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I cannot imagine ( ) about a book.の中に...

次の問題はある大学入試対策の問題集からの問題です。 最も適当なものを選べ。 I cannot imagine ( ) about a book. 選択肢の中に 1. you to be so exited 2. you being so excited の2つがあってこのどちらかを選ばなくてはなりません。 答えは(2)となっています。どのように考えればいいのでしょうか? 手元の『ジーニアス英和辞典(第3版)』によれば、〈SVO to be C〉も 〈SVO (‘) doing〉も共に可能な文型と表示しています。確かに、手元の参考書によれば、例文としては I can’t imagine him knowing all that. I can’t imagine (my) marrying a girl of that sort. Can you imagine their doing such a thing? Try to imagine being on the moon. Imagine going to a doctor with something wrong with your heart. のように、(2)の文型をとっているものを見ると、can'tを伴ったものがみられるように思えます。何かヒントを頂けませんでしょうか。

みんなの回答

回答No.6

最後にひとつ。 You can の can は、話者の持っている「相手が可能である」、あるいは「相手に対して許可する」という意思であって、I can の can は、自分の「能力を持っている」という意思を表す言葉です。 「可能」であろうと「能力」であろうと、それが言語表現になった場合には、それを語った人の意思(主観であっても客観であっても)が入ります。助動詞というのはそういう働きを持った言葉です。 これで最後にしますので、納得されるまでご検証ください。では、失礼します。

fwkk8769
質問者

お礼

何度も恐れ入ります。 引き続き考えてみることにします。 ありがとうございました。

回答No.5

またまたお邪魔します。 私の持っているOALDは古いもの(第5判)で、can についての語源的な説明はなかったので can の定義が何故 know how to なのかわかりませんが、少なくもここで使われている can は know how to という意味で置き換えられるものではないと思います。語源的解釈という意味でならわかりますし、I can't imagine が I don't know how to imagine に置き換えられることが可能なら、質問者さんのおっしゃっていることも納得できますが、現実的に can の持つ意味はそういう定義とは異なっていると思います。 複数の同じような意味を持った単語のニュアンスを追求する場合には語源的解釈もそれなりに重要だと思いますが、ここで can の意味を解釈するために語源的解釈を追求するのは、実用的な意味から離れて行ってしまうという点で、あまり得策ではないように思います。 実用英語においての助動詞は話者の意思(確信度)を表すものであって、特に、can, could, must, may, might, will, would, shall, should, ought to, used to, dare, need などを「法助動詞」と言って、動詞に「可能」「必然」「義務」などの意味を添え、主語の意思、能力、義務などを表す働きをしています。 I imagine ~ . は「~を想像する」ですが、I can imagine ~ . は「~を想像できる」という I という主語の意思を表すことができます。この場合、話者と主語は同一です。 なお、参考文献として、『旺文社刊、綿貫 陽他著;ロイヤル英文法』、『北星堂書店刊、田中 実著;英語構文ニュアンス事典』、OALD(第5版)、Collins English Dictinary(第3版)を使用しました。

fwkk8769
質問者

お礼

何度も恐れ入りますが、 ”I imagine ~ . は「~を想像する」ですが、I can imagine ~ . は「~を想像できる」” というところまではとてもよくわかりますが、 その次の (それが)”I という主語の意思を表す” という部分はやはりよく理解できませんでした。I can imagine ~ . はmatchboxtwentyさんが日本語にしているように「~を想像できる」ということ(これがknow how toであるかどうかは今は触れません)だと私も思います。しかし、それは主語(この場合は=話者)の『能力』もしくは環境による『可能性』の問題であって『意思』ではないと思います。回答No.5にある法助動詞のご説明は、法助動詞の1つであるcan独自の説明ではなく法助動詞の概括的説明であると思います。より個別的には、主語の『意思』を表わすのは主にwill, wouldであり、canは主に可能および能力を表わすのであって、canそのものに主語の『意思』を求めるのは無理ではないでしょうか。 いずれにせよ、何度もお付き合いいただきありがとうございました。感謝いたします。

回答No.4

こんにちは。No.2です。 「お礼」欄の質問についてですが、imagine と try 及び can を比べてみた場合に、imagine という動詞の表す意味は強い意思を持った行為ではなく、積極的な行為でもありません。 しかし、try は主語の自らの比較的強い意思で行う行為であり、can などの助動詞全般も主語の強い意思を表す役割をしています。 imagine に can という助動詞が付いたことによって、imagine に込められる主語の意思が強くなり、try という意思の強い動詞を使った例と同様のニュアンスが to不定詞を使った場合と現在分詞を使った場合の意味の違いとなって現れてくると考えられるのです。 ですから、「現実味」と言ったのは、imagine だけでは薄かった現実味が can によって try と同じような現実味を持つようになる、という意味で try to do と try doing の例を提示したのです。

fwkk8769
質問者

お礼

何度も恐れ入ります。 「imagine という動詞の表す意味は強い意思を持った行為ではなく、積極的な行為でもありません」 という部分はとてもよく理解できます。 ただ、matchboxtwentyさんのご説明では『現実味』あるいは『主語の意思』がキーワードですのでお教えいたただきたいのですが、 「imagine に can という助動詞が付いたことによって、imagine に込められる主語の意思が強くな」る、 という部分をいま少し丁寧にご説明いただけませんでしょうか。 canはよく言われるとおり、語源的にも"know"に関係しているもので、手元のOALD(第6版)でも"know how to"と定義されております。 "know how to"を意味するcanがimagineの前に「付いたことによって、imagine に込められる『主語の意思』が強くな」る、となぜ言えるのでしょうか? know自身もimagineと同様、「強い意思を持った行為」であるようには思えませんが。

  • kuma-ku
  • ベストアンサー率54% (1558/2845)
回答No.3

誤解を与えてしまったようで、ごめんなさい。 1.の回答を導かない用に例を提示したかったので、そうした状況を招いてしまいました。 もちろん、imagine が[to+原型]の形を取ら無いと記載したわけではないです。 [to+動詞]の数は限りなくありますが、imagine は[動詞+ing]を導く32の動詞に含まれているのは、ご存知だと思います。 [to+動詞]しか取らない動詞の問題であれば、混乱も無かったと思います。

fwkk8769
質問者

お礼

ご丁寧な回答をいただきましてありがとうございました。

回答No.2

こんにちは。 >、(2)の文型をとっているものを見ると、can'tを伴ったものがみられるように思えます。 非常にいいところに目を付けていらっしゃると思います。 実は、この文章から can't を取り去ってしまって、 I imagine you to be so excited about a book. I imagine you being so excited about a book. とすると、両方とも同じ意味になってしまいます。 しかし、これに can (この場合は否定の cannot)が入ることによって、想像の対象が現実味を帯びてくるので you の後が being so excited になるのです。 これは、try to do と try doing の違いと同様に、to 不定詞がそのあとの動詞の実現性が低いのに対して、現在分詞(動詞+ing)は、動詞の実現性が高いからです。 例を挙げてみれば、try to do が「~しようとする」だけで現実には本当に行動に移すかわからないのに対して、try doing は、「~してみる」ということで、現実的に行動に移す事実を語っています。

fwkk8769
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 「現実味」というのがキーワードと理解しました。 ただ、try to doとtry doingの例はわかる気がするんですが、申し訳ありませんが 「 can (この場合は否定の cannot)が入ることによって、想像の対象が現実味を帯びてくる」 という部分がのはよくわかりません。try to doとtry doingの違いの例から推測できることは、むしろ (3)I imagine you to be so excited about a book. (4)I imagine you being so excited about a book. そのものに意味の違いがあるということになるのではないかという気がしますが。

  • kuma-ku
  • ベストアンサー率54% (1558/2845)
回答No.1

こんにちは そもそも、慣用句として、以下のように存在しています。 ------------ imagine oneself doing:~している自分{じぶん}を想像{そうぞう}する ------------ 以下のように考えると、分かりやすいかも知れないです。 imagine A to 動詞原型 述語 この場合、”[述語]を[動詞]するために[A]を想像する”と日本語にしてもおかしいですよね? 一方 imagine A 動詞ing 述語 この場合は、”[A]が[述語]を[動詞]している状態を想像する”と日本語でも意味が通るようになります。

fwkk8769
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 ただ、ご説明によれば<imagine A to 動詞原型> の文型は存在しないという旨を主張されているようですが、私の質問で明らかにしているようにいくつかの辞書によれば、この形は特に<to 動詞原型>の部分が<to be>の場合は存在するようです。 また、<imagine A to 動詞原型>の場合には、 ”[述語]を[動詞]するために[A]を想像する”と私は考えているわけではありません。”Aが...するのを想像する”というふうにネクサス関係をそこに見ます。私の疑問は、なぜ2つの文型が一般的には共に許されていながらそれにもかかわらず、問題文では(2)がいいとされるのか、です。

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