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我々日本人含め西側諸国の人たちは、自由、民主主義?

我々日本人含め西側諸国の人たちは、自由、民主主義、資本主義みたいな価値観を正しい、当たり前の前提として捉えてることが一般的かと思いますが、 スピリチュアルな価値観に照らし合わせると、そういう西側的な価値観もアチコチ間違ってる可能性がありますよね? 神の恵みに感謝して、地球の自然を慈しみながら、互いに愛し合って暮らすべきだ…みたいな考え方からすると、西側の価値観も所々怪しいはずですよね? だとすると、西側の価値観とスピリチュアルな価値観は、なんでズレているんでしょうか?いつ、どこでどう、ズレてしまったんでしょう?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • jack-a3
  • ベストアンサー率40% (361/901)
回答No.5

再びNo1&3です。これ以上はQAではなくなると思うのでこれで最後にします。 >しかし権力の暴走を野放しにしていると、普通の人はいつまで経っても安心して暮らせないから、権力をセーブする仕組み、悪玉エネルギーを沸点以下に留めて世の中をバランシングする仕組みを人類はいくつも考案してきた。 そういうレベルの話ではないです。 いまの宗教と政治の分離、民主制度、三権分立制度と言うのは、何が善エネルギーとか神とやらで、何が悪玉エネルギーや悪魔であるかは分からないという立場からの制度です。 我々が神、あるいは善と信じる勢力が本当に善なのであれば、それを指導や普及する人たちからの影響を排除せずとも良いのです。ですがそれが実は悪だった時、つまり我々が信仰する神が実は悪魔だった時に取り返しがつかないことになります。 なので、善とか悪、神とか悪魔を極力排除した上で、何かの権威や権力に依存しない国家運営を実現し、また現状の運営方針が間違っていたと気づいた時に、間違えているという声が大きくなることで修正ができる仕組みとして設計されてます。 欧米人からすると、自分たち自身は一神教の教徒でありながら、その神自体を疑う制度であり、とても悲観的な考えかたです。

rameznaam
質問者

お礼

大変詳しく教えていただき、ありがとうございます!みなさん、ありがとうございました!

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その他の回答 (5)

回答No.6

a) 自由や民主主義は、古代ギリシャ時代に生まれたものでしょう。 b) 資本主義は、産業革命後に生まれた。 c) 神との関係、愛の法則などは、イエスによって生まれた。 d) という訳で、a) は二千数百年前からあった。 b) は、200年くらい前に生まれたもの。 c) は、二千年前に生まれた。と言えるでしょう。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8620/18437)
回答No.4

神の恵みに感謝して、地球の自然を慈しみながら、互いに愛し合って暮らすべきだ…みたいな考え方は、ヨーロッパの価値観です。日本では自然の恵みに感謝して、地球の自然を恐れながら、互いに話し合いで争いを回避して暮らすべきだという価値観です。そのうえで自由、民主主義、資本主義みたいな価値観を受け入れているのです。

  • jack-a3
  • ベストアンサー率40% (361/901)
回答No.3

No1です。補足あったので出てきました。 >アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓するので、宗教と政治が分離しきれていないのは自明ではないでしょうか?ドイツにも、ドイツキリスト教民主同盟という政党がありますよね? ええ、そうです。ほとんどの国では完全には政教分離しきれていないのです。 宗教と政治が分離しきれていないのに「そういう西側的な価値観もアチコチ間違ってる可能性がある」のだとすると、質問者さんが言う「西側の価値観とスピリチュアルな価値観は、なんでズレているんでしょうか?」というのはピント外れと言うか、「そもそも価値観が一致していないものを比較してるのだからズレるのは当たり前」としか言えないのでないですか? ですから先の回答でも冒頭で「つまり自由、民主主義、資本主義みたいな価値観とスピリチュアルな価値観とやらは直交する概念ではなく両者(すみません。誤字でした)は無関係である、と考えれば良い」と書きました。 欧米諸国は一神教をベースにしたスピリチュアルな価値観を持ちながら、自由、民主主義、資本主義みたいな価値観を獲得してきました。 その土台になってるのは「神のもとで人間は平等である」という思想です。人間同士で比較した時にはいろいろな能力や出自の違いがあり、それらを基準に優越や格差をつけたくなるけど、万能の神サマの存在を置くことで人間同士の差なんて取るに足らないものであり、人間は平等だと考えることができるようになったのです。そしてそれが正しいのかどうか証明されないのに信じてるのです。実にスピリチュアルな価値観じゃないですか。 ある地域に住んでいた人たちが集まって国家を形成している場合、その国家を形成する思想面とかバックボーンとして宗教観とかそれをベースにした道徳観があります。なのでそこに宗教やスピリチュアルな思想が残っている。 ですが実際に政治や行政を行う実務の面では、より平等で公正なやり方、および間違いが起こりにくく権力の暴走を阻止するために法制化されており、そこに宗教色が入り込む余地はない。それが民主共和制や立憲君主制の目指すところです。 だから宗教団体が政党を作るのも許容されている。個人としての心の在り方や何を信じるかは自由であるが、実務の面で特定の宗教や思想に肩入れするようなことは(少なくとも表向きは)許容されない。 実務の結果として現れる目につきやすいところを見てると宗教的思想やスピリチュアルな価値観が大事にされていない、ズレているように見えるけど、もっと深いところにこっそり残ってるのです。

rameznaam
質問者

補足

実に分かりやすい、素晴らしいご説明だと思いますね(汗)ありがとうございます。 拝見しながら思ったのですが… 私は常々、「宗教」という場合、今有名な世界宗教等を考えるよりも(理屈っぽく考える対象としては)ゾロアスター教の方が分かりやすいんじゃないか?と思っています。つまりこの世の背後の霊的世界には善玉エネルギー(アフラマズダ)と悪玉エネルギー(アーリマン)があり、それが渾然一体としたまま顕在化しているのが、人間の認識する現実の世の中なんじゃないかと。 私が質問で書いているスピリチュアルな価値観は、純粋な善玉エネルギーのことを取り上げているつもりです。キリストやブッダが体現しているものも、善玉エネルギーでしょう。 しかし現実の現代社会はまだまだ、上に書いたように、善と悪が渾然一体としている。 一般大衆の中には普通に「いい人」もたくさんいるんだけど、権力闘争に強くて実際に権力を握ってしまう人は、悪玉エネルギーの力を借りていることが多い。悪玉エネルギーを使わないと政敵を殺せないから。 しかし権力の暴走を野放しにしていると、普通の人はいつまで経っても安心して暮らせないから、権力をセーブする仕組み、悪玉エネルギーを沸点以下に留めて世の中をバランシングする仕組みを人類はいくつも考案してきた。 それが今で言う自由や民主主義や資本主義であり、これらはあくまでもバランシングの「仕組み」なので、スピリチュアルな価値観(善玉エネルギー)とは直交する概念ではない。 そんな風に考えればいいでしょうか?どうでしょう?

回答No.2

西欧の人々の歴史的に勝ち取ってきた価値観は、我々日本人には感覚的に理解の及ばないところがあるように思います。 価値感は、普遍的なモノでないことをあなたもご承知のことと思います。「スピリチュアル」な価値観というのが分かりませんが、異なる価値観で照らせば、誤謬も見つけられるでしょう。 様々な価値観、流行りの多様性の中で、正誤を問うのでなく。どう折り合いをつけるかが問われている時代と思われれます。

rameznaam
質問者

補足

>我々日本人には感覚的に理解の及ばないところがあるように思います。 とは言っても、日本社会も、自由、民主主義、資本主義というイデオロギー、システムを受け容れてますよね?それを当然視してますよね?

  • jack-a3
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回答No.1

質問者さんのおっしゃるスピリチュアルな価値観とやらが明確じゃないので何とも言えません。質問文にあるように「の恵みに感謝して、地球の自然を慈しみながら、互いに愛し合って暮らすべきだ」って考え方を指すのであれば、それって今の西側諸国に暮らす人たちも少なからず持っている価値観だと思うのですが。 なんせ欧米各国はほとんどキリスト教徒ですよ? それなのに価値観がズレていると感じるのであれば、それは前提が間違ってるのです。 つまり自由、民主主義、資本主義みたいな価値観とスピリチュアルな価値観とやらは直交する概念ではなく両社は無関係である、と考えれば良いってことになります。 というのは論理的なお話で、ここから先は歴史的なお話を。 政治を「まつりごと」と言うように、古代国家は宗教的指導者が政治的指導者を兼ねていることが普通でした。 ですが国家が発達し国際関係が複雑化する中で、宗教的知識や権威と政治的・行政的な才覚とは必ずしも一致しなくなります。あるいは宗教的思想に囚われすぎることで余計な争いごとが発生したり、特権階級が発生したり不正や賄賂が横行するようになります。 この矛盾を解決するために宗教と政治を分離する、という考え方が出てきます。 そもそも一神教というのは、その根本に「神のもとで人々は平等である」という価値観を持っています。で、皆が平等である世界で、国や政治を運営するのに最適なやり方は何か?ということを考えたのです。 皇帝とか王とかが君臨し、その人が政治を行うやり方は為政者やその取り巻きに権力が集中しますよね?それって平等ではない。 なのでなるべく個人に権限が集中しないように、また権限を持った人が間違ったことをした時にそれを市民が正せるようにするにはどういうやり方が良いのか、ということを考え、試行錯誤した末に今の民主主義共和制、あるいは立憲君主制という制度が出来上がってます。これが最適な政治形態かどうかは分かりませんが、これ以上のやり方が思いつかないだけ。 また皆が平等である世界で、平等あるいは公正な競争を行えるようにする仕組みとして資本主義なわけです。 と言うわけで、元々は宗教的指導者が国家を運営してたけどそれが行き詰まる中で、より公平公正で平等な仕組みを実現しようとしてきた歴史があるのです。 その過程で宗教と政治や経済を分離することを目指してきたので、宗教的価値観と一致しないのは当たり前というか自明でです。 そういう意味では西側諸国の中でも日本は政治や経済と宗教の分離が最も進んだ国であるとも言えるかと。 アメリカなんてまだいまだに大統領が就任する際に聖書に向かって宣誓しますからね。

rameznaam
質問者

補足

そこで書かれているように、アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓するので、宗教と政治が分離しきれていないのは自明ではないでしょうか?ドイツにも、ドイツキリスト教民主同盟という政党がありますよね?

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