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共産主義と自由主義の理念について教えてください
- 共産主義と自由主義の理念について教えてください。冷戦の対立勢力である共産主義と自由主義の動機や基本理念を知りたいです。
- 共産主義とは、資本の共有と階級のない社会を目指す理念です。一方、自由主義は個人の自由を尊重し、市場の働きによって社会が発展するという信念です。
- 共産主義と自由主義は、冷戦時代における二つの対立勢力でした。共産主義は資本の共有と階級の消滅を目指し、自由主義は個人の自由と市場の働きによる社会発展を信じました。
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ロシアにおいて共産主義を推し進めたのはレーニンです。彼はマルクスが唱えた階級闘争という理念を、農奴として虐げられてきたロシアの民衆に植え付け、団結させ、ロマノフ王朝から権力を奪取するために使いました。日露戦争でボロボロになった国をなんとかすることが動機だったでしょう。そこから自分の懐にお金を入れて銭儲けをする、と言った発想があったとは思えません。 民衆にもイデオロギーなどありません。飯を食わせろ、それだけです。旧権力の正統性を否定し、新しい権力の正統性を得るための理論が共産主義の革命理論が必要だったのです。 ちなみに、マルクスは学者さんでしたが革命家的側面も持っていました。しかしながら、理想とする社会は理論化出来ても、その権力移譲プロセスは幼稚なもので、つまりは暴力以外にはない、というものでした。 共産党宣言にはこうあります。 「共産主義者は、その見解や目的を隠蔽することを、軽侮する。共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。」 一揆をするお百姓さんみたいなものですね。 マルクスやレーニンが極悪人だったとは思いませんが、彼らが理想に燃えて作った社会は、必然的にスターリンを産み、毛沢東を産み、ポルポトを産んだ、という明白な事実に注意する必要があります。現代でも、暴力革命を志向するする日本共産党や極左暴力集団、果てはオウム真理教からISなどのテロリストまで、自分たちの主張を通すためには暴力も厭わないこの思想に通底しています。 いくら創始者がロマンに満ちていても、そのフォロワーの共産主義者は社会に害悪をなす完全な狂人たちですから、その理想もろくなものではなかったと決めつける他ありません。創始者は良かったが後継者がダメだった、のではなく最初からダメだった、と切って捨てることが重要です。 個人と国家の関係における自由主義は、16世紀のホッブズから続く、ロック、ルソーなどが明らかにした絶対王政から立憲主義へという流れを抑えておきたいです。↓にわかりやすい解説がありますのでどうぞ。 http://www.uraken.net/rekishi/reki-eu42.html 一方、宗教思想史としては16世紀、ルターの宗教改革が重要です。腐敗した中世カトリック教会の改革運動として始まったのですが、17世紀のカルヴァンの重商主義と結びつく点に注目です。ひとつは、カトリックの司祭の肉食妻帯禁止の戒律を見なおし、プロテスタントの牧師が女を抱けるようにしたこと、そして聖書を厳格に解釈するところから導き出される金融における利息の禁止の撤廃です。つまりは性欲と儲けたい、という個人的な欲望の肯定です。 さらに、中世的暗愚からの解放としてイタリアで始まったルネサンスがあります。ギリシア・ローマ時代の復興を目指すということですが、かつてのギリシア・ローマは、人間がもっと自由であった、つまりこれもまた女を抱きたい、という欲望の肯定です。美術品を見てもわかりますが、神の前で小動物のように縮こまっていた人間が、楽しそうに裸で遊んでいるエロスでいっぱいです。 18世紀のフランス革命、そして人権宣言では人間の天賦の権利として人権が謳われました。王権神授説、絶対王政、法治主義、立憲主義からさらに進んで、とにかく理由は分からないが人間には権利が備わっている!!と主張する所まで来てしまいました。 このように、個人を主役に据えると何が起きるでしょうか。それまでの極めて限られた王侯貴族の豪奢な生活は、個人 (奴隷)に無理やり働かせ、そこから死ぬ寸前まで搾り取れば十分でした。しかし、新興貴族これら全員が女を抱きたいうまいものを食いたいとなると全く足りません。そこで、個人の生産性を向上させ、個人それぞれが己の欲望に基づいて自由に活動することこそ、市場の参加者を増大させ経済規模を拡大し、多くの富裕層を生み出すことが可能になります。 この原理は現在でも全くその通りに機能していて、新興国に援助して近代化させると企業が儲かります。貧乏人に移動の自由を与えると、中国の農民が大挙して北京に押しかけてきてテレビが欲しいと騒ぎだします。アフリカの土人にスマホを持たせるのも同じですね。女を抱きたいという動物的衝動ほど、経済活動を活発にするものはありません。 ですから、自由主義には理論的な意味付けをした思想家はいますが、指導者はいません。ただ、欲望を肯定する、それだけで人間は勝手に走り出すのですから。 その勝手な行動が、冒頭の共産主義を生み出した原因となった格差、搾取、階級を創りだすのですから皮肉なものですね。 なんだかご質問とずれてきて長くなってきたのでここいらで打ち止めにさせていただきます。
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- haruse1549
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まず、共産主義と自由主義、ないしは資本主義というのは経済システムについてです。 ご存知の通り、共産主義の意義は富を平等にするというのがその一つです。もう一つは経済の統制です。 共産主義が提唱された時代、十年おきに恐慌が起こっていたといわれています。 国民が一年間に消費する物資というのはある程度計算で求めることができます。ですので共産主義は必要のものを必要なものだけ過不足なく生産し、無駄なく消費することができるのです。 片や資本主義はと言えば、生産過剰や労働者の労賃を渋るなどして定期的な恐慌に見舞われていました。共産主義を唱えたマルクスは、生産を拡大する一方で労賃を渋る、最終的には買い手のいないまま製品だけが作られ続ける、という資本主義の矛盾を解消するために恐慌が起きると説きます。恐慌が社会や経済もろとも潰してリセットしてしまうと。ならば、富を平等にしてしまえばそんなことで一喜一憂せずに済む、と考えたわけです。 極めて合理的な考え方なのですが、大きな問題があります。それはあくまで「人間が経済を統制できる」「技術や生活の向上が緩やかにしか進まない」ということを前提にしているからです。 物を作って、消費して――実は、それだけではあまり人々の心が満たされないのです。今食べているものに慣れればもっと美味しいものが食べたくなるし、スマホが出てきたらガラケーから乗り換えたい。誰だって今よりいいものを求めるわけです。 しかし、共産主義には競争がない。何を作っても同じ給料ならあえて新しいものを作る必要もない――そんなわけであるところを境に発展が止まるのです。 これを、少数の人間が(たとえ天才集団でも)打開しようと政策を打ち出そうものならシステム自体に無理が生じるのです。 一方で資本主義は生き残りを賭けた競争の連続です。いいもの、真新しいものを作らなければ淘汰される。なんとなくお察しいただけると思いますが、日本でも旧国営の独占公社や電力会社、独立行政法人なんかは真っ当な商売をしたら潰れてしまいそうだと思いませんか? 共産主義における企業は、あんな体たらくよりも悲惨なことになっているのは想像に難くないと思います。 現実の共産主義を主導したのはソビエトなのですが、ソビエトの統治方針が上記の問題を相当悪化させます。 まず、政治や経済に造詣の深い資本家、地主、貴族、官僚、学者をことごとく処刑や国外追放にしました。残ったのは学も教養もない貧乏人だけ(プロレタリア革命などと言います。あえて訳せば貧民革命)。右も左もわからない新入社員だけで大企業を経営するようなものです。 実際、失政の連続で多くの餓死者を出しました。ようやく軌道に乗り出したのは世界中が世界恐慌に見舞われる直前です。 次の問題は、ソビエトがあくまで権力に固執して一党独裁体制をとったからです。 これはいつの世にも言えることですが、権力が長く一つのところに集中するとその周りに特権集団が形成されます。社会の流動性が失われて事実上の階級社会になり、彼らに都合のいいように経済が動かされれば経済の停滞も始まるのです。 政治腐敗、軍事費高騰。これらが原因で経済が極度に滞り、方針転換を図ろうにもソビエトの経済は首脳陣に掌握できるような状態ではありませんでした。そしてソビエトが崩壊したのです。歴史上、戦争以外で滅亡した覇権国家はソビエトだけかもしれません。 一方で資本主義はご存知の通り、貧富の差が広がるという問題があります。 この対処療法として富の再配分という概念が存在します。稼いでいる人からは多く税金を取り、恵まれない人や国民全員が平等に使える施設や制度を整え、格差を調整するというものです。 ヨーロッパでは社会主義でありながら民主主義と資本主義を重んじる社会民主主義というものが現在主流です。北欧のような高福祉社会なんかが想像しやすいでしょう。払える人間が払い、貧困を根絶する――極論すればそういうことです。 一般論でいえば、共産主義よりも資本主義のほうが全体の富が大きくなりやすいと言えます。あとは、その大きなパイをどのように切り分けていくかが資本主義の問題なのです。 保護を手厚くすれば競争原理が失われる。しかし競争過多になればかえって成長を妨げる。 バランスをうまくとることができれば、資本主義でも誰も文句はないのです。冷戦の時代、西側諸国は急激な経済成長を遂げました。福祉を手厚くすることもできましたし、何より政府が何もしなくても急激すぎる経済成長で誰もが生活の向上を実感できたのです。 しかし先進各国の経済が停滞して長らく経ちます。もしかすると、ある意味では現代のほうが資本主義の意義について疑問を投げかられる時代なのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございました。 当時の背景など、とても参考になりました。 特に、「人間が経済を統制できる」という人間の思い上がりはその通りだなと思いますし、「右も左もわからない新入社員だけで大企業を経営」の例えもわかりやすかったです。たしか、中国も大躍進政策で信じられないような餓死者を出していましたよね。 「戦争以外で滅亡した覇権国家はソビエトだけかもしれません」も、衝撃的でした。 「現代のほうが資本主義の意義について疑問を投げかられる時代」というのも、私もその通りだと思っています。
>冷戦の対立勢力の呼び方なのですが、共産主義(正確には共産主義を目指す社会主義?)と自由主義であっていますか? wikipediaでの説明が 「第二次世界大戦後の世界を二分したアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造。」 と資本主義、自由主義、共産主義、社会主義と四通りに区分して説明していることで混乱されてのご質問かと思います。 「共産主義」という言葉も定義は無数にあります。 「自由主義」なる言葉も「主義」と「自由」に分けて考えませんと混乱します。 歴史のカテでのご質問ですので、個々の主義なるものが生みだされた経緯から御理解された方が分かり易いかと思います。 「自由」という言葉が冷戦などの政治の舞台に持ち出されてきたのは、フランス革命が嚆矢です。 「自由」の概念を取りまとめたのはフランス革命に先立つ啓蒙思想と呼ばれるヨーロッパの思想史の中でです。 東西冷戦の思想的な対立は、「共産主義」の一つである「スターリン主義」というものに対して、アメリカなどが反発したことが原因です。 その「アメリカ」を「自由主義」と呼ぶのはあくまでも「スターリン主義」に対する反対語という意味合いで使われていたものです。 このような範囲内で平たく言いますと、政治体制としては、国家の政府と国民との関係の違いということができます。 経済面から見ますと、工場やの農場などの生産手段を政府が一括に所有して管理する経済体制か、国民一人一人一人が所有して管理するのか、という違いになります。 「自由、平等、博愛」というのもフランス革命の際にうまれた政治スローガンです。 政治スローガンとしての「自由」と啓蒙思想など思想面からの「自由」とは切り離してお考えになられることをお薦めします。 いきなりイデオロギーとか理念という考え方を持ち込みますと混乱や誤解が生じます。 これに「宗教改革」などキリスト教文化圏での歴史的な変遷を混同されますといよいよ混乱します。 ましてキリスト教会内部での歴史的な変革などとは無関係ですので御注意下さい。 東西冷戦構造を歴史的に御理解頂くには、ソビエト連邦という政治制度がどのようにして生まれたのかをご理解願います。 アメリカ側の「自由」については、フランス革命の経緯をご理解頂くのが早道かと思います。 いっずれもwikipediaなどのネット情報で充分です。 思想としての「自由」につきましては「啓蒙思想」が生まれた経緯が歴史的には御理解し易いかと思います。 「啓蒙思想」「自然権」などがキーワードとなるかと思います。 国際間の対立を思想面だけから追いかけていきますと混乱が生じますので充分御注意願います。 〇〇主義につきましては、wikipediaには下記のような説明がありますのでご参考にして下さい 自由主義(じゆうしゅぎ、英: liberalism、リベラリズム)とは、政治や経済などにおける思想や運動や体制の類型のひとつ。 「政府からの自由」である自由権や個人主義、「政府への自由」である国民主権などの民主主義、経済的には私的所有権と自由市場による資本主義などの思想や体制の基礎となり、またそれらの総称ともなった。 自由主義は政治や経済における多元主義でもある。 民主主義(みんしゅしゅぎ、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。 マルクス主義は、資本を社会の共有財産に変えることによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、階級のない協同社会をめざすとしている。 全体主義(ぜんたいしゅぎ、イタリア語: totalitarismo)とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想または政治体制の1つである。 この体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める
お礼
詳しいご説明、ありがとうございました。 同じ、自由ということでも、思想面と政治面では切り離して考えた方がいいのですね。もう少し調べてみようと思います。 ところで、書いていただいた「自由、平等、博愛」のスローガンから言うと、自由主義は「自由」、社会主義は「平等」につながる気がしますが、どちらも「博愛」からは程遠い気がしてしまいますね。 ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34531)
ものすごく乱暴に、恋愛に例えると分かりやすいです。 現在の日本では、恋愛市場はかつてないほどの自由主義です。モテるやつが沢山の女を抱いて二股かけたり浮気したりして好き勝手にやっています。その一方で、モテるどこから結婚はもちろん恋人さえできずに孤独な人生を強いられる男性も少なくありません。一方の女性は、生まれつき見た目がいいかどうかで人生が天国にもなれば地獄にもなります。ブスもこれまた理不尽なまでに差別される人生を送らなければなりません。 こうして恋愛市場では、好き放題に恋愛ができるフルジョアジーと、苦難を強いられるフラレタリアートという階級ができます。フラレタリアートは、いつまでもこの理不尽な世の中を強いられなければならないのでしょうか?それはおかしいです。じゃあどうすればいいか。国が「お前はこいつと結婚しろ」みたいに決めてくれたら、「誰でも等しく結婚できる世の中」になります。ブスだろうがイケメンだろうが平等です。これこそが社会主義(共産主義)の「素晴らしいところ」であります。 こうすれば、なぜ社会主義運動をする人たちが出てくるのかも理解できますね。彼らの出身階級は、当然のことながら「持た(モテ)ざる者」なわけです。それか、お金持ちなのに欲望がないような人です。もし「クリスマスもバレンタインも禁止だ。国がコンピューターで相手を決めて、その相手と必ず結婚しなければならない」と掲げたら、ある一定の支持は集まりそうですよね。いやひょっとしたらすごい運動になるかもしれません。 そしてそう世間が盛り上がってる中で、「いや俺だって相手を自分で選ぶ権利がある」とか言い出したら、そりゃ当然「そういって不特定多数の相手とセックスしたいからそういっているんだろう!邪まなやつだ!」と吊し上げられるでしょうともさ。そしたら人々の前で「私は沢山セックスがしたくて恋愛社会主義に反対しました。愚かなことでした」と自己批判も強いられるでしょうさ。そういうことなのさ。
お礼
わかりやすい例えをありがとうございました。 しかし、この平等は、なんか嫌ですね。 >国が「お前はこいつと結婚しろ」みたいに決めてくれたら、「誰でも等しく結婚できる世の中」になります。ブスだろうがイケメンだろうが平等です。これこそが社会主義(共産主義)の「素晴らしいところ」であります。 そう考えると、職業選択の自由が制限されたり、もっと仕事をしたくても国の計画以上は仕事できないとかも、かなり窮屈ですね。 (本題からはずれますが、自由主義的な、多数の相手が欲しいというのは、男性だと理解できますが、女性の場合はあまりそういう本能的な欲求はないように思えるので、男女別で自由主義の場合のインセンティブはかなり変わりそうですね。)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”冷戦の対立勢力の呼び方なのですが、共産主義(正確には共産主義を目指す社会主義?) と自由主義であっていますか?” ↑ ハイ、概ね正しいと思います。 「人々を自由にしておくと、資本を持つ者が資本を持たないものの 労働力を搾取するようになってしまうので、全員で資本を 共有して階級ができないようにしたい」 ↑ こういうのは、歴史をみると解りやすいです。 英国で産業革命が興り、資本家が莫大な富を手中にしました。 その一方で、労働者は、平均寿命が二十歳未満という信じられない ほど過酷な条件下で働かされました。 それで、労働者を何とかすべきだ、ということで社会主義という 思想が勃興してきたのです。 この格差の原因は、資本家の経済活動を自由にしている からだ。 だから、経済活動の自由を制限し、国家が計画する計画経済 にすれば、格差は無くなるだろう。 ”自由主義側はいまいち、始めた人たちの基本理念と言うか動機をつかみかねています” ↑ 主義などというから、イマイチ解りづらいのです。 自由主義は、主義と言えるほどの体系は持っていません。 資本家の経済活動には国家が関与しない、というだけです。 だから、自由主義を始めた、というのではなく、自然と そうなっていた、ということです。 ”理由としては、「自由にさせておけば、勝手に上手くいく」では、 自由主義を推し進めた人々のモチベーションを引き出す 動機付けとしては弱いような気がするからです。” ↑ ハイ、全くその通りです。 社会主義にすると、資本家の財産は国に没収されます。 事実、社会主義国家はそれをやりました。 そうなったら、資本家は困ります。 だから、必死で抵抗するわけです。 それで、社会主義に対抗した、自由主義という概念を 強調するようになった、というだけです。 ”自分の人生をかけてでも自分たちのイデオロギーのために戦おうと 動機付けできるだけの、共産主義と自由主義の一番基盤となる理念が知りたいです。” ↑ イデオロギーのためではありません。 自分たちの利益のために戦ったのです。 イデオロギーは大義名分です。 特に、自由主義陣営はその色彩が強かったのです。 社会主義国になったら、王侯貴族資本家などは処刑され 国外追放になります。 ソ連や中国はそうなりました。 だから、必死で抵抗します。 米国独立戦争だって、本国の課税に怒って始まったものです。 大義名分が自由でした。 フランス大革命も増税が原因で発生したものです。 大義名分は自由と平等でした。
お礼
とてもわかりやすい説明をありがとうございました。 特に共産主義が台頭してきたから、自由主義側(の支配者層)も自分たちの正当性を主張するために大義名分の理論化が必要だったという考え方はわかりやすかったです。 もう少し、ご回答をよく読んで咀嚼したいのですが、取り急ぎお礼させていただきます。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1175/3512)
共産主義は、すくなくとも過去・現在に至るまでの自称共産主義国家の理念は階級を作らないことであるはずがありません。御存知の通り、すべてが恐ろしいまでの階級社会です。 彼らの理念の根本は、優れた指導者によって計画された経済のほうが、野放図に任せるよりうまくいく、だから我々が絶対的な権力を握り人民を支配する、というものです。 ですから、現代の資本主義社会でも、国民皆保険や福祉制度などは、すべてこうしたアカの発想から自由ではありません。個人の欲求を公共の福祉として抑圧することで自分たち(共産党や役人)が潤うということですね。 一方、自由主義(個々では資本主義と理解します)は個人の欲望を是認します。その欲望とは、人より偉くなりたい、女を抱きたい、うまいものを腹いっぱい食べたい、というシンプルなものです。これにより、ひどい環境汚染や企業犯罪、抜け駆け、騙し合い、金貸しの横行などが発生しますが、個人の群れは欲望のまま死ぬほどはたらき小銭を稼いで市場の発展に貢献してくれます。市場の発展とは、個人がそのプレーヤーとして奪い合いに参加することです。奪い合いながら自ら搾取されるという滑稽なゲームです。 そして、どちらも表面的には美しい言葉、自由とか平等などという理念を語り、背面ではこのような情けない動機に裏付けられているのが現実です。この二面性の秘密を開示された人間だけが権力の正しい構造を理解し、それを手に入れることが出来ます。その上っ面だけを理解している殆どの人間は、コマ、兵隊となってこき使われ、小さなゴミのような幸せに満ちた生活を送り、死んでいくというわけです。
お礼
本音でのご回答ありがとうございました。 ご回答いただいた内容読みまして、まったくその通りだと思いました。 可能であれば、もう少し教えていただきたいことがあるので、補足欄に書かせて頂きます。
補足
可能であればもう少し教えていただきたいのが、では命を張って共産主義や自由主義(資本主義)を推し進めようとした人たちは、どのようなモチベーションだったのかということです。 マルクス(が共産主義の原点の人?でいいんですよね?)は、自分が特権階級になっていい思いをしたいというモチベーションから、人々を欺くためのきれいごととして共産主義を始めたのでしょうか?レーニンも同じでしょうか? 階級をつくらないという理想は、完全な建前で、本音ではただ支配者になりたかっただけなのですか? あるいは、もっと下の目立たないところで命を張った人たちは、共産主義の理想論を本気で信じて、ある意味騙されて命を張った人が多かったのでしょうか?それとも、革命の成功後にいいポジションにつきたいという打算がモチベーションだったのでしょうか? 自由主義、資本主義については、わかりやすい欲望による動機付けなのでわかりやすかったです。 ただ、こちらについては誰が始めたのかも理解できていません。共産主義のマルクスやレーニンにあたるような人はいるのでしょうか? またその人の基本理念(建前)と本当のモチベーション(本音)もわかれば知りたいです。
- moritaroh
- ベストアンサー率56% (658/1172)
自由主義は「市民や社会は自由であるべき」という考え方で、共産主義は「市民や社会は平等であるべき」という考え方だと思います。 そもそも、現在の日本のような状況を前提に考えると自由主義がわかりにくくなってしまいます。しかし、国王や宗教的な指導者のもと、権力が一箇所に集中していた中世、市民はあくまでも、国王などの権力者に搾取されるだけの存在で、国王以下、貴族など、厳しい階級制度が存在し、人権という概念がありませんでした。 しかし、権力者も一般市民も同じ人であり、人はみな人として自由かつ平等であるべきだ、との考え方が生まれます。それが権力者である独裁者を排除し、国の政治などは市民が自由に議論し決定する…という現在に似たような自由主義かつ民主主義的な状況へと変わっていきます。 しかし、自由を容認(放任)すると、経済的に恵まれた人とそうでない貧しい人々とで、新たな格差が発生してしまいます。自由主義が経済的な自由競争型社会を保証することで、経済力(資本)を基準とする資本主義社会へと変貌するのです。このとき、人が人らしくあるべき「自由」は保証されても、経済的な「平等」は保証されません。 共産主義は、そのような自由のもとで黙殺された「平等」を取り戻そうと生まれました。しかし財産などの資本を社会全体で共有することで、一見すると平等であるかのよう思われますが、そこでの平等はあくまでも資本レベルでの話で、たとえば労働の選択までもを平等にしてしまうと、仕事ができない人と仕事ができる人が同じ賃金を得る、といった労働の対価としての「不平等」が発生し、適した人間が適した仕事を行う労働の機会の自由がなくなります。また、政治的な決定権をみなが平等に持つ、ということは、政治的指導者など権力者の存在を否定する無政府状態となってしまいます。国家という政治的な枠組みを維持するためには、大多数の平等な市民と一握りの権力者という不平等な格差を容認しなければならないのです。しかし、このことが結果として、権力者の独裁状態を生み出すこととなってしまいました。 独裁的な政治による階級社会への反作用として自由主義がつくられ、そこから資本主義が生まれると、今度は資本主義による格差への反作用として社会主義および共産主義がつくられました。しかし共産主義などがふたたび独裁的な政治を行うことで、自由を脅かす独裁者への反作用として自由主義がふたたび活性化し、そうなると資本主義が過剰に拡大し、その反作用として不平等の是正のため共産主義へ…と、これは永遠にループし続けるもので、どちらの側にも正解は存在しません。 しかし、なぜこのようなことになるのか、と言うと、自由主義も共産主義も、「自由」や「平等」といった人権や『社会的公平性』のもとで政治が行われるべきである、という考え方をどちらも根底に持っているからです。根は一緒であるが、結論が違うからこそ、お互いに相容れない考え方として対立が生まれるのです。 現在の自由主義は、もちろん自由競争を容認する資本主義を内包しているものの、社会参加の「機会の平等」や、労働選択の自由を保証します。しかしこれは、先に述べたように財産など資本が平等なものではありませんが、これらをもって社会的公平性は保たれる、という考えを持っています。 逆に現在の共産主義は、政治的な枠組みとしての権力の存在は容認するものの、その権力の決定は市民の自由意思で行うべきであるという考え方や、労働の機会や選択の自由は容認しながら、対価としての資本は限りなく平等であることで、社会的公平性が保たれるといった考え方でしょう。 以上は、あくまでも中学・高校レベルでの政治や経済に関する知識でのもので、しっかりとその分野を研究されている方からすれば、鼻で笑われる程度のものかもしれませんし、多々、誤りもあるかもしれませんが、わかりやすく感じていただければ幸いです。
お礼
たいへん詳しく、また政治経済をまともに勉強したことがない人間にもわかりやすい回答をありがとうございました。あと何回か読んでもう少し咀嚼したいと思いますが、まずは取り急ぎお礼させていただきます。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
「共産主義」の対語は、「資本主義」です。自由主義ではない国でも共産主義とは限らず、資本主義でも独裁体制の国はいくらでもあります。
お礼
すいません。お礼コメントこちらから書き込むんですね。 ありがとうございました。
補足
ありがとうございます。すいません、資本主義・自由主義・共産主義・社会主義についてもあまりよく理解できていませんでした。 自由主義資、資本主義勢力と共産主義、社会主義勢力の基本理念と読み替えて頂けるとありがたいです。
お礼
「なんだかご質問とずれてきて」なんて、とんでもないです。前回に引き続き、とても詳しいご説明に心より感謝です。参考サイトもありがとうございます。 頂いたご回答や、参考サイトももう少しちゃんと咀嚼しながら読みたいので、回答受け付け締め切りはもう少し保留させてください。取り急ぎお礼させていただきます。 それから念のためですが、私は、特に共産主義を支持しているとかではないです。最初に頂いたご回答のように、共産側も自由側もどちらも問題があるのだと思いますが、ソ連や中国を見てしまうと、共産主義を支持しようとはとても思えません。 興味があったのは、世界を二分するほどの思想はどうやって生まれたのか?そして両陣営をつくりあげた人、両陣営の中に生まれた人(リーダー層、市民層)は何を思って日々を暮らしていたのか?という人間模様でした。なので、共産思想に燃えていたりするわけではないのでご安心ください。
補足
この補足欄をお借りします。ご回答いただきました皆さま、ありがとうございました。どの回答もありがたかったのですが、2度も回答を頂いたguess_managerさんをベストアンサーとさせて頂きたいと思います。 他の皆さまからも長文のご回答いただいており、とてもありがたく思っています。