• 締切済み

知性とは結局のところ数学か

特権化できる知性の最高のものは数学なのでしょうか。 極端ですが、たとえば文芸評論などは結局のところ日常会話の延長で、 つまるところ気分なんじゃないかと思うことが多々ありまして。 さらに、人間社会を分析しようとして様々な人文系の文章が日々書かれてますけど、 それらの多くは数学の厳密さに比べてあまりにもテキトーな気がします。 つまり「まぁ、どうとでも言えるよね。」というわけです。 これには私が数学に疎いことによる数学の神秘化が多分に含まれていると思いますが、 どーしても「結局数学(自然科学)以外って、言いっぱなしなんちゃうの?」 という思いが強いです。 だからこそ数学に詳しい人の意見を聞きたいのですが、 結局のところ人間の知性らしい知性、特権化できる知性といいかえてもいいですが、 それって数学なんですかね? その意味では文芸評論なんかは言いっぱなしに過ぎないんですかね? 結局のところ一番知りたいのは、そうしたなんらかの批評を書く人は、 虚しくならないのかどうかということなのですが。 多少質問がとっちらかってますが、気になっているのでご意見をお聞かせください。 (今回の質問に限っていうと、「数学はできるけど、ろくに笑いも解せないような『知性』じゃしょうがないじゃん?」とか そういうことを聞いているわけではないです。)

みんなの回答

  • sponta
  • ベストアンサー率26% (54/207)
回答No.1

アインシュタインは、世界は単純な法則によって成り立っていると考えて研究しつづけましたが、結論は、そうではないということ。つまり素粒子の世界と普通の世界では法則が違ったり、いろいろするということらしい。 西洋文明において、科学の対象領域の外側に宗教の領域がある。つまり、我思う、我あり。という領域の外に神学の分野があると思うのです。(キリスト教に限らず…) そういう意味では、数式的現状分析にはなんらかの限界があると思うし、そういう意味で、アインシュタインも挫折したし、最近、ホーキング氏も自説の間違いを認めたと思うのですが…。 知性、うんぬんというのは分かりませんが、私は禅なるものに興味があり、そういうものと現代物理学・認識論がつながっている気がしています。

関連するQ&A