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日本の戦国時代の領主の製鉄施設
戦国時代の各領主は自分の領国内に製鉄施設を保有していたのでしょうか。
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日本古来のたたら製鉄は砂鉄を原料としましたから砂鉄の産地である出雲地方で発達しました。 しかし鉄砲の生産地は滋賀県の国友村や堺で盛んでこの地区に技術者集団が集まりました。 従ってこの地方を領有した大名が有利でした。 鉄砲以外の軍事専門の製鉄技術設備は幕末まで日本には存在しません。 幕末に大砲製造の必要に迫られ、伊豆に反射炉が建設され、一方九州の佐賀藩が独力で反射炉や大砲鋳造所を建設しおおくの大砲を製造しました。 当然技術の保全には注意がはらわれました。
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- Pinhole-09
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日本の製鉄は平安時代には、砂鉄を原料とするものは衰え、岩鉄鉱と木炭による製鉄が主流になり、規模も大きくなったと云われています。 戦国時代は鉄鉱石の産地が製鉄し、商人が販売したと思われます。 国産鉄は品質が劣るので、南蛮鉄の名で品質の良い輸入品が多く出回っていました。
補足
同じ疑問なのですがこれらの商人は商売の目的で他国への交通などの自由が保障されていたのでしょうか。
- tanuki4u
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島根の山林王 田部家が山林を持っていたのは、製鉄のためです。 田部家自体は戦国期から現在の島根で製鉄をしておりました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%83%A8%E9%95%B7%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
補足
田部家は当時の領主とどのような関係にあったのでしょうか。
はい。村に1軒必ずありました。 鍛冶屋さん。^_^ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%9B%E5%86%B6%E5%B1%8B 正宗まで鍛冶屋さんと定義しちゃってますね。^^; たたら製鉄 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%82%89%E8%A3%BD%E9%89%84 たたら。 http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0102.htm これがたたら。^^ http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0103.htm 玉鋼 http://www.h7.dion.ne.jp/~e30kenta/tamahagane.html これは鉱山の無い国は買ったと思います。 と、鍛造方法 http://fjt.webmasters.gr.jp/hogehoge/katana1.html 上手く書いてないけど、鉄板を2枚に折るんです。 後は書ききれないので後で。 刀の街や村、鎧細工の村は手厚く保護し、技術の流出には細心の注意を払ったと思います。 情報は、どこで作られたかなど、商人から得て技術を盗みに行った物と思います。 これは戦国のハイテク技術です。 石炭を使うと硫黄で鉄が脆くなります。 炭を使って小さな鉄製品を作っていました。 これは幕末、反射炉の技術輸入まで続きます。 (強引に空気を送り込み、硫黄を除去する。)
補足
平和なイメージの鍛冶屋さんと違って軍事専門の部局はなかったのでしょうか。また鉄砲の場合の堺のような立場の集団もあったのでしょうか。正宗のような刀工は住居の変更などは許されなかったのでしょうか。
補足
統一される過程における自国の武器製造力に関連した疑問だったのですが、幕末でも似たようなことがあったわけですね。