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なんで戦前の日本は暗殺(暗殺未遂)が多いのか
なんで戦前の日本は暗殺や暗殺未遂が多いんでしょうか? 226や515をはじめ、原敬や浜口雄幸、摂政狙撃などなど、やたらに要人が暗殺されてる印象があります。
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戦前の軍人(ここでは中間層の将校を指します)の思想、考え方の影響が強かったのが原因と思います。 勿論それに影響を与えた思想家の影響も見逃せませんが・・・ 彼ら軍人は実際の軍の行動は自分たちの立案で動くものであり、上層部はただ命令権者に過ぎないと考えていました。 従って命令権者を交代させれば、万事思うままになるという世界に住んでいたのです。 首謀者に参謀や同等な将校が多いのはそのせいです。 武力は上層部や天皇を持ち出せば自由に動かせました。 日本の軍隊は上意下達が原則であり、その上意は自由に作り出せる立場にあったのです。 暗殺というのは交代の究極の姿です。 彼らにはそれを正当化する理由づけもできました。
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- kawakawakawa13
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No.7です。 「孫子曰く、謀(はかりごと)を攻め、交わりを攻め、人を攻める。城を攻めるは下の下なり」 つまり相手の考えを誘導してこちらの有利になるようにするのが上策、次は相手の交友関係など、環境などを変えてするのが次策、次が直接相手と対峙するのがその次の策で、相手を警戒させてしまってから、何かをしようというのは最低の策、ということになると思います。 ポール・ケネディ氏が著書「大国の興亡」の中で言っていますが、間接アプローチのほうが直接アプローチよりも成功の度合いと確率が高いが、間接アプローチを行うには何よりも「遠謀思慮」が必要とされます。 激発する=思慮が足りない、と言うことですので、他の解決策を模索するという発想が無いのです。 余裕を持てないので思考が硬直し、チャンスを見出すこともできなかったということです。
お礼
昭和初期は右も左もキチキチで余裕ないですよねぇ・・・
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
戦前といっても、ほとんど昭和初期ですよね。 日本でも自由民権運動が活発となり、議会制民主主義が根付いて、軍部が掣肘を受けるようになったことと、日清・日露戦争に勝利し、軍部の発言力が大きくなったこと、そして朝鮮半島を併合出来たことでロシア帝国・ソ連邦との間に戦略的縦深を確保できたので、「危機感」が薄れたこと等があるのだと思います。 戦争に勝って褒められ、直接の危機が遠ざかったので思い上がった一部の軍人が、自分に反対するものは許さないと激発したのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 戦前は桜田門外の変から暗殺はけっこうあって、昭和初期にそのピークを迎えたって感じですかね。 暗殺という選択肢のない軍部の伸張も可能だったと思うんですが、どうでしょうか。
- eqw-102
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それだけ自分への一大事だったり、 国防や国益について真剣だったと言う事もあると思います。 廃刀令や、徴兵制の施行は、 「全て西郷が抑え付ける。」 と、西郷は、 文句を言いに来た侍相手に直談判を続けました。 殆ど、切り殺されるのは覚悟の上でした。 特に徴兵制の場合、戦は侍の仕事。 これを、国民全員の義務に変えた訳ですから、 侍の暴動も考えられました。 西郷無くして維新はまともには進める事は困難であったようです。 自由民権運動と言い、 四民平等などは嘘も良い所であったようです。 (元大名は四民ではないのです。天皇中心の帝国主義です。) ここでも運動家が暗殺されています。 226の場合、 天皇の勅許(これがあれば全て合法)が出た。 と言う首謀者の大佐嘘を信じ込んだ部隊は 次々大臣を射殺。 皇居の警官隊を武装解除させ、皇居を占拠します。 この時、昭和天皇の古くからの従事官を射殺してしまいます。 これを聞いた昭和天皇は、 「朕、自ら国賊を成敗してくれる!馬と近衛師団を用意しろ!」 と、怒りに震えたそうです。 大佐はこれでも実行後に天皇の勅許がもらえるはずだ と思い込んでいました。 制度の不備や国民の死活問題など、色々問題が満載していたのでしょう。
お礼
正確には「朕自らが近衛師団を率いて鎮定に当らん」ですね。 戦前は226や515や首相級の人物の暗殺以外にも、永田鉄山とかマイナーな(?)暗殺事件もいっぱいありますよね。史書を読んでると「また暗殺?ここでこいつが死ななかったらもうちょっと日本も違ったんじゃないの?なんでこんな暗殺多いの?」と思います。
- takatukireds
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暗殺が起こる時代は不安定な時が多いのです。 226は背景に東北の農村を救うため、もっとも兵士たちのふるさとを救うためであり515は昭和維新の名のためにたったからです。 浜口の場合は統帥権の問題があり、原のばあい改革者の姿をしてじつは全然そんなことはなかったというものから来たものです。 いろいろ原因はありますが宗教や政治団体が力を持ちそして元気であった時代でもあったからです。
お礼
たしかにいろいろと元気な時代ではあったように思います。回答ありがとうございます
- rabbit_cat
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#1の方も述べていますが、 特定の誰かを殺せば政策・制度が変わるというような体制であれば暗殺を試みる人が多いでしょうね。 あるいは、選挙制度などの、民主主義がまだ未完成で、軍事力を使ったクーデターが成功する見込みがあると考える人が多ければ、実際に暗殺を伴うクーデターを実行する人もいるでしょう。 戦後の日本は、良いか悪いかは別にして、特定の一人に権力が集中することがなく、かつ、クーデター等の選挙によらない権力奪取が不可能、と多くの人が思ったのでしょう。
お礼
回答ありがとうございます 戦後は軍ないですしね。クーデターなんて三島由紀夫くらい?
- beniotome
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現代に比べて銃器や刀などが多かった為←現代もそうでもないかと思いますが、226や515は政府における軍隊の位置づけや組織としての軍隊が未熟だったこともあると思います、ただ昭和以降を外国と比べると日本は少ないほうでしょう、特にアメリカと比べると。
お礼
議会政治や明治憲法の未熟さも一因にありそうですね。 回答ありがとうございます
- ipa222
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そういう時代だったのです。 桜田門外の変以降急増し、昭和になってもずいぶん暗殺されていました。他の国でも暗殺は多いですね。 戦後の日本に暗殺が少ないのは、政治家の権限が縮小し、官僚の権限が増大しているからでしょう。誰かを殺したら制度が変わるのなら、たくさん暗殺がおこっています。
お礼
確かに戦後は権力の分散が起こってますし、最終的にはGHQ,アメリカの意向もあるから、暗殺は努力に値しないかもしれませんね。 逆に戦前はそれだけ政治の自由度が高かったんでしょうね。
お礼
> 従って命令権者を交代させれば、万事思うままになるという世界に住んでいたのです。 > 首謀者に参謀や同等な将校が多いのはそのせいです。 なるほど!と思いました。戦前の暗殺には非常にそういう側面がありますよね。視野狭窄というか、世界観の狭さを感じます。 回答どうもありがとうございます。