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キリスト教は自由や民主主義をどう考えているのか
キリスト教を基盤としたUSAやイギリスを代表とするいわゆる欧米諸国は「自由と民主主義」を掲げている国というイメージがありますが、キリスト教の教義からいえば真の信仰の自由や民主主義はありえないような気がするのですが。 (むしろ非キリスト教国である日本の方が自由と民主主義の国のような気がします。)
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過去の歴史において、 一人の支配者と下に宗教と思想が共存して、民衆を苦しめた時代各地に有りました。 そんな歴史の中で、宗教と思想を絡めた政治で苦しめられていた民衆から、神を絶対視する宗教に縛られるのではない、民衆による社会を求める民主主義という思想が生まれました。 現代の宗教は民主主義の中に組み込まれた「宗教の自由」という考え方の下に存在してます。 多くの宗教は「神の下に世界の存在」を規定してると思いますが、 過去のキリスト教による政治は、神に代わって民衆を支配しようとした時の支配者による、宗教の悪用という考え方も有ります。 現代のキリスト教では神が「世界の支配者」であり、 「人間による社会」は一人の人間に支配者にされるのではなく、民衆が自らの責任で民主的に運営されなければならない。 …それが思想としての「民主主義社会」の捉え方であり、 キリスト教の「神の下に在る世界」という捉え方とは一線を画しています。 現代社会でも思想的には並存していても、主義として同一線上に存在するものではないので、 それを混同してしまうと、宗教と思想の関わりを捉えるのも難しくなり、 それぞれを理解する上で混乱を生じることになってしまいます。
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- eroero4649
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一神教で使う経典に、新約聖書と旧約聖書というのがありますね。キリスト教は新約聖書と旧約聖書を経典としていて、イスラム教はコーランと旧約聖書が経典で、ユダヤ教は旧約聖書だけが経典となっています。 この新約とか旧約の約って何なのかというと、「契約」の約なんです。つまり、これは「神様と人間との契約」なのです。 だから旧約聖書ではモーセと神様との間でまず「あなたを何て呼ぶのか」って問答から始まっています。モーセが神様と会ったときに「あなたのお名前はなんてえんですか?」と聞きましたら神様は「名前ってえのは、他人と区別するものだ。俺は宇宙で唯一絶対の存在だから、名前なんて要らんのだ」と返してきて、そこをモーセが「いやそんなことをいわれたらお祈りのときに困る。せめてそこは神様って呼ばせてもらえませんかね?」「ううむ、やむを得まい」とやり取りがありました。 その後、人間があまりに堕落したのでムカついた神様は「もうこうなったらソドムとゴモラを燃やしちゃうもんね」と決めたのですが、そこをロトという人が「いやでも神様、もしそこに100人正しい者がいたらどうです?」「ううむ。それなら滅ぼさないな」「でしょう?じゃあそれが50人だったらどうです?」「ううむ。それも滅ぼせないな」「でしょう?じゃあそれが・・・」「待て待て、そうやってったらキリないじゃないか」というやり取りもしていたりして、ともかく我々日本人のイメージとは違って結構人間様も神様のおやりになられることにイチャモンをつけたり要求を出しているんですね。 それもこれも、神様との関係が「契約」だからです。契約である以上、対等なのです。この「契約である以上対等」というのは日本人にはちょっとなかなか理解できない感覚ですけどね。 で、神父さんや牧師さんは「神様と契約したんだから、契約は守りましょう」と説いているのです。 さて日本社会が自由で民主主義なのか。私は日本は社会主義国だろうなと思っています。社会主義というか、会社主義というと分かりやすいでしょ? 例えば日本国憲法では「国民は税金を払う義務がある」といっています。あの中華人民共和国でさえ「政府は国民から税金をとる権利がある」という言い回しなのに、日本では義務なのです。その一方、災害などで何か問題が発生すると「いったい国は何をやっているのか」と国の責任が問われます。本来は個人の問題であるはずの高齢者の暴走運転も「国が制度でなんとかせい」ってみんないいますでしょ? 民主主義もね、例えば国会議員なんて世襲ばっかりじゃないですか。でもそれを選んでいるのは有権者ですよね。あの議員の息子さんというのが立候補していて、そうじゃない人が立候補したら、みんな息子さんのほうに投票するわけです。「民主的に世襲制になっている」わけですよね・笑。小泉進次郎さんなんてまさに「若殿」って感じです。実に民主的な江戸時代感ですね。日本ではまだ一度も革命は起きていませんから、社会制度としては江戸時代からあまり変わっていないと思います。
お礼
ご丁寧なご回答ありがとうございました。 確かにおっしゃるように日本も冷静に観察すると自由で民主的な国とは言えないと思います。日本の生ぬるい社会にどっぷりつかってると気が付かないものですね。 ところで、そうはいってもキリスト教社会では生まれながらに(強制的に)洗礼を受けさせられたり、信教の自由なんてないように思うのです。民主主義についていえば、どこの国でも政治家が大衆に迎合して言っているだけで、実際には政治家や権力者や金持ちが動かしているように思います。
- g27anato
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「イメージ」はイメージでしかありません。 キリスト教は「神」が大前提です。 キリスト教は「自由と民主主義」が前提ではありません。 「キリスト教」は宗教、 「自由と民主」は思想です。 混同は混乱を招きます。 「ありえない」とか「ある」とか、 比較できるものではありません。
お礼
早速のご回答ありがとうございます 宗教が現実社会と乖離していては単なる理想や空想に過ぎないことになると思います。 従って、宗教と思想は切り離して考えられないと思うのでこんな疑問を感じました。
お礼
詳しいご説明ありがとうございます。 民主主義が多数決を基に誤った結論を下すこともあり、それが例えばキリスト教精神に反することだってありうるわけですから、確かに宗教とは別個に考えなければ理解に苦しむことはあると思いました。従って、民主的に決められたことだからといって正しい判断とは限らないことにいうことですね。