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カウンセリングの基本理念
カウンセリングの基本理念というのは、どういうものですか? 私のイメージは、患者さんとお話しして、どちらかというと患者さんの悩みをはき出させてあげて、心を楽にしてあげるもの、という感じです。患者の善悪を反省させたりするものではないと思っています。まったくのイメージです。 もう一つカウンセリングの理念について、同じようなことで質問なのですが。カウンセリングには、説教という概念はあるのでしょうか? たとえば、患者さんがいて、患者の間違った考え方が周囲との軋轢を生んでいる場合に、世間では「君も悪いのでは?」とか「お前が悪い」と言いますよね。こういうのはありますか? でも、これは、なんだか私のカウンセリングに対するイメージと全然違うのだけど・・ボランティアカウンセラーでやっている人がいますので、ちょっと疑問に思った次第です。
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質問者が選んだベストアンサー
心理学的なカウンセリングに 「基本理念」と呼べるようなものはありません。 カウンセリングは心理療法の柱となる行為ですが、 カウンセリングにどのような意味合いを持たせるか、 という点に関しては、 どのような心理療法を用いるかによって違いますし、 カウンセラーの考え方によっても違うからです。 ただ、日本で多くの人が取り入れている、 ロジャースの「クライアント中心療法」の理念では、 カウンセリングは、 クライアント(患者さんのこと)が自己のことを語る場であり、 カウンセラーは聞き役に徹します。 もちろんただ聞くだけではなく、 クライアントの立場を共感的に理解し、 暖かく受容することが必要とされています。 この考え方に立った場合は当然、 患者の善悪判断などは一切しません。 もちろん、患者に反省を促すことなどありえません。 質問者さんの考えるような >患者さんとお話しして、どちらかというと患者さんの悩みをはき出させてあげて、心を楽にしてあげるもの というイメージは、 クライアント中心療法がメインとなる日本のカウンセリングの現状認識としては、 おおむねあっているのではないかと思います。 もう一点。 カウンセリングにおいては「説教」という考え方はありません。 カウンセリングはあくまでも「カウンセリング」であり、 説教とはまったく別のものです。 例えば「認知療法」や「論理療法」と呼ばれる心理療法において、 クライアントの考え方の歪みを指摘することはあります。 特にエリスという人の考案した論理療法では、 「あなたは~というように考えているけれど、 そのように考える合理的な根拠はないし、 それはあなたの思い込みではないでしょうか?」 というようにして、 クライアントの考え方の改善を促します。 認知療法や論理療法では、 心理的な不適応症状の原因が、 「ゆがんだ考え方」にあるという前提に立っているのです。 ただ、これも、患者の善悪を判断しているわけではなく、 反省を促しているわけでもありません。 あくまでも、「他の考え方もある」ということを 理解させることを目指すものです。 他にもクライアントに指示をするタイプのカウンセリングはありますが、 説教を垂れるのとはまったく別物です。 カウンセラーが 「社会的に適切か否か」の判断をすることはあっても、 「何が善なのか」「何が悪なのか」ということは言いません。 カウンセラーは神ではないので、善悪判断など出来ませんから。 ・・・と、 ここまでは大学院で心理学を勉強して臨床心理士になる人の話。 怪しげな「カウンセラー養成講座」で講習を受けた にわかカウンセラーさんや、 「自己啓発セミナー」でえらそうに語る人の事は知りません。 日本では大学院修了が必須となる「臨床心理士」すら、 国家資格にはなっておらず、 ちゃんとした心理学の教育を受けていない人でも、 「カウンセラー」を名乗ることが出来ます。 一般の方は、カウンセラーというと、 「みのもんた」さんのような人を想像するかもしれませんが、 あの方のお説教的論調は、一般的な心理療法でタブーとされることを、 片っ端からやってのけているようなものです。 もちろん、そういう「説教」を聴きたがっている人もいるので、 「説教屋」も一定の役割は持っていると思います。 ただし、本当に精神的な疾患を持っている人に対しては、 説教は役に立たないどころか、症状の悪化すらありえるでしょうね。
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- yow
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なにについての相談をどんな経験をもっている人がするかによってかわってくるでしょうね。カテゴリーが心理学ということならば、心に関するカウンセリングということになるのでしょうが。 おそらく質問者さんのイメージしているカウンセラーは、きちんと心理学で学位をとり、臨床士としてのトレーニングをうけた人でしょう。 『カウンセラー』という名前は、だれでも名乗れます。『医者』というのは国家試験をとおっていないとなのれませんね。いずれにしても、カウンセリングをうけて楽になるのでしたら、どんな人のカウンセリングをうけてもいいと思いますが、あわない、とおもったら、とことんなっとくいく人をさがすことが大事だと思います。カウンセリングに大事なのは、カウンセラーとの信頼関係だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 そうです。心に関するカウンセラーのことです。 >なにについての相談をどんな経験をもっている人がするかによってかわってくるでしょうね。 そうするとケースによっては、説教もありえるということですね。これは意外でした・・・。資格がなくても名乗れるということは、存じていますので、いろいろな人が勝手に名乗っていることも知っています。今回の質問は、ある「カウンセラーもどき」の方が、していることが、私の持っていたカウンセラーのイメージと隔たっていたために、カウンセラーというものの基本理念を聞いてみたかったのです。なお、私は患者ではありません。また、「ある人」のやり方自体を批判する意図もありません。純粋に理念を知りたいわけです。でも、ケースによっては、叱ったり説教もあるというわけですね。ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。大変よくわかるお話でした。基本理念という問題設定が、カウンセリングを理解していなかったのですね。でも、日本の現状を見ると、私のイメージと似ているということ、ただし説教という概念はないということですね。良く分かりました。 さすがに、みのもんたさんをカウンセラーと意識する人はいないとは思いますが・・・・でも、カウンセリング理論をかじった「プチもんた」なら、自称カウンセラーにたくさんいるようです。私の知っているある人もそうです。間違いを気づかせてあげるというスタンスです。それなので、健康な人には、それなりに良い話になることもあるのですけども、人の話を聞けないくらいに重い人には、素直ではない、我が強いということで却って症状の悪化がされているようです・・・。