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1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件について
映画「ワルキューレ」を見ました。高級将校C・シュタウフェンベルグ役のトムクルーズはドイツ陸軍の制服がよく似合いますね。 さて、1944年7月20日の反ヒトラーグループのヒトラー暗殺計画が成功していた場合、その後のクーデターによるベック-ヴィッツレーベン首班の臨時政府樹立の可能性はどの位ありますか?
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- DieMeute
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暗殺未遂事件で死亡した四人の他にヒトラーが死亡したと仮定してですが・・・ 次の理由から可能性はかなり低いものと考えます。 (1)ヒトラーから正式に後継者と指名されていたゲーリング国家元帥は当時、現場におらず健在。 (2)OKW(国防軍最高司令部)長官のカイテル元帥は現場でヒトラーの横にいたものの無事健在。 (3)SS総司令のヒムラーは当時、現場におらず健在。 (4)反乱グループがベルリンで掌握していた兵力が少数で、しかも全部隊の行動を完全には把握していない状態。 (5)ヒトラー暗殺未遂後の反乱グループから出された命令がOKWで把握され、また電話連絡はゲシュタポに盗聴され、情報伝達に致命的だった事。 もともと当初の計画ではゲーリング、ヒムラーも一緒に爆殺する予定だったのが、なかなかその機会が無いからとヒトラー一人に狙いを絞ったようですが、それで権力を完全に奪取する事はできません。 海軍総司令官のデーニッツ元帥が、「ヒトラー一人を殺害したからとてナチス国家の権力を挫けるわけでもなく、奪取できるわけでもなかった」と言ってますが、その通りだと思います。 私に言わせれば、反乱グループにとりカイテル元帥が生存したのは痛手です。カイテル元帥にしてみれば、ヒトラーと一緒に爆殺されそうになったという事は、反乱グループから自分は不要であり、これからは権力奪取を狙う反乱グループから邪魔者として排除される可能性があると判断してもおかしくありません。 そのためヒトラーが死んでも、カイテル元帥は反乱グループに味方する事はなく、おそらくヒトラーの生前の決定であるゲーリング国家元帥を後継者にするという決定を尊重し、反乱グループの鎮圧に出ると思います。これにはカイテル元帥が「ラーキーカイテル(お追従者カイテル)」と呼ばれたほど、ヒトラーに忠実だった事も考慮してます。 反乱グループは国内軍司令官フロム大将の名で、ヴィッツレーベン元帥の国防軍総司令官就任の連絡を各軍管区司令官に伝達し、以後、ヴィッツレーベン元帥の命令に従わせようとしますが、ヴィッツレーベン元帥は1942年に予備役となり1兵も指揮していない身です。それに比べカイテル元帥は現状でOKW長官です。反乱グループは計画前に色々な軍高官に働きかけをしていましたから、反乱に加わる者もいるでしょうが、正規の命令系統としてカイテル元帥に味方する者もいて陸軍は混乱すると思います。 カイテル元帥はとりあえずヒトラーの死を隠匿し、死亡の発表を先延ばしにして時間を稼ぎ、その間に他の指導者(ゲーリング、ヒムラー、ボルマン、ゲッペルス等)と協議して反乱軍にあたる体制を整えるという手に出るかもしれません。反乱軍は大々的にヒトラーの死を喧伝するでしょうから各軍は判断に困り右往左往するでしょう。 実際の史実でも、ヒトラーが生きていても、各軍は判断に右往左往したという結果になっています。 実際の反乱では、反乱グループがベルリンで動員し掌握したのは警備大隊1個と少数の警察部隊でした。連絡の不備でデーベリッツ歩兵学校の部隊や、移動中のクランプニッツの装甲教導部隊は掌握しきれませんでした。 これに対し、SS総司令のヒムラーは近在のSS部隊を召集できます。実際、ヒムラーはSS連隊ザーロフとライプシュタンデール部隊のベルリン留守部隊を動かし、反乱軍に対抗しようとしました。実際は反乱軍の警備大隊がヒトラー生存を確認し、反乱軍から離脱し趨勢は決まったわけですが、ヒトラーが死亡していたとしてもSSのヒムラーが反乱軍の敵に回るかぎり、反乱軍によるベルリン、国内の掌握は難しいと考えます。 ヒムラーは暗殺未遂事件の1年ほど前は、暗殺グループと接触があったようですが、自身の身が危うくなってきた事から暗殺グループと接触を絶っています。その関係で、ヒトラーが死亡した場合、もしかしたら反乱軍に味方する可能性も僅かながらあるかもしれませんが、それよりも反乱鎮圧にあたって、その功績で自らの地位と権力を強化する方を選ぶのではないかと思います。 ヒトラー暗殺が成功した場合、西方軍総司令官のクルーゲ元帥が反乱軍側に立つでしょうが、その第一にする事はV1号の英国への発射停止であり、第二は連合国側との接触だという事なので、ベルリンでの戦闘に直接影響するような事はないかと思います。 なお、装甲兵総監のグデーリアン大将がカイテル元帥に味方すると思います。この人は以前から反ヒトラーグループに接触され参加を要請されても応じませんでしたし、クルーゲ元帥とは犬猿の仲です。 装甲兵総監には指揮権はありませんが、装甲部隊を管理、運営する役にあります。クランプニッツの装甲教導部隊も当初はグデーリアンがソ連軍に備えるため東方に移動させようとしていました。しかし「ワルキューレ」にこの部隊を使用したい反乱グループの一人であるオルブリヒト大将が、演習参加を要請し、移動は延期になった経緯があります。 グデーリアンなら他のヴユンスドルフ、ホーヘンザルツア、トルニなどの各部隊から戦闘可能な装甲部隊を抽出して反乱軍に対抗させるのではないかと思います。 ゲーリング国家元帥は、この時期かなり評判を落としていたいましたが、それでも1939年にヒトラーが国会演説で行った後継者指名と、その2年後に出されたヒトラーに万一の場合、ゲーリングが総統代行になるという布告は、法的にも大義名分として成立します。 ゲーリング国家元帥、カイテル元帥、SS総司令ヒムラーの主導で反乱軍鎮圧が行われ、反乱軍は敗北するかと思います。 当時、F方面軍集団のヴァイクス元帥が「例え暗殺が成功したとしても反乱は失敗した筈だ。」と言ってますが、同感です。
- あずき なな(@azuki-7)
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お礼
その根拠は?