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キリスト教を進化させたい
- キリスト教には良い所が沢山ありますが、問題もあります。
- イエスの死を「贖罪」としてありがたがることや、聖書の成長が止まっていることが課題です。
- キリスト教は進化し、アメリカの殺戮を止めるべきです。
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質問者が選んだベストアンサー
イエスを中心とする一派が国家を脅かすほどの存在となり、中心人物であるイエスが公開のうえ処刑されたというのは当時広く宣伝されたであろう事実ですから。おそらく当時の権力者はこれで信者はまとまりを失って壊滅すると考えたのでしょう。 しかし残された信者達はかえって信仰を強くし、更に勢力を増してしまった。そこで方針を転換して、その宗教を認めて彼ら自身が上層部となり利用することにした。 しかしここで問題になるのは創始者であるイエスが罪人として処刑されたという事実。それをなんとかするために考えられたのが『イエスは人々の罪を一人で背負って変わりに罰を受けた』という解釈。 本来はキリスト教を潰そうとして行われた処刑をキリスト教として意味のあることだったとしようというのだから苦しいのは当然でしょう。
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- hikaricom
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ごめんなさい。 【「ダイアネティックス」心の健康のための現代科学】という本です。 心理学フロイトのお弟子さんの教授を受けて、自らの心についての科学体系を確立したハバードという学者の代表著書ですね。 ダイアネティックス 心の健康のための現代科学 https://www.amazon.co.jp/dp/4931223273/ref=cm_sw_r_awd_WyXkwbQ5XVC1M https://www.amazon.co.jp/dp/4931223273/ref=cm_sw_r_awd_WyXkwbQ5XVC1M
- hikaricom
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腹痛くらい直ぐに治りますよ。 図書館にも本が置いてあると思うので是非読んで見てください。 心の仕組みの一切が明確に書いてあります。 心の仕組みを知らずして人間の善悪を観念論的に考えあぐねても時間の無駄ですからね⁈ もしマジで哲学や宗教を探究なさるのでしたら、是非お読み下さい。
お礼
本が置いてあるって あなたの本ですか? それとも心理学の本ですか? 心の仕組みも大事ですねえ どうもありがとうございます。
- amenhotep2000
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yuniko99さん こんばんは。 私はパソコンを開けず修行に励んでいましたが、ずいぶん頑張っているようですね。 現在、日本が誇る哲学者、西田幾多郎を学んでいますから、日本人から見たキリスト教という視点で、西田幾多郎を絡めて回答します。 ご質問のキリストはもっと長生きして説教したら良いのでは、ということに関し、マタイによる福音書13章14節から15節の「たとえを用いて話す理由」を読んでください。 「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。私は彼らをいやさない。」 とあります。 キリストが生きた時代も、現代人も、人間という「愚かな生き物」は変わらず、キリストが長生きして説教しても、世界は変わらないのではないでしょうか。 もうひとつキリスト教で大事なことは「時」というものがあります。 この点に関しては、聖人で神学者のアウグスティヌスの「ヨハネによる福音書講解説教:31説教5」を読んでください。 「人々はイエスを捕らえようとしたが、手にかけることはいなかった。イエスの「時」は、まだ来ていなかったからである。」ヨハネによる福音書7章30節 この「時」についてアウグスティヌスは、 時が満ち、時間から解放されると、もはやそこには時間がない永遠性に私達は至ろうとしているのである。そこでは「いつその時がくるであろうか」とは言わない。なぜなら昨日によって先立たれもしないし、明日によって遠ざけられもしない、永遠の日がそこにあるからである。 と解釈しています。 この文書からのキーワードは「永遠の今」 このアウグスティヌスのキーワードを取り入れたのが西田幾多郎です。 少々、脱線しますが哲学カテなので許していただき、当時、西洋では、フッサールが「厳密な学としての哲学」において、まだ哲学という学問は「学」になっていないと主張し、「イデーン」という現象学において「ノエシス」「ノエマ」という言葉を作りました。 簡単に言うと「ノエシス」は意識の志向作用。「ノエマ」は志向対象です。 西田幾多郎は、仏教の禅宗の思想から「ノエシスがノエマを含む」、言い換えると「世界が主体で自己が客観となる」という、普段、私達が考えているのと逆の考えを、絶対無という場所の理論において考えました。 そして著書「無の自覚的限定」において ノエシスを「永遠の今」、ノエマを「絶対愛」として説いています。 現在、勉強中ですが、西田幾多郎は、仏教と共にキリスト教も肯定し、晩年になるほど、キリスト教の考えを自身の哲学に取り込むべく試行錯誤し、上述の場所の理論も変化し、自身の哲学の完成を見ずに亡くなったようです。 私が、言いたいのは、過去に西田幾多郎という日本が誇る偉大な哲学者がいたということで、日本において仏教だ、キリスト教だ、などの宗教のいがみ合いはせず、いかに融和、共存するかが大事であり、西田幾多郎がやり残したことも日本という国における独自の哲学の課題ではないかということです。 そういう点でキリスト教の進化というのは、西洋は西洋で勝手にやらせておき(神様はちゃんと見ています)、日本独自のキリスト教解釈というのも大事ではと考えます。 西田幾多郎の年譜を見ていたら、なんと大正時代に西田がフッサールに手紙を送り、フッサールが西田に手紙を返信しています。 京都大学教授ですからね。yuniko99さんも、自身の哲学を進化させ京都大学教授になって、私の手紙を、世界の有名人に送ってください。 「時が満ちれば」大丈夫です。「永遠の今」を、お互い精進しましょう。
お礼
京都大学ですか 教授どころか入学も叶いません 西田幾多郎に興味が湧きます > 簡単に言うと「ノエシス」は意識の志向作用。「ノエマ」は志向対象です。 ぼくの哲学で言えば「ノエシス」が存在性で「ノエマ」が存在、存続、永遠の存在 と言う事になります。 人々が考えを改めないというのは、僕もひしひしと感じます 時が来てないと言うのは なんかもう遅すぎて全く申し訳ないです。 存在性のページを見て下さると有難いのですが・・・ しかし勉強になります どうも大変ありがとうございます。
補足
ベストアンサーは考えますねえ どれにしたものか・・・?
- raiden787
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>宗教って何の為にあるんでしょう? 社会とコミュニティ維持のためのシステムです。 >福祉は幸せの為にありますが 福祉は幸せのためではなく社会の秩序維持のためにあります。 > でも貴方は宗教は無力なようにおっしゃいますが、宗教は人の心を変えますから >実際には大きな力を持ってたと思いますよ。 そうですね。私の言い方が間違っていたようです。 無力なのは宗教の説く理想であって、宗教団体というシステムは非常に強大です。 経済的な意味でも軍事的な意味でも。 だからこそ質問者様の言うキリスト教国家はキリスト教を利用してきたわけです。 仮に質問者様の言う通りにキリスト教をさらに進化させて理想的な宗教になったとしましょう。 その理想的なキリスト教は人民統制ツールとして国家に利用されてさらなる戦争や紛争の大義名分になる可能性は高いでしょう。
お礼
そうでしょうか? どうもです。
- a_hona
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隣人を愛する必要もないし、無理に仲良くならなくても良いけど、別に喧嘩する必要も無いよね、っていう感じで良いんじゃ無いの?って思いますね。そもそも、隣人を愛せよって無理があるんじゃ無いですかね。何でただの他人を愛さなきゃならないんですかね。愛せなきゃ薄情者扱いですか? 神を愛することも無理ありますよね。顔も知らない、いざという時に助けてくれない、しかも怒れば災厄を起こす神?そんなのいない方がいいでしょ。 人間の尺度でものを言ってもらわないと響かないし、受け取れないですよね。
お礼
そんな感じですよねえ。神なんて見たことも声を聞いたこともないし。 オーマイガッ!って言うじゃないですか あれ オー・マイ・ゴットですよねえ どうしたんだ 僕の神様は って意味でしょ? マイ・ゴットなんですよね「私の神様」だから「あなたの神様」とは違うんじゃないかなあ? イエスは復活して今も生きてるってTVで言ってたけど 世界大戦中とか 復活して2000年も生きたイエスは一人くらい救ったのかなあ? あまりその様な話は聞かないですねえ。 隣人を愛せは日本人には分からないですよねえ、日本人は基本 何事かあったら、ちゃんと列を作って並ぶ 隣人性を持ってますからねえ 外国で隣人を愛せとは 知らない人とも家族と思って仲良くしよう 日頃は関わりがなくても困った時は助け合おう という感じじゃないですかねえ? 神って 元々は日本の神の事ですからねえ。天照大神とか、イザナギ、イザナミの命達の事ですからねえ。 これも見たことも会ったこともないですが。兎に角軍事的にも経済的にも強いクリスチャンがキリスト教を進化させてくれないと 世界は救われないのです。 どうも大変ありがとうございます。
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (294/2108)
何か陳腐だなあと思うのは、聖書を1章ずつ何年も読んでいても、全然全体像に追いつかないのに、いったい何を書き加えると言うのかがまるでわからない。 せめて隅から隅まで10回以上でも読み込んだ人の感想ならまだしも、という印象です。
お礼
ハルマゲドンなる大艱難は来ない。イエスは生きてた方が良かった。 異教徒を殺してはいけない。 女性も男性も同権、エバが騙されたのではない、男が騙したのだ。 進化論は正しい。神は心の中の存在である。 豚に真珠、聖なるものを犬にやるなとは言うが、豚や犬(の様な人)も 構成する事は出来る。 原罪などない。黙示録は出鱈目だ。700歳も800歳も生きた人間はいない。 ヨブの様に苦しむ人は人が救わなければならない、神は救えない。 神様は奇跡を起こさない。天は自らを助けるものを助ける。 等など 書いたらキリがありません。宗教改革もあったのです 何度でも毎年宗教を改革して欲しいです。 どうもありがとうございます。
- a_hona
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争うことの無意味さに気がつけば良いんだけど。思想とか、信条とかいう以前の話で。争ってる方は、争いには意義も意味もあると思ってるんだよね。
お礼
あの時止めとけば良かったと 後になって後悔するんです 日本もそうでした、硫黄島あたりで負けを認めれば死なずに済んだ人が 150万人以上いた筈です。いやもっとかな? 争ってる時は何とか形勢を逆転してやろうと必死んなんで犠牲に目が行かない 自分が死ぬまで気がつかない、いや死んだらもっと気がつきません それが戦争かもしれません。 死ぬまでやってろ・・・の世界です。 子供と一緒です 何度も喧嘩してるうちに割に合わないと気がつくのです 大人になってもやってるのは暴力団くらいなものでしょう。それと戦争。 どうもありがとうございます。
- raiden787
- ベストアンサー率37% (179/473)
>私に言わせれば 土地と経済が原因の戦争でも キリスト教が生きていれば止められたのではないか と言う事です。 無理だと思います。宗教的な言葉や教えに金や飢餓や土地という確固たる現実に存在する問題をどうにかはできません。もしそれが可能ならそれはもはや宗教ではなく超常的な洗脳能力ですね。 > 仏教も戦国時代には止める力はありませんでしたが、仏教国日本は治まっていたのです。 仏教は戦国時代を止めるどころか延暦寺などのように一揆や大名同士の対立を煽って私腹を肥やす寺院が多数ありました。一揆が搾取される可哀想な農民たちの精いっぱいの抵抗だと思っているのならこれは大間違い。戦国時代の農民は自分たちで武器を持って武士を虐殺するほど非常に攻撃的です。戦上手で有名な徳川家康や豊臣秀吉ですら一揆を鎮圧することは難しく、非常に手を焼いていました。一揆とは土着民と大名の利権争いという側面が強いのです。 また、日本は国土は狭いながらも米という非常に生産力の高い穀物がありました。 ヨーロッパに比べて泥沼の争いがまだ少なかったのは宗教的なファクターではなく農業的なファクターがあったからなのです。 >キリスト教国が植民地支配を目指した帝国主義を始めたのです >キリスト教が真に生きていれば そうは成らなかったはずです。 まあ、それが現実の宗教の限界ということでしょう。土地と経済という絶対的存在の前には神など無知無能なのです。所詮は空想存在ですからね。 >イエスを殺して「贖罪だ」と言うのはあんまりでしょう >それと同様に異教徒、異国人が殺されたのです。 この二つは全く別の問題ですよね。イエスの死によってキリスト教徒による異教徒の殺害が許されたなんて聖書は主張していませんよ。 あれはあくまでも寓話(例え話)にすぎません。非常に簡単に説明すれば、キリストのように周囲の人間に弾圧されても神様を信じて希望を捨てないで頑張って生きていきましょう、そうすればいつかいいことがありますよ、という程度の内容です。
お礼
宗教って何の為にあるんでしょう?福祉は幸せの為にありますが、宗教は 心の有り様を変えるのでしょうね。必ずしも幸せになるとは限らないのでしょうね。 でもやってる人は大概、幸せになれると思ってやってるのでしょう。 宗教として捉えると勢力のようですが 一人一人の信仰として捉えると 心の安寧を齎すものと考えられていたのでしょう でも貴方は宗教は無力なようにおっしゃいますが、宗教は人の心を変えますから 実際には大きな力を持ってたと思いますよ。 まあ昔もあなたの様な人もいて「宗教なん土地や金の前では無力だ」と 言ってた人がいるんでしょうね^^ 最後の方は貴方の誤解のように思うのですが どうでしょうか? どうもありがとうございます。
- raiden787
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キリスト教を進化させることに何か意味はあるのかなと思います。 戦争の根本の原因は宗教ではなく経済(あるいは衣食住)なわけで。 十字軍も宗教を言い訳にしてはいますが根本は土地と経済が問題だったわけです。 イスラムのテロに関しても根本的な原因は土地の奪い合いですしね。 仮にアメリカが無宗教国家だろうと仏教国家だろうと普通に戦争してたと思いますよ。 キリスト教をどうこうしても世の中の改善には役に立たないのではないかなと思います。
お礼
私に言わせれば 土地と経済が原因の戦争でも キリスト教が生きていれば止められたのではないか と言う事です。 仏教も戦国時代には止める力はありませんでしたが、仏教国日本は治まっていたのです。 キリスト教国が植民地支配を目指した帝国主義を始めたのです キリスト教が真に生きていれば そうは成らなかったはずです。 イエスを殺して「贖罪だ」と言うのはあんまりでしょう それと同様に異教徒、異国人が殺されたのです。 どうもありがとうございます。
- a_hona
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言い過ぎるのも、勢いよく的を射抜くのも、ユニコさんの個性と思って見ています。個性ですから良し悪しはありません。 正しいとは真に人間に利すること、これはなかなか力強い言葉です。 誤ってみればエゴイズムになりかねない言い方ですが、私はここでいう人間が、善き人間だと思っているので、結局人間を利することは普く世界を利することになると解釈しました。マクロな話だがこれならついていけます。
お礼
アホナさんも思い切って思想を開示してください。 人間に利すること 突き詰めれば人間存在が存在・存続を実現することです エゴイズムに成らず存在を追求するのです。自分だけじゃなく人間存在を 人間存在は繋がっているのです。 人間は経済や国もそうでしょうけど 家族や心も繋がっているのです。 私も無宗教ですが、イエスの葡萄の木につながる気も持っています。 般若心経も好きです。 どうもありがとうございます。
お礼
仰る通りですね。全くです。全くのでっち上げです。人間が書いたものですから 嘘が入ってるのです。嘘が入れば台無しです。日本人はウソを方便とか言いますが 嘘で殺されたら堪ったもんじゃありません。 自然界にも擬態が在りますが、人間の世界には嘘が沢山組み込まれています 刷り込まれてるフェイクです。 キリスト教自体が嘘だったら キリスト教徒は嘘を信じている事になります 本当はキリスト教よりも無宗教の方がいいのかもしれません。 どうも大変ありがとうござます。