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京都洛中の東海道筋はどこ?
東海道と大阪街道(江戸から京経由大坂までの57次)を旅する経路のうち、京の洛中の具体的ルートはどこだったのでしょうか? (洛中は経路自由だったかもしれませんが、一般的なルートを知りたいです) 逢坂関--山科--蹴上--三条大橋--(南進して)--寺町通-高倉通、 または(南進して)--大和大路--本町通--伏見宿 でしょうか? できましたら、図があるとありがたいです。(当方愛知在住)
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- reny
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回答No.2
昔の京都の物流は高瀬川利用していました。また東西のメイン通りは三条だったので、その交わる三条大橋辺りが江戸からの市内での到着点だと思います。 出発点としては旧市外の伏見が川津としてありますので、質問者の方の考え方で合っていると思います。 三条大橋⇔伏見宿の間については、江戸時代の旧道と明治以降に整備された道は結構ことなりますので、旧地図が必要になるかと。 また京都市内を通らずに抜けていく醍醐街道などもありますので、東海道を一本に絞るのは難しいかもしれませんね。
- ZRT
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回答No.1
*逢坂関--山科--蹴上--三条大橋--(南進して)--寺町通-高倉通、 または(南進して)--大和大路--本町通--伏見宿 でしょうか 西進して堀川の土手から旧1号線のように推測されますね
- 参考URL:
- http://kaiwai.city.kyoto.jp/sightdb/sight-raku/view_sight.php?InforKindCode=1&ManageCode=3000015
質問者
補足
東海道から、山陰道(丹波口)、西国街道(久世)別れを考えますと、確かに、「東寺口」が、大坂街道への分岐でしょうね。
補足
江戸時代の旧道と、明治以降に整備された道 →前者は[疎水の東]の本町通、後者は[疎水]の西の師団街道でよろしいでしょうか? 師団街道は、後に国道24号になりますが、現在の24号BPはさらに西に移っていますね。