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「我輩は猫である」について

これは「吾輩は猫である」という文章の中の一部分ですけど、分からないところがあります。ご存知でしたら教えていただけませんか。よろしくおねがいいたします。 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行っても跳(は)ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍(そば)にいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝(ひざ)の上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずその背中(せなか)に乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。 質問(1)「相手にしてくれ手がなかった。」 このセンテンスの意味は「相手にしてくれる人がいなかった」という意味ですね。 質問(2)「今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。」このセンテンスの意味は分かりやすく言えばそういう意味ですか。 今日に至るまで名前さえつけてくれない方面でも分る。」といういみですか。 質問(3)「別に構い手がなかったからやむを得んのである。」このセンテンスの中の「やむを得んのである」はやむをえないのであるという意味ですね。

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回答No.1

こんばんは。 (1)と(3)は、お書きになっている通りです。 (2)だけが、ちがいます。 (どれほど吾輩が珍重されていなかったかは)今日まで名前さえ付けてもらっていないという事実からもわかる、という意味です。 がんばってくださいね!

aifen
質問者

お礼

早いご回答ありがとうございました。役に立ちましたよ。助かりました。

その他の回答 (1)

  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.2

質問(1) そのとおりです。 質問(2) 「今日に至るまで名前さえつけてくれないことからも (いかに珍重されなかったかが)わかる」という意味でしょう。 質問(3) そのとおりです。

aifen
質問者

お礼

教えていただきましてどうもありがとうございました。助かりました。やくにたちましたよ。