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物語の添削
ある中国語の物語を日本語で語りたいと思います。日本語らしい表現を基準に、添削していただけないでしょうか。 幼稚園の時に、幼稚園の先生は私たちにこんな面白い物語を語ってくださいました。 昔昔、小さい時からもうとても怠けている怠け者がいます。大人になってから、もっと怠けるようになりました。 ある日、この怠け者の両親が遠いところに出かけるつもりです。怠け者をすかせないために、とても大きな『餅』を作って、そのまま怠け者の首にかぶせました。『餅』とは日本のお餅ではなく、メリケン粉をこねて平たく、丸く伸ばして鍋で焼いた食べ物の総称です。怠け者の両親は家を出る前に、何度も何度も彼にこう言いました。『「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分をちゃんと食べられるよ。』怠け者は分かっているように頷きました。そうすると、彼の両親は安心に出かけました。 しかし、何十日も経って、彼の両親は家に戻ったところ、ベッドのうえに亡くなっていた怠け者を見つけました。首にまだ食べきれなかった『餅』をかぶられていますが、すごく怠けていて、『餅』の後ろの部分に回すさえもしたくないので、お腹がすいて死んでしまいました。 以上宜しくお願い致します。
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昔々、あるところに、ひとりの怠け者がおりました。彼は小さいときから怠けてばかりいたので、大人になってからは、いっそうひどい、ぐうたらな人間になってしまいました。 ある日のこと、怠け者の両親が、遠いところへ出かけることになりました。自分たちが留守の間、息子がお腹を空かせないようにと、両親は大きな大きな「餅」を作り、怠け者の首に巻きました(「餅」とは、日本の「お餅」と違い、メリケン粉をこねて、平たく丸く伸ばして鍋で焼いた、中国の食べ物のことです)。 両親は家を出る前に、何度も何度も、息子に言い聞かせました。「いいかい、おまえ。餅の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分を食べるんだよ」怠け者は「わかった」と言うように頷いたので、両親は安心して、出かけていきました。 ところが、何十日か経って両親が家に戻ってみると、怠け者は、ベッドの上で息絶えているではありませんか。首には食べかけの「餅」がぶらさがったままです。怠け者は、「餅」を後ろに回すことすらしなかったので、お腹がへって、死んでしまったのでした。 ――はじめまして。中国の方なんですね。過去の回答も拝見しましたが、達者な日本語に感心させられました。品のある、しっとりとした文章を書かれるんですね。私も見習いたいと、お世辞ではなく思います。 添削については、あまり自信はないのですが、ざっとこんな感じでしょうか。意味も大事ですが、文章の流れにも気を配って直してみました。 一点だけ、「怠けている怠け者」という書き方は、明確な間違いなので、気を付けていただけたら、と思います。同語反復といって、日本人もよくやるミスです。 類似の誤文を挙げます。 ・馬から落馬する ・電球の球を買う ・部屋の広さは広い ご参考までに。
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- guizhi04
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おはようございます。勉強頑張っていますね。 >『何十日も経って』のところなんですが、…ここでもし何十日という長い時間を強調したいと思うなら、『何十日も』と『何十日かも』のどちらが使うべきなのでしょうか。 この点は私もあまり気にしていませんでしたが、今回の翻訳については文章の流れからいって「何十日か」とした方が自然な気がしますね。 さて、長い時間を強調したいなら、「何十日も」とします。「何十日かも」という言い方はありません。 不確かな感じを表す「か」と、長い時間を表す「も」は一緒には使えないのです。 「も」というからには、はっきりとはしないが長いと言えるだけのある一定の期間が想定されているので、その意味では全く不確かではないからなのかも知れません。 「かも」という言葉はありますが、これは「かも知れない」という意味で、中文の「可能」にあたります。別の意味になりますね。 > また、『死んでいるではありませんか』の中の『ではありませんか』はどんなニュアンスでしょうか。『死んでいる』ということを強調したいのでしょうか。それともほかの理由なんでしょうか。 ご指摘の通り、”ほかでもないまさに「死んでいる」”ことを強調しています。 >『吃完了眼前的餅的話,稍微転一下,可以hen3方便地就吃到後面的』 私は中国語については初心者ですが、原文をみてawayuki_chさんが言いたいことが分かりました。 (ちなみに私のペンネームは、自分の名前をピンインにしたものですよ^^) 直訳すると、 「目の前の餅を食べ終わったら、ちょっと回してみなさい、そうすればうまい具合に後ろの所まで食べられるからね。」 というふうになりますね。「後ろの所まで」の「まで」=”到”(結果補語)がポイントです。 ”一下”の感じは、「○○してみる」の命令表現で置き換えてみました。 さらに意訳すると、 「目の前の所を食べ終わったら、ちょっと回してみてごらん。そうやって食べていけば、後ろの所までちゃんと食べられるからね。分かったかい?」 っていうのがいいかなと思いますがどうですか? 「まんが日本むかし話」ですが、上海なら日本人もたくさん住んでいるでしょうから、日本人向けのレンタルビデオ屋があると思います。そこには置いていると思いますよ。
お礼
再びありがとうございました。 補足の内容が良く理解できました。すっきりしました。日本人向けのレンタルビデオ屋の情報のご提供もありがとうございました。探してみます。 * ご回答してくださった皆さん 短い時間内で、貴重なご意見をたくさんいただきまして誠にありがとうございました。お忙しいところそんな長い文章を書いてくださって、大変感激いたしました。どれも非常に役立ちました。自分の書いた文章のどこが間違っているかよく分かりました。これから同じ間違いを犯さないように気をつけます。本当にありがとうございました。
- he-goshite-
- ベストアンサー率23% (189/802)
No.2です。 >『ある日、この怠け者の両親が遠いところに出かけるつもりでした』でいかがでしょうか。両親の自分の主観的な意志や予定(つまり、英語の『be going to』)の意味を表したいと思います。 →「ことになる」という表現は日本語では必ずしも他人から強制された意味ではなく,両親自身がいろいろ都合をやりくりして結局出かけることができるようになったという場合もこのように表現します。また,「つもりでした」では,No.6回答にあるように,「その日は出かけるつもりだったが,何らかの事情によって変更があった」ということを連想させます。 両親の意志で出かけるのだということを強調したいなら,「あるとき,両親は遠いところへ出かけることに決めました」「~出かけることにしました」などと言うこともできます。 >●「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、違う横の部分をちゃんと食べるんだよ。 なぜ『食べられる(食べることが出来る)』を『食べる』と直されたのでしょうか。 →「食べるんだよ」は「食べなさい」と言う意味の(両親から子どもへの)軽い命令です。 「~まわ「して」,たべるんだよ」は「まわしなさい。引き続く行動として,食べなさい」という意味になります。「食べる」ことが可能である ということを言うだけなら 「ちょっとまわ「せば」,食べられるよ」などと表現してもかまわないでしょう。 >『餅』を丸いものと考えてください。頭を順調に『餅』の中に入るために、質問文の『餅』をドーナツのような形と想像してください。首は頭部(a head)ではなく、頸部(a neck)のことです。 →『餅』の形状が分かりました。物語の中では(わたしのように)知らない人にはこの形が分からないので,このように書きましたが,穴あきの平らな円盤状なら, オリンピックの花輪やメダルと同様に考えれば 「首(頚)に掛けました。」 などがよいと思いますが, >救命ブイを体に入れる動詞も『套』だし、犬と猫に首輪を入れる動詞も『套』です。 →『套』:分かりました。外套(オーバーコート)の『套』ですね。なぜ「かぶせました」と表現したのかも分かりました。 ということなら,「はめる」はどうかしら?『嵌める』です。 日本語では,犬や猫の首輪は,「頚にはめる」でも「頚に巻く」でもどちらでも通用すると思います。 『餅』の形状さえわかれば,「はめる」でも「掛ける」でも「巻く」でも分かります(通じます)が・・・ ※ご紹介のURLではWebページが表示できず,エラーになりました。つづりに間違いはないですか?
お礼
再びありがとうございました。 補足の内容が良く理解できました。疑問が解けました。大変助かりました。URLのつづりにもう一度確認しましたが、日本から訪問できないかもしれません。私はもう『套』のニュアンスがよく理解できたので、お気になさらないでください。 本当にありがとうございました。
- anji-ux
- ベストアンサー率37% (3/8)
●両親は大きな大きな「餅」を作り ――ミスです。ごめんなさい。正しくは「大きな」。強調したいのならば、「とても大きな」です。 ●ある日のこと、怠け者の両親が、遠いところへ出かけることになりました。 ――この表現でも、当人の主体的意思は感じられますよ。中国語ではどうなのかわかりませんが、日本語ではこれで充分、「遠いところへ出かけるのは、両親が欲したこと」というニュアンスが伝わります。 もちろん他にも理由はありますよ(あえて説明すれば、ですが)。 まず、文頭が「ある日」だからです。「ある日」ときたら、文末は過去形です。英語でも“one day(過去時制)”と“be going to(未来時制)”は一緒には使わないですよね。辞書で引くと“one day”が“some day”の意で使われることもあるようですが、日本語の場合、それはまず、ありません。 ・「ある日、私は海に行った」(過去形)――○ ・「ある日、私は海に行くつもりだ」または「行くだろう」(未来形)――△(限りなく×に近いです) 文頭が「ある日」なので、文末が「でかけることになりました」と自動的に過去形になるんです。 「~つもりだ」を使って、近未来への意思、予定(=be going to)を表したいのであれば、「ある日」はいりません。「両親は遠いところへ出かけるつもりです」――これで「単文としては」問題ないです。 ただそう書くと、前後の文とのつながりが悪くなるんですよ。「ある日」とした方が、前の文をうまく受けられますし、「出かけることになりました」とした方が、後の文にうまく繋がるんです。なぜそうなるのかは、少々説明しづらいですし、そんなに重要なこととも思いませんので、省きます。疑問であれば、また聞いてください。返答します。あるいは、他の回答者の方、フォローお願いします。 ●餅の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分を食べるんだよ。 ――両親は息子に餅を食べて欲しい(=願望)わけですよね。この表現の方が、願望がこもるんです。親がが子に言い聞かせる感じが出て、より自然に感じられます。「食べられる」ですとただの説明で、「食べて欲しい」という気持ちがあまりこもらない感じがするんですね。あえて使うとすれば、「ちょっと回´せば´、食べられるよ」です。これなら文法としては、正しいです。 以上です。前回の回答よりさらに自信はありませんが、わからないことがありましたら、また質問してください。私が答えられる範囲で、お役に立ちたいと思います。
お礼
度々ありがとうございました。 良く分かるようになりました。大変役立ちました。 応援してくださって心よりお礼を申し上げます。
- guizhi04
- ベストアンサー率51% (39/76)
>●怠け者の両親が、遠いところへ出かけることになりました。 もとの文は、 「ある日、この怠け者の両親が遠いところに出かけるつもりです。」 となっていますが、これは少し違和感があります。 というのは、この文末は現在形になっているからです。前に回答された方々はそれで上のように直したものと思われます。 昔話は、「むかしむかし」の物語ですから、文末は過去形にするのが普通です。 >昔昔、小さい時からもうとても怠けている怠け者がいます。 というのも、過去形にしないといけませんね。 『be going to』の感じを出すには、 「ある日、両親は遠いところに出かけることにしました。」 とするのがいいでしょう。 また、過去において『~出かけるつもりでした』と書くと、文法的には間違いがないのですが、何となくその後事情が変わって出かけなくなったという内容が来そうな感じを持ってしまいます。 何事もなく、出かけてしまったのなら、「つもりでいた」ことをわざわざ言わないはずなのに、わざわざそれを言うということは何か事情が変わったのかな?と思うわけです。 >『餅』とは日本のお餅ではなく、メリケン粉をこねて平たく、丸く伸ばして鍋で焼いた食べ物の総称です。 これは、文法的には全く間違いがありませんが、昔話の中の表現としては非常にかたくて違和感があります。昔話は童話ですから子どもにわかりやすい表現を用いなければいけません。 とはいえ、これは中国と日本の食文化の違いですから、説明し出すといくら時間があっても足りません。 ほかの方のおっしゃるとおり、別のわかりやすい食べ物に言い換えるのがいいでしょう。「大きなドーナツ」とすれば、日本の子どもでもイメージがはっきりとつかめて話のおもしろさが分かるでしょう。 子どもにわかりやすくするという点では、漢語(hanyuではなく、和語に対して漢音、呉音など漢字の字音による語。また、漢字の熟語。字音語。)はなるべく避けるようにします。たとえば、「両親」→「お父さんとお母さん」のように言い換えます。 ドーナツ状の物でしたら、「首に掛ける」と言うのが適切です。首飾り(ネックレス)も同じように言います。 >何十日も経って、彼の両親は家に戻ったところ、ベッドのうえに亡くなっていた怠け者を見つけました。 は、 「何十日も経って、お父さんとお母さんは家に帰ってきました。すると、怠け者がベッドの上で死んでいるではありませんか。」 というのはどうでしょう。 すると~の部分は、予想してなかったので驚いた感じになります。 それと、「亡くなって」というのはちょっと違和感があります。 >『「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分をちゃんと食べられるよ。』 というのはどのように訳すかですが、わたしは中国語の原文を見てみたいです。補足をいただければ、よりよい訳文を考えますよ。 「昔話」には、童話と同じような独特の文体があります。 日本ではアニメ「まんが日本むかし話」というTVシリーズが有名です。 名優、市原悦子(いちはらえつこ)と常田富士男(つねたふじお)の二人の素晴らしいナレーションがとてもユーモラスで、日本の昔話の世界を堪能できますよ。 昔話の語りや文体を知るためにはいい資料だと思います。一度ご覧になってはいかがでしょうか。
お礼
いつもお世話になっております。 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございました。特に、『be going to』と『首にかける』の件がよく分かりました。大変助かりました。 市原悦子と常田富士男の番組のお勧めも心より感謝いたします。こちらで見つけたら買います。童話の中の日本語が結構理解しやすい感じがしますね。
補足
補足させていただきます。もう一度教えていただければ幸いです。宜しくお願い致します。 ●「何十日も経って、お父さんとお母さんは家に帰ってきました。すると、怠け者がベッドの上で死んでいるではありませんか。」というのはどうでしょう。 確かに予想してなかった驚いた感じを表したいと思ったのです。このように書くとこんなニュアンスが出てきましたね。この書き方は大変いい勉強になりました。 『何十日も経って』のところなんですが、ほかの方は『何十日か経って』と指摘してくださりましたが、guizhi04さんは私のこの書き方を許しましたね。ほかの方が不確かな数量を表す『何十日か』と添削してくださった理由は理解できますが、ここでもし何十日という長い時間を強調したいと思うなら、『何十日も』と『何十日かも』のどちらが使うべきなのでしょうか。 また、『死んでいるではありませんか』の中の『ではありませんか』はどんなニュアンスでしょうか。『死んでいる』ということを強調したいのでしょうか。それともほかの理由なんでしょうか。 ●『「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分をちゃんと食べられるよ。』というのはどのように訳すかですが、わたしは中国語の原文を見てみたいです。補足をいただければ、よりよい訳文を考えますよ。 中国語もできるの方なんでしょうか。中国語なら『吃完了眼前的餅的話,稍微転一下,可以hen3方便地就吃到後面的』です。#5の方のおっしゃった通りに、ここの『稍微転一下』は私は『ちょっと回して』と訳して、『苦労せずに』『軽い気持ちで』といった意味を出すつもりでしたが、『まわす角度が少ない』という意味に取られますね。
- SortaNerd
- ベストアンサー率43% (1185/2748)
まず、文中の気になった表現を書き出します。 ・幼稚園の時に、幼稚園の先生は 幼稚園が二つ続くのが気になります。「幼稚園の時に、先生は」でも意味は通じると思います。 ・昔昔 間違っているわけではありませんが、日本では同字反復の時は「々」の記号を使うのが一般的です。 ・怠け者をすかせない 「すく」のは「おなか」です。人はすきません。 「怠け者がおなかをすかせない(すかさない)ように」ですね。 ・餅 日本で「餅(もち)」というと、もち米を使ったものを指すのでその「餅」というものとはイメージが違います。 「堅焼きパン」が「餅」のイメージに近いと思います。 また、「餅」という物が何なのかはこの話にとって重要ではないので、あえて原文にこだわらず、日本でメジャーな別の食べ物に変えてしまったほうが話が冗長にならず良いこともあります。(例えば「餅(もち)」がいいかもしれません。) ・メリケン粉 少々昔の言い方です。今は「小麦粉」の方が一般的でしょう。 ・怠け者は分かっているように頷きました。 少々違和感があります。うまい言い換えが見つからないのですが、「分かっているというように頷く」の方が自然に感じます。 ・ちょっと回して 「苦労せずに」「軽い気持ちで」といった意味を出したいのでしょうが、「まわす角度が少ない」という意味に取られます。なので、「ちょっと回し」ただけでは「後ろの部分」は食べられませんね。 ・そうすると 前の文が原因になっているのではなく、ただ単に時間的に続いて事が起こったというイメージを持ちます。 「頷いたので…出かけた」「そうして、…出かけた」が良いと思います。 ・安心に出かけました 安心に(安心だ)は「出かける」を修飾することは出来ません。その意味では「安心して出かけた」と使います。 ・かぶられています 「かぶせられています」の間違いです。 また、「かぶっています」の方が自然です。 ・回すさえもしたくない 「回すことさえもしたくない」と「こと」をいれます。 >首にかぶせる 「套」のニュアンスは良く分からないのですが、「首にかける」はどうでしょうか。 もっときつく、首との間に隙間がないイメージでしょうか。ならば「首にはめる」もいいかもしれません。 >大きな大きな 強調ですね。このような物語などを語るときには良く使われる表現です。 >食べられる 原文どおりに訳すなら「食べられる」なのでしょうが、この場面で言う言葉として、「餅が食べられるからね」と言うよりは「餅を食べるんだよ」と命令した方が自然な日本語に感じます。 >出かけるつもりでした とても違和感があります。なぜ変かはうまく説明できませんが、この文に続く文は「けれど、やめた」といった否定になるのが自然で、この文章の続き方は変に感じます。 「出かけようとしました」といった方が自然です。ただ、この場合も「出かけようとしたその時、(なにかが起こった)」といったことを想像させます。 なので、少々意味は違ってしまいますが「出かけることになりました」が自然に聞こえるということです。 あと、その他の文から細かい指摘を。 >お褒めを預かり 「お褒めに与(か)り」ですね。漢字の意味を考えればこちらの方が自然だと分かるのではないでしょうか。 >生き生きした日本語がたくさん教わりました。 だいぶ変な文章です。 まず、文法的なことを言えば「…日本語"を"たくさん…」が正しいです。 しかし、そのような言い方はしません(お礼の言葉ではなく、ただ単に状況を説明する文になっている。)ので、可能の意味を入れると感謝の気持ちが表せます。 「教われました(ちょっと変。)」あるいは「教わることが出来ました」のように。 ただし、これでは教わることが出来たことに対するお礼になってしまい、教えてもらったということに対するお礼にはなっていませんね。 ですから「…日本語がたくさん学べました」「…を学ぶことが出来ました」が良いと思います。
お礼
いつもお世話になっております。 けさは早い時間にも関わらず、ご丁寧に回答いただき誠にありがとうございました。どこが間違っているのかやっと気付きました。すっきりしました。大変助かりました。 お礼の言葉までもご親切に指摘していただき厚くお礼を申し上げます。手元の参考書の中に、『お褒めを預かり』という言葉が載っていますが、やはりだいぶおかしい表現ですね。これから気をつけます。 本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。
補足
大変失礼致しました。もう一度参考書を引きました。『おほめにあずかり恐縮です』と書いてあります。勝手に『預』という字を使ってしまいました。『に』も『を』と間違えました。『お褒めに与(か)り』と覚えておきます。ありがとうございました。
- anji-ux
- ベストアンサー率37% (3/8)
#3です。補足です。 最後のセンテンス、この方が良いかもしれません。 >>怠け者は、あまりに怠け過ぎ、「餅」を後ろに回すことすらしなかったので、お腹がへって、死んでしまったのでした。 子供に聞かせる話ですから、「あまりに怠け過ぎ」の一文を入れた方が、なぜ「餅」を後ろに回さなかったのか、理由がより伝わって良いと思います。
お礼
再びありがとうございました。大変いい勉強になりました。
- he-goshite-
- ベストアンサー率23% (189/802)
昔々,あるところに大変怠け者の男がおりました。小さい時から怠け者でしたが大人になってからもっと怠けるようになりました。 ある日,この怠け者の両親が遠いところに出かけることになりました。両親は怠け者のお腹が空かないように,とても大きな『餅』を作って,そのまま怠け者の首に巻きました。 『餅』というのは日本のお餅とは違って,小麦粉をこねて平たく丸く伸ばして鍋で焼いた食べ物のことです。 怠け者の両親は家を出る前に,何度も何度も彼にこう言いました。『「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、違う横の部分をちゃんと食べるんだよ。』怠け者は分かっているというように頷きました。そこで,彼の両親は安心して出かけました。 しかし、何十日か経って、両親が家に戻ったとき,ベッドの上で怠け者が死んでいるのを見つけました。怠け者の首にはまだ食べ終わっていない『餅』が巻かれていました。 怠け者は大変怠けていて,『餅』を横の部分に回すことさえもしたくなかったので,食べられずお腹が空いて死んでしまったのです。 ※「首にかぶせました」というのが具体的にどういう状態かわからなかったので,「首に巻きました」と書き換えました。「頭に載せました」としたほうが原文に近いでしょうか?
補足
いつもお世話になっております。 ご丁寧に添削していただきありがとうございました。大変いい勉強になりました。申し訳ないんですが、ご添削文を拝見して、もうちょっとお伺いしたいところがあります。もう一度教えていただければ幸いです。宜しくお願い致します。 ●ある日,この怠け者の両親が遠いところに出かけることになりました。 No.1の方も同じところを『ある日,この怠け者の両親が遠いところに出かけることになりました』と指摘してくださったので、ここがちょっと気になっています。もう一度書き直しました。『ある日、この怠け者の両親が遠いところに出かけるつもりでした』でいかがでしょうか。両親の自分の主観的な意志や予定(つまり、英語の『be going to』)の意味を表したいと思います。『ことになる』は『ということが決まる』の意味ですね。たとえば、『この学校では学生が午前七時にラジオ体操をやることになっている』、『両国の首脳会談は来月四日に開くことになっている』など。なんだか両親の主観的な意志ではないような気がします。 ●「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、違う横の部分をちゃんと食べるんだよ。 なぜ『食べられる(食べることが出来る)』を『食べる』と直されたのでしょうか。 ●「首にかぶせました」というのが具体的にどういう状態かわからなかったので,「首に巻きました」と書き換えました。「頭に載せました」としたほうが原文に近いでしょうか? 理解しにくくて、申し訳ありませんでした。『餅』は糸のような細長いものではないので、『巻く』という動詞ではないと思います。『餅』を丸いものと考えてください。頭を順調に『餅』の中に入るために、質問文の『餅』をドーナツのような形と想像してください。首は頭部(a head)ではなく、頸部(a neck)のことです。中国語の場合『套』という動詞を使いますが、日本語でどのように表現するのかちょっと困ります。輪を棒のようなものの中に入れることかと思います。次の中国語のページの中で、写真もあります。写真の中の『輪』を穴が開いている『餅』とし、『棒』を『頸部』と考えてください。 http://www.rehabcity.net.cn/PRODUCTS/taoquan.htm アテナオリンピックの時に優勝者に花輪もあげますね。この花輪をもし頭にかぶせるのではなく、メダルをかける頸部のところに入れるなら、それが『套』という動詞です。救命ブイを体に入れる動詞も『套』だし、犬と猫に首輪を入れる動詞も『套』です。理解しにくくて、申し訳ありませんでした。
- norman
- ベストアンサー率30% (16/52)
昔昔、あるところにとても怠け者の男がおりました.小さい時から怠け者でしたが大人になってからもっと怠けるようになりました. ある日、この怠け者の両親が遠いところに出かけることになりました.両親は怠け者のおなかがすかないように、とても大きな『餅』を作って、そのまま怠け者の首にかぶせました。 『餅』とは日本のお餅ではなく、メリケン粉をこねて平たく、丸く伸ばして鍋で焼いた食べ物のことです。 怠け者の両親は家を出る前に、何度も何度も彼にこう言いました。『「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分をちゃんと食べるのよ。』怠け者は分かっているように頷きました。そこで、彼の両親は安心して出かけました。 しかし、何十日か経って、両親が家に戻ったところ、ベッドのうえで怠け者が亡くなっているのを見つけました。怠け者の首にはまだ食べ終わっていない『餅』がかぶせられていました. 怠け者はすごく怠けていて、『餅』の後ろの部分に回すことさえもしたくなかったので、餅が食べられずお腹がすいて死んでしまったのです。 昔話でしたら、現在形と過去形を混ぜない方が良いかと思います。
補足
ご親切に添削していただきありがとうございました。ネイティブな表現をたくさん教わりました。大変いい勉強になりました。テンスのことにこれから気をつけます。申し訳ないんですが、ご添削文を拝見して、理解できないところがあり、もうちょっとお伺いします。もう一度教えていただければ幸いです。宜しくお願い致します。 ●ある日、この怠け者の両親が遠いところに出かけることになりました. テンスを直して、もう一度書き直しました。『ある日、この怠け者の両親が遠いところに出かけるつもりでした』でいかがでしょうか。両親の自分の主観的な意志や予定(つまり、英語の『be going to』)の意味を表したいと思います。『ことになる』は『ということが決まる』の意味ですね。たとえば、『この学校では学生が午前七時にラジオ体操をやることになっている』、『両国の首脳会談は来月四日に開くことになっている』など。なんだか両親の主観的な意志ではないような気がします。 ●「餅」の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分をちゃんと食べるのよ。 なぜ『食べられる(食べることが出来る)』を『食べる』と直されたのでしょうか。
お礼
申し訳ないんですが、ご添削文を拝見して、お伺いしたいところがあります。もう一度教えていただければ幸いです。宜しくお願い致します。 ●怠け者の両親が、遠いところへ出かけることになりました。 No.1の方とNo.2の方も同じところを『ある日,この怠け者の両親が遠いところに出かけることになりました』と指摘してくださったので、ここがちょっと気になっています。『~出かけるつもりでした』でいかがでしょうか。両親の自分の主観的な意志や予定(つまり、英語の『be going to』)の意味を表したいと思います。『ことになる』は『ということが決まる』の意味ですね。たとえば、『この学校では学生が午前七時にラジオ体操をやることになっている』、『両国の首脳会談は来月四日に開くことになっている』など。なんだか両親の主観的な意志ではないような気がします。 ●両親は大きな大きな「餅」を作り ここの二番目の『大きな』がいるのでしょうか。タイピングミスそれともとても大きいということを強調したいのでしょうか。 ●怠け者の首に巻きました。 『餅』は糸のような細長いものではないので、『巻く』という動詞ではないと思います。『餅』を丸いものと考えてください。頭を順調に『餅』の中に入るために、質問文の『餅』をドーナツのような形と想像してください。首は頭部(a head)ではなく、頸部(a neck)のことです。中国語の場合『套』という動詞を使いますが、日本語でどのように表現するのかちょっと困ります。輪を棒のようなものの中に入れることかと思います。次の中国語のページの中で、写真もあります。写真の中の『輪』を穴が開いている『餅』とし、『棒』を『頸部』と考えてください。 http://www.rehabcity.net.cn/PRODUCTS/taoquan.htm アテナオリンピックの時に優勝者に花輪もあげますね。この花輪をもし頭にかぶせるのではなく、メダルをかける頸部のところに入れるなら、それが『套』という動詞です。救命ブイを体に入れる動詞も『套』だし、犬と猫に首輪を入れる動詞も『套』です。理解しにくくて、申し訳ありませんでした。 ●いいかい、おまえ。餅の目の前の部分を食べ終わったら、ちょっと回して、後ろの部分を食べるんだよ。 なぜ『食べられる(食べることが出来る)』を『食べる』と直されたのでしょうか。
補足
初めまして。お褒めを預かり、恐縮です。日本語がまだまだです。分からないところがいっぱいです。ご親切に添削していただきありがとうございました。生き生きした日本語がたくさん教わりました。大変助かりました。