宗教ですか?

二つの意味があります 一つは、世界のキリスト教の中心が今もカトリックならばカトリックは十字架に懸けられた残酷さのあるキリストの偶像を掲げており、プロテスタント派とで袂を分かつ際にカトリックはインパクトの強い判り易いアイコンを掲げ続けて(一種のポピュリズム路線を採って)勢力としては成功を収めたと思いますが、他方で千~万単位のせいかがいを行い、バチカンには悪魔的なオブジェもあり、昔から腐りきっていたとは思いますが悪魔崇拝として残酷グロ系な十字架の偶像を前面に出してくる感じから、聖別のワインによるカニバリズムも含めて「血なまぐさい宗教」とすることができるのではないかというようなわけです もう一つは、イエスは確かに「大工の子の血をもつ者」というニュアンスでなく、(ファティマ事件後のバチカン公式発表以前から、既に聖人相当の格をもつ)マリアと比べると、養父ヨセフは肩身が狭いポジションかとは思いますけれども、では聖霊を介して懐胎し、天使に受胎告知されたイエスは、神の血を受けてないかといえば、血どころか、一体不可分の存在ではありましょうけれどもイエスはキリストであり、王の血統書つきかと思います (※全ての乱文、誤字、誤記等をご容赦くださいませ) この血は、ユダヤ氏族の分岐しているが天皇に連なる選民(ユダヤ・キリストの信仰による救われ人でなく、じきじきに神から繁栄が約束され、祝福された血筋の者)の血であり、天皇はレビ族の血であろうし、隠された最高の家系が日本に匿われていることが(エルサレムの位置が違うことも日本では知られていないでしょうけれども)公然の秘密というか、世界を裏切る最大のタブーのはずで恐らく千年王国の中核を為す者の資格としては「神に祝福された血」をもっていなければならず、聖書によると空中から12氏族のゲートをもつ立方体のエルサレムが実は幻覚でなく下りてくる(京都エルサレム人脈の空輸)かと思います 何れにせよ、キリスト教では血統書でもある聖書を基軸とした物語が織り成され、だからこそ誰の息子がどうと家系図が煩い位に出てきて聖書を改竄した支配者が「血筋」重視だった痕跡ということでしょうと あなたはキリスト教が血の宗教と思いますか

みんなの回答

回答No.5

思いません。

jiijiijiji
質問者

お礼

ありがとうございます >思いません。 そうですか、多少、残念かもしれません  ( ※ 全ての乱文・誤字・誤記等をご容赦くださいませ) また気が向けば(?)宜しく御願いいたします (ありがとうございました)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12612)
回答No.4

以下のとおりお答えします。 >キリスト教は血の宗教ですか ⇒キリスト教は、宗教戦争で「血なまぐさい」争いを演じることよくありましたが、キリスト教自体を「血の宗教」と見做せるかどうかは確信がありません。カトリック教会が血に関わることがあるとすれば、例えば、聖体拝領の儀式ですかね。11-12歳の子どもが、自らの意識的決断をもってキリスト教徒であることを宣誓するために、イエスの「血」を飲み、「体」を食べてイエスの「心身」をしかと拝領する、ということでしょうか。もちろん、このときのイエスの血はワインで、体はパンで象徴するわけですが。 >キリスト教では血統書でもある聖書を基軸とした物語が織り成され、だからこそ誰の息子がどうと家系図が煩い位に出てきて聖書を改竄した支配者が「血筋」重視だった痕跡ということでしょうと あなたはキリスト教が血の宗教と思いますか ⇒思いません。聖書に家系図や血筋の話がズラズラ出てくるのは、大よその伝説などと同様、単なる正統化のためであり、箔付けのためでしょう。 ある社会学者の説によると、聖母マリアは元売春婦であったとか。それで、私はスペイン在住の折、スペインの友人たちにそのことを話して大顰蹙を買ったことがありました。いや、売春婦であったから、それが悪いなどとは言いません。私が言いたかったのは、「聖なる身ごもり」などと、ありもしないことを謳ってまでキリスト教を布教しなくてもよいではないか。そんな外的・物理的・生理的なことはありのままでも、道徳・倫理観・教えの素晴らしさがあればいいだろう、人を引きつけるだろう、と。 おっと本論はそれではなかったですね。本筋に戻りますと、イエスはまさにその生前の説法の内実をもって崇められたのであり、大工の子だとか売春婦の子だとか、馬小屋で産み落とされたとかの出自や血縁関連の話とはおよそ無関係です。イエスの魅力はその思想と人間愛に満ちた教えであって、それがあったからこそ、パウロやペテロ、ひいてはユダヤの大衆、異国の民までを引きつけたのではないしょうか。「血筋」が関係するなら、名声も自然発生していたはずですが、キリスト教が地中海周辺の民に知られるようになるのはイエスが磔刑されてから300年以上後であり、マリアが知られるようになるのも、マリアの「被昇天」後であり、「受胎告知」などの表現もずっと後の、いわば「捏造」でした。 キリスト教が偉大になったのは、そんな「血筋」とは無縁(むしろ逆)で、一重に、イエスが「単純化の名人」だったことによる、と言えます。彼は、「累積し、錯綜するユダヤの律法をただ一言で束ねた」わけですからね。「大事なことはただ一つ。それは愛です。汝らの隣人を愛せ」と。

jiijiijiji
質問者

お礼

ありがとうございます >以下のとおりお答えします。 「キリスト教は血の宗教ですか」 >キリスト教は、宗教戦争で「血なまぐさい」争いを演じることよくありましたが、キリスト教自体を「血の宗教」と見做せるかどうかは確信がありません。カトリック教会が血に関わることがあるとすれば、例えば、聖体拝領の儀式ですかね。11-12歳の子どもが、自らの意識的決断をもってキリスト教徒であることを宣誓するために、イエスの「血」を飲み、「体」を食べてイエスの「心身」をしかと拝領する、ということでしょうか。もちろん、このときのイエスの血はワインで、体はパンで象徴するわけですが。 まさに、それだと思いますが 「キリスト教では血統書でもある聖書を基軸とした物語が織り成され、だからこそ誰の息子がどうと家系図が煩い位に出てきて聖書を改竄した支配者が「血筋」重視だった痕跡ということでしょうと あなたはキリスト教が血の宗教と思いますか」 >思いません。聖書に家系図や血筋の話がズラズラ出てくるのは、大よその伝説などと同様、単なる正統化のためであり、箔付けのためでしょう。 それにしては、きれいに親子関係が続いたりしませんか  (※全ての乱文・誤字・誤記等をご容赦くださいませ) >ある社会学者の説によると、聖母マリアは元売春婦であったとか。それで、私はスペイン在住の折、スペインの友人たちにそのことを話して大顰蹙を買ったことがありました。いや、売春婦であったから、それが悪いなどとは言いません。私が言いたかったのは、「聖なる身ごもり」などと、ありもしないことを謳ってまでキリスト教を布教しなくてもよいではないか。そんな外的・物理的・生理的なことはありのままでも、道徳・倫理観・教えの素晴らしさがあればいいだろう、人を引きつけるだろう、と。 ダビンチコードですか、子どもを護っているようですし では神によって、神の子を身ごもったのではないと(?) >おっと本論はそれではなかったですね。本筋に戻りますと、イエスはまさにその生前の説法の内実をもって崇められたのであり、大工の子だとか売春婦の子だとか、馬小屋で産み落とされたとかの出自や血縁関連の話とはおよそ無関係です。イエスの魅力はその思想と人間愛に満ちた教えであって、それがあったからこそ、パウロやペテロ、ひいてはユダヤの大衆、異国の民までを引きつけたのではないしょうか。「血筋」が関係するなら、名声も自然発生していたはずですが、キリスト教が地中海周辺の民に知られるようになるのはイエスが磔刑されてから300年以上後であり、マリアが知られるようになるのも、マリアの「被昇天」後であり、「受胎告知」などの表現もずっと後の、いわば「捏造」でした。 それには御賛成いたしたく思います ただ「捏造」後は血の話が多く書き足されたということかもしれません >キリスト教が偉大になったのは、そんな「血筋」とは無縁(むしろ逆)で、一重に、イエスが「単純化の名人」だったことによる、と言えます。彼は、「累積し、錯綜するユダヤの律法をただ一言で束ねた」わけですからね。「大事なことはただ一つ。それは愛です。汝らの隣人を愛せ」と。 それは、そうなのでしょう(唯、偶々なのか、捏造なのか、彼は悪いことに、都合よく、王の血筋では)? (ありがとうございました)

  • cincinnati
  • ベストアンサー率46% (606/1293)
回答No.3

プロテスタントのキリスト者です。たしかに聖書にはイエスの血を飲み、体を食べるものは救われるという趣旨の言葉がかかれていますが、その意図はイエスが十字架の上で血を流して死んだその生き方に倣いなさいと言う教えに帰着すると思います。 また聖書の別の箇所では「自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従ってきなさい」と述べています。この十字架もイエスの死を思い起こさせるものであり、その時に流された血を思い起こさせます。しかしそれは早々と死似なさいという意味ではなく、自分の命や人生をイエスに預けて生きてゆきなさいといういみであります。 従いましてキリスト教は生死を扱いますが、血というものに特別な意味を持たせているわけでもなく、それが聖書の本来の意図をサポートするものでもございません。ともあれ血は生死と関わりがありますよということで我々一般人の理解と同じです。

jiijiijiji
質問者

お礼

>プロテスタントのキリスト者です。たしかに聖書にはイエスの血を飲み、体を食べるものは救われるという趣旨の言葉がかかれていますが、その意図はイエスが十字架の上で血を流して死んだその生き方に倣いなさいと言う教えに帰着すると思います。 成る程、ではなぜ飲むのでしょう、何も飲まなくても… 同じ意味でしょうけれども、ではなぜ食べるのでしょう  (※全ての乱文・誤字・誤記等をご容赦くださいませ) >また聖書の別の箇所では「自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従ってきなさい」と述べています。この十字架もイエスの死を思い起こさせるものであり、その時に流された血を思い起こさせます。しかしそれは早々と死似なさいという意味ではなく、自分の命や人生をイエスに預けて生きてゆきなさいといういみであります。 そうですか、それなら生きることを言えばよいように思うのですが、何も十字架を出さなくてもよいのではと思います(トラウマを思い出して、あえて言う心理か何か)? >従いましてキリスト教は生死を扱いますが、血というものに特別な意味を持たせているわけでもなく、それが聖書の本来の意図をサポートするものでもございません。ともあれ血は生死と関わりがありますよということで我々一般人の理解と同じです。 それにしては多くないですか、いきょうとごろしですかに、メインはハリツケで、ワインですから…みたいに思いますけど (有りがとう御ざいました)

回答No.2

a) イエスの教えは、血の教えではなく、愛や霊魂の教えです。あなたは、いつまで経っても、血とか身体に縛られており、霊魂を見ようとしておりません。あなたは霊魂を信じない唯物論者なのでしょう。 b) 私が思うに、十字架は、地上と天の対立を象徴しており、信仰がある者は、天に従い、地上で迫害されることも覚悟している意味なのです。 c) イエスは、霊魂的に神に属しているのであって、血統云々ではありません。 d) 日本の天皇家が、ユダヤ家系であるという説は疑わしいと思います。本当にそうなら、割礼くらいは行なってきたはずですが、そういう話は聞いたことがありません。

jiijiijiji
質問者

お礼

>a) イエスの教えは、血の教えではなく、愛や霊魂の教えです。あなたは、いつまで経っても、血とか身体に縛られており、霊魂を見ようとしておりません。あなたは霊魂を信じない唯物論者なのでしょう。 もちろん愛の教えでしょうけど何やら血の件が、いきょうとごろしを含めて多いのではないでしょうか? 霊魂を信じている心算ですが、あと一つのご回答に対し、詳しい御説明のリンクを貼らせて頂いたはずで 仮に相変わらずといわれたとしましても、簡単に、およそ信じているようなことを曲げられるでしょうか >b) 私が思うに、十字架は、地上と天の対立を象徴しており、信仰がある者は、天に従い、地上で迫害されることも覚悟している意味なのです。 そうかもしれませんが、直接的には、十字架を用意したのはローマ側(?)ではないですか(なぜ敵側が)?    (  ※ 全ての乱文・誤字・誤記等をご容赦くださいませ) >c) イエスは、霊魂的に神に属しているのであって、血統云々ではありません。 しかし、王であることは描かれているのではないですか(伏せられていますか)? >d) 日本の天皇家が、ユダヤ家系であるという説は疑わしいと思います。本当にそうなら、割礼くらいは行なってきたはずですが、そういう話は聞いたことがありません。 割礼が必須ということは疑わしく思いますし、偽ユダヤも含めてでしょうけどユダヤ社会は戒律に対して(?)4段階あるように聞いている積もりですし、抑も…割礼は元来、乾燥地の予防医学のようなものと私は聞いているでしょう(また天皇家は全ての真実について「開かれた皇室」というわけではないでしょう) 毎度、有り難う御座います

  • mekiyan
  • ベストアンサー率21% (908/4150)
回答No.1

カトリック教信者ですが、何か、無理矢理にこじつけでキリスト教を理解しようと、むきになっておられるようで。 どの宗教でも同じですが、人間は一人では生きていけない、そこで倫理というのが必要に。それをカバーするのが、長く続いている宗教(組織)の役目です。

jiijiijiji
質問者

お礼

>カトリック教信者ですが、何か、無理矢理にこじつけでキリスト教を理解しようと、むきになっておられるようで。 そういう心理状態に、よくなっているかもしれないけど内容はどうでしょう こじつけというなら、どこがどうこじつけか教えて頂ければ、さいわいかと  (※全ての乱文・誤字・誤記等をご容赦くださいませ) >どの宗教でも同じですが、人間は一人では生きていけない、そこで倫理というのが必要に。それをカバーするのが、長く続いている宗教(組織)の役目です。 ですから(?)倫理ですが統一教会は自民日本を腐らせ、カトリックは万ぐらい前後の児童虐待を行い、そして大宗教オウムは、地下鉄サリンで大勢の被害者を出した他、何人しなされたことやらと思います(?)

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