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熊が縁側から入って来なかった理由

1、伝統的日本家屋は縁側があり、熊が侵入しやすかったと思うのですが、それでもこのスタイルが定着したということは熊が人里に来るのが稀だったとおもうのですが、なぜ近年は町に出没するようになったのですか? 2、太古、人類が洞窟に住んでいた頃は、寝ている間の熊の侵入をどのように防いだのでしょうか?

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  • gunsin
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回答No.3

熊の住む領域まで人間が住む様に成ったからです。 神様の領域と人間が住む領域の里山と分けて居ました。 日本の各地で境目に神社を建てていた所が数多有ります。 薪取りや山菜取りなどで神の山に入る時は神社で拝礼してから 分け入ったのです。 人間が増えたのと、人間の都合でどんぐりの実が生らない 杉などを植え、山を荒らしたからです。 山を荒らした報いは花粉症として人間にも災いをもたらして居ます。

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  • eroero4649
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回答No.4

1 昔(江戸時代以前)は人口が少なかったからです。また本州には大人しい性質のツキノワグマが生息しているので、熊のほうができる限り人間を避けていました。 熊の被害って、ほとんど北海道のヒグマなんですよ。明治時代になってから本州人の北海道への移住が進みましたから、移住者がヒグマに襲われる事件が起きました。「三毛別熊事件」が有名ですね。 2 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20141218/428881/ 人間にとって怖ろしい熊であるヒグマの分布図がこちらです。基本的にこの地域を避けて住めばヒグマに襲われることはありません。そしてヒグマが分布する地域は基本的に人間が住むには寒すぎる地域で、ほとんど人が住んでいません。人間とヒグマの生活圏がかぶってしまうということはなかったでしょう。 あと、熊は基本的に昼行性なので、夜に人の住処を襲ってくるということはありません。どちらかというとネコ科の動物のほうが夜行性ですね。氷河期の時代のネコ科の動物というとサーベルタイガーが有名ですが、サーベルタイガーは前肢が長く、後肢がとても短いです。これは走れない体型で、サーベルタイガーはトラやピューマのように獲物を追いかける狩りではなく、どこかで待ち伏せていて近くを通った獲物に襲い掛かるというスタイルだったといわれています。 また、多くの肉食動物にとっては人間はたいして食べるところがなく、それでいて狩りはしづらい(知恵がある)ので積極的に狙う獲物ではなかったと思います。

  • toka
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回答No.2

1.昔は人里と山が遠く離れていたのです。 山を開発したことにより野生動物の生育環境が厳しくなったこと、山の近辺まで人の生活範囲が広がったこと、温暖化により熊が冬眠に入る期間が短くなったことなどが原因とされています。 2.旧石器時代の貝塚からクマの骨が出土した例があり、それはクマの頭骨が割られていたそうです。  川の近くで魚を捕る人間と熊が鉢合わせて戦闘になることはあったでしょうが、それを超えて熊が人の住処を襲うことがあったことを示す遺跡があるのかは、ちょっとわかりません。  おそらくは人も熊も、互いに住み分けることで共存していたのでしょう。(その時代、人間は必要最低分だけの食料を狩っていたので、今のようにひんぱんに山に分け入ったりしなかった)

  • suiton
  • ベストアンサー率21% (1110/5263)
回答No.1

山に食べ物が沢山あれば、人間を襲う必要は無いから。