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歌から詠み人が分かる例
ひとつの歌を見て、これはだれだれの歌う歌であるという推測が成り立つような例、あるいは状況はありますか?ある歌人あるいは俳人の作品に永年親しんでいる方が新しい歌や句を見ているような場合も含んでのことですが・・・
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私も調べてみました。万葉集にある歌です。 うつそみの人にあるわれや 明日よりわれは二上山を弟世(いろせ)とわが見む ◆私はこの世に生きていますが、明日からは二上山を弟ということで見ることにしましょう。 ◇二上山に皇位継承の権力闘争で破れ処刑された大津皇子が埋葬されました。 彼の姉の大来皇女が悲しんで歌っていることがわかります。 風をだに恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば何か嘆かむ (注)羨し(ともし) ◆風でさえも恋しく思える貴方が羨ましい、私は風の訪れでもくれば嘆きませんが、 それさえもありません。 ◇鏡皇女の歌です。彼女は中大兄皇子(天智天皇)の恋人でした。 しかし大海人皇子(天武天皇)と結婚していた妹の額田王に、 大海人皇子(天智天皇)を取られてしまいました。 人妻だった妹に恋人を取られてしまったわけですね。 彼女の中大兄皇子(天智天皇)に対する嘆きの歌であることがわかります。 その後、鏡皇女は藤原鎌足の妻となります。 玉くしげ覆ふを安みあけていなば 君が名はあれど我が名し惜しも ◆この化粧箱を布で覆うように、二人の仲を隠すのは簡単だとおしゃいますが、 あなたの名がでるのはよいとしても、私の名がでるのはいやですよ。 うわさにならないうちに早くお帰りになってください。 ◇鏡皇女の歌ですが、これは藤原鎌足に対する歌ですね。 額田王、鏡皇女の姉妹は歌を多く詠んでいますが、誰にあてた歌か推測するのは、 大変面白いですね。
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背景と言う物も当時の人々にとってみればリアルタイムの出来事ですから 「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れぞ」 と詠まれれば、東の風ですから、京都を離れ西に行く方、それも無念さをもって寂しく行くという状況ですから、この当時の方がこの歌を聞けば「菅原道真」と判ります。 また 「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む」 という歌に接すれば、二度と還る事は適わないと分かっていても、命永らえてこの地を見たいと切々と訴えてますから、無実の罪で都に召喚され殺される運命の「有馬皇子」。 逆に 「大君は神にし座せば天雲の雷の上にいほらせるかも」 と歌えば、持統天皇に対する歌と分かりますが、詠み人知らずとなる場合もあります。 これはご承知のように「柿本朝臣人麻呂」ですが、 「大君は神にし座せば水鳥のすだく水沼を都となしつ」 こちらは同じ持統天皇を意識して作られてますが、作者不明です。 このように当時の方々はさり気なく言いたい事を分かるように歌を作るので、歌にこめられた思いから作者を類推する事は容易でも、あらかまには分からないような気がします。 浅学ですから、そう言った歌があるかもしれませんが。
お礼
大変勉強になりました。どうもありがとうございました。
ご質問の理解が間違っていたらスイマセン。 例えば 「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」 という歌を考えると、「標野」という事から、身分の高い方(皇族かその周囲の)と推測できます。 そして「野守は見ずや君が袖振る」という事から、公に出来ない間柄の男女であっても、こうして歌として残してるのは、知られてもかまわないと考えている事が判ります。 そして全体的に大和言葉を使っているので、額田女王という事が判ります。 つまり彼女に袖を振ってるのは別れた夫の大海人皇子であり、現在は人妻ですから交流を大ぴらに出来ないけれど、当時の方々は二人が別れた原因も知ってるので、知られてしまってもかまわない歌である。 また同様に 「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも」 は、別れた元の妻に思いを寄せる心情から、大海人皇子と判る。 こういうことでしょうか。 質問の意図を間違えていたら読み捨ててください。
お礼
ご教示有難うございます。歌が作られた背景を知っている人にはわかるということですね。
お礼
大変興味深いご教示をありがとうございました。