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「ら」抜き言葉の使用について
- 「ら」抜き言葉を使うかどうか、出身地によって変わるのか気になる
- 標準語を話す際、私は「ら」抜き言葉を使わない
- 日本文学の教授も「ら」抜き言葉を使っていたことに驚いた
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質問者が選んだベストアンサー
「られる」は、可能の意味だけでなく、使役や謙譲の意味もあるので、ややこしいですね。 「見られる」にしても、だれそれが~を見られた(謙譲)、私の犯行は彼に見られた(使役)、テレビで阪神戦が見られた(可能)さまざまです。僕としては、可能の場合は、全部「れる」に統一して欲しい。 僕は大阪人だが、丁寧に話すときは、なるべく「られる」を使うようにしている。でも、使役や謙譲の意味に取られがちな言葉は、「れる」にしている。「見れる」などだね。「見られる」としたら、可能の意味には取りにくい。
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- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
親は広島で私自身は東京と大阪のミックスです。 らぬき言葉を使うしそれを支持しています。 理由を書きます。 1.言語は変わるものです。それが自然です。 2.変わるのは自然ですが、いいほうに変わる場合と悪い方に変わる場合がありますが、らぬき言葉は良いほうの部類です。 先生が来られた→尊敬 やくざに来られた→受け身 ここまで来られた→可能 三つあります。 でも来れたならそれは可能の意味しかありません。すなわち三つの意味があって混乱していたのをらぬき言葉にすることによって可能の場合をわかりやすくした。進歩です。
- Kules
- ベストアンサー率47% (292/619)
「ら」抜き言葉は地方によって…というよりは年代によって、というのが大きいと思います。 一応辞書の記述を引用すると、 れる…五段動詞の未然形・サ変動詞の未然形「さ」に付く られる…上一段・下一段・カ変動詞の未然形、サ変動詞の未然形「せ」、使役の助動詞「せる」「させる」の未然形に付く (どちらもgoo辞書より) で、最近何かと話題になってる「日本人の知らない日本語」を読んでて、「なるほどなー」と同意したものがありました。その中では、「ら」抜き言葉は若者言葉というよりも自然の変化なのではないか、と書かれています。 どういうことかというと、そもそも「れる、られる」は意味をたくさんもっている助動詞です。 (1)受け身 (2)可能 (3)自発 (4)尊敬 で、その使い分けは文脈から判断するのですが、正直難しかったりします。特に可能と尊敬は判別困難だったりします。 ・先生はピーマンを食べられた。 この文章だけでは、「先生はピーマンを食べることができた」のか、「先生はピーマンを食べた」に敬意の意味を付け加えているのか判別できません(この例だとできる?) ということで、助動詞のれる、られるを使っているという感覚ではなく元々五段動詞を可能動詞にする変化(行く→行ける、など)と同じノリをその他の動詞にも適用している(食べる→食べれる)のだという考え方があるそうです。 結局言葉は・相手に正しく意味が伝わるか・相手に対する思いやりがあるか ということが大事だと私は思っているので、一方的に「ら」抜き言葉が非とは思いません。 以上、質問とは少し離れた回答となってしまいましたが、参考になれば幸いです。
- gtamo2
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私は関東・東海で生まれ育ってきました、昭和30年代生まれですけど、年代的にら抜き言葉は使いません。 最近は「凄く美味しい」を「凄い美味しい」と言いますけど、ああいうのもら抜き言葉も、昔はなかったものです。 質問者さんが書かれたような、出身地による違いを実感したことはないですね。 ただ、ら抜き言葉とか流行り言葉とか、自分の周囲でよく使っていると、自分にもうつることはあると思います。 こういう言葉を今は、NHKのアナウンサーでも平気で使いますからね、全国的に蔓延していくのもしょうがないと思います。