1939年4月、ヒトラーのパレード中にイギリスのエージェントが暗殺する計画がありました。しかしイギリス政府が許可しなかったため、実行されることはありませんでした。この時点でイギリス政府が後にヒトラーがあれだけの大戦争を起こすと判断することは難しかったでしょう。
1939年11月8日、共産主義者の家具職人によって、かつてヒトラーが「ミュンヘン一揆」を起こしたビアホールに爆弾が仕掛けられたヒトラー暗殺未遂事件が起きました。
爆弾は予定通りに爆発して多くの死傷者を出したのですが、その中にアドルフ・ヒトラーの名がなかったのは、偶然スケジュールに予定変更が起きて演説を早く切り上げてその場を中座したからです。
その後も、お土産に見せかけたシャンパンの瓶に仕込んだ爆弾でヒトラーが飛行機で移動中に爆発して暗殺する計画が、飛行中に予想より気温が下がって起爆装置が凍り付いて爆発しなかった、なんてこともありました。
そして極めつけがなんといっても映画「ワルキューレ」にもなったシュタウフェンベルク大佐によるヒトラー暗殺計画です。爆弾を仕込んだカバンが「誰だよ、こんなところにカバンを置いたやつは」と足で奥に追いやられてしまったこと、それによって大きくて重い机が盾になったこと、爆発するタイミングのときにヒトラーが机の上に大きく体をのせたので机が絶妙に盾になったことなどあらゆる偶然がヒトラーに味方して、爆弾が予定通りに爆発したのに本人はかすり傷程度で済んだという文字通りの奇跡が起きています。
もうあれは「悪魔によって万全の警備体制が敷かれていた」といわれても納得しそうなくらいの悪運の強さですよ。