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戦国時代にも死の商人はいた?
わが国の戦国時代にも各領国に武器を売って利益をあげていたような商人もいたのですか。あるいは国境の鍛冶屋などには特別の注意が向けられていたというようなこともあったのでしょうか。
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こんにちは。また来ました。m(__)m >大名から拘束・・・大名はそうしたかったでしょうけど、結構うまくないかなかったみたいです。 というのは、そういうのが出来る人ってのは、特殊技術があるわけで、その技術者がいなければ作れないわけです。 原料さえ確保してくれれば、作業場は作れますから、地元の領主が、いい待遇をしてくれなければ、その土地を逃げ出して、どこでも雇ってくれる領主をさがすことができました。 他の方の述べてる城の石垣を積む技術集団である穴太衆や、有名な所では、金山をほじくって金を精錬する金山衆などは、そうやって好待遇の大名を渡り歩きました。 鉄砲は、前の方の通り、火薬の調達の都合などもあったようですが、雜賀をはじめ鉄砲の産地では、独自の自治組織として、鉄砲を輸出みたいな感じで売っていたようです。 ですので、領地からとんでもなく離れてる国友で、武田信玄や上杉謙信が鉄砲をどうどうと買い付け出来たわけですね。 感覚としては堺みたいな感じでしょうか。 ご当地の領主が独占しようとすれば、「鉄砲やらないぞ!」で沈黙したようです。 領主が無理矢理没収しても、作ってる人が逃げ出しちゃえばもう調達不能ですし、殺しちゃったんじゃお話になりませんし。 有力な大名というのは、こういう各種技術集団との付き合い方がじょうずだったようです。 ちなみに、戦国一と言われた武田信玄の騎馬軍団もこれに近い形のようです。 この人達は、武田滅亡後、徳川家康の家来、井伊家に集団移転し、豊臣秀吉との戦いでは井伊の赤備えと有名になりましたが、これは武田信玄の家来の名将、山県昌景がやってたものです。 それがまた、徳川安泰になると、水戸家また集団移転して引き継がれ、甲州流軍学は、水戸家の学問として発展しました。 幕末の水戸藩浪士による倒幕運動は、武田家臣団の末裔の思想によるらしいです。(NHK、その時歴史は動いたでやってました)。 #あ、とんでもなく脱線してますね。m(__)m
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戦国時代の近代武器は鉄砲です。 この鉄砲ですが、コピーして作る事はある程度の技術があれば難しい事ではありません。 極論すれば新しい技術は尾栓にネジを切る事ですから、ネジの仕組みが理解できれば、当時の鍛冶屋であれば作れない事も無いわけです。 ところが鉄砲があっても火薬が無ければただの穴の開いた棒で、役に立ちません。 火薬は硝酸カリウム75%、硫黄10%、木炭粉末15%で調合しますが、硫黄は火山があれば手に入りますし、木炭もありふれた物です。 ところが当時の技術では硝酸の入手はもっぱら輸入に頼っており、外国貿易をしてる者が一手に握っておりました。 有名な「雑賀孫市」が力があったのも、雑賀衆が鉄砲の製造のみならず貿易にも長けており、硝石を容易に入手可能であったためで、硝石を扱う商人こそが「死の商人」といえます。 キリシタン大名が出現したのも、こうした硝石を入手したいという理由もあります。 因みに鉄砲の値段は、種子島に初めて入った頃は1200万円ほどしましたが、織田信長の平均購買価格は50~60万円、豊臣秀吉は6匁銃で50万円30匁銃が240万円ですから、めちゃくちゃ高い物ではありません。 これ以外ですと、石垣を積む「穴太(あのう)衆」という職人集団も各地の大名に雇われて石垣を積みますし、武器や鎧などは合戦の後、地元の農民が負けた側から剥ぎ取って古道具屋に売りますから、こうした古道具の商人も該当するかも知れません。 武具を剥ぎ取るのは、農地を荒らした損失補填の意味もあり、勝った側から黙認されたようです。
お礼
興味深いご教示有難うございました。複合的な要素があることが良くわかりました。
- myeyesonly
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こんにちは。 日本の戦国時代では、有名な刀や鎧、特に鉄砲などでは、あちこちの有力大名から引く手あまたで、オークション状態だったそうです。 もう、売る側の言い値ではなくて、出す側の値段引き上げ競争となっていました。 なので、生産地の鍛治屋諸氏?が死の商人をやろうと思わなくとも、自動的にそういう状態だったようです。 武田信玄と上杉謙信が国友村(この字でよかったかな?)で購入合戦をやった記録もあります。 上杉謙信は、金はいくらでもいいから買い占めろと命令した記録もあります。
お礼
どうもありがとうございました。戦国大名からの拘束などはなかったのでしょうか。移住禁止とか・・・
- rightegg
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こんにちは。 死の商人というか、鉄砲を商いにしている人は普通にいたでしょう。特に忌み嫌われてはいなかったと思います。 有名な所だと堺の豪商達でしょうか。 信長~秀吉と時の権力者に取り入って巨大な利益を上げていました。
お礼
どうもありがとうございました。
お礼
思わぬところに関係があることをご教示いただきました。薀蓄を傾けていただき誠に有難うございました。