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「ら抜き言葉」と時代背景…

日本語について勉強しています。 「ら抜きの殺意」という本を読み、ら抜き言葉に興味を持ちました。 わたしはら抜き言葉も当たり前になっていた現代に生まれた世代です。当たり前ではいけないのですが… どれぐらい前から「ら抜き言葉」は使われていたのか、またそこにはどんな時代背景があったのか…と言う事を知りたくて質問いたしました。 未熟な質問ですが、よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.5

昭和39年11月発行の『口語文法講座3ゆれている文法』(明治書院)の中に、「見れる・出れる」という論文が収められています。その中で筆者は、いわゆる「ら抜き言葉」が、 どのようにして成立したものかははっきりわからないが、五段活用動詞からの可能動詞(「書ける」「読める」など)が有力であることが、この表現形の一般化の基盤になっている。 もとは方言として話しことば中に存在していたものが、次第に広く使われるようになったもので、中村通夫氏は、昭和三年に「東京生まれの上流新生層に好んで使われていることに気づいた」と述べている。 戦後急激に文章中にも表れるようになった。 といった趣旨を述べています。「ら抜き言葉」も、少なくとも80年近くの歴史を持っているわけです。80年近くも生き続けている「ら抜き言葉」には、きっと「生き続ける力」があるんでしょうね。その辺の事情も考えずに「ら抜き言葉」を目の仇にするのはいかがなものかと私は考えます。

  • tttt23
  • ベストアンサー率25% (76/303)
回答No.4

関西弁には、 受身:食べられる 可能:食べれる 尊敬:食べはる という区別があります。 もちろん関西人でも標準語を意識して話すときはら抜き言葉は使いません。

  • mujer
  • ベストアンサー率27% (17/61)
回答No.3

高知出身ですが、やはり同様の使い分けでら抜きでした。いつごろからかは分かりませんが、存命なら百歳になろうかという祖父も、使ってました。

  • zyarann
  • ベストアンサー率31% (168/537)
回答No.2

>うろ覚えで申し訳ありませんが、ら抜きが話題になる以前から方言では存在したようです。(長野だったか?) 北海道や関西などでは、「ら抜き」は、可能の意味でのみ用いられます。 使われる地域の方が多いのです。 それをテレビなどで「ら抜きはいかん!」という風潮がありますが、もともと「可能」の意味で用いられていた歴史はどうなってしまうのでしょう?

回答No.1

うろ覚えで申し訳ありませんが、ら抜きが話題になる以前から方言では存在したようです。(長野だったか?) その話によると、可能の意味の時は「ら抜き」、その他の時は「ら抜かず」という使い分けがあるそうで、これは今話題の「ら抜き」現象と同じですね。 (「食べれる」は可能の時、受身や尊敬の時は「食べられる」) 「れる」「られる」の意味の使い分けは微妙なもので、意味によって使い分けるというある種の合理性があるとのことでした。 現在は非難されることの多い「ら抜き」ですが、これからは定着する方向に進みそうだなと感じました。

y_yumiko
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! やはり方言は関連しているのですねー… 勉強になりました。

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